BOROさん作曲の「やさしく愛して」について、ご自身で作曲のエピソードを語っていたことを、今年4月のことなのに、すっかり忘れていました。覚えていないもんですね('_')
もっとも、BOROさんは思い違いをされている。ジュリーがヒットスタジオで歌った、1年も前にすでに楽曲は出来ていました。
コメント欄に⇒『 (澤ノ井謙さんより)
2023-04-24
「やさしく愛して」今でも車の中でたまにCD聴いてます。
テレビで歌ったのは確かに1987年1月7日関テレの夜ヒット(本番後に梨本氏ら多数のレポーターに楽屋からエレベーター駐車場まで囲まれ、翌日各スポーツ紙1面トップになってしまったあの日)だったから、BORO氏の記憶も誤ってしまってるようです。
前年1986年4月7日読売テレビで21時から放送された「沢田研二37歳の再出発」の中で、同年2月にレコーディングスタジオで次のシングル候補曲を選定している場面があり、BORO本人が自ら吹き込んだデモテープをジュリーやスタッフで聴いてる場面がありました。ジュリーは「いいねー!!(目元に指あてて泣くしぐさしながら「もう、コレもんだねえ!とたいそうお気に入りでした。(結局この時シングルは「アリフライラゥイライラ」「愛の嵐」に・・)
翌年、夜ヒットでこれ歌ってるの観た時「確かに以前聴いたことあるで!」と上記のビデオひっばりだして見たものです。少なくとも、あの1987年1月7日の約1年前に この曲は誕生していたのです。
1992年12月の福岡サンパレスでのライブのアンコールラストで歌ってくれました。会場の一部の人たちは1年最後の仕事納めライブのアンコールラスト(この頃の秋からのツアーは仕事納めは福岡、年明け仕事始めが大阪のパターン)という事で、シングルのおなじみの曲を期待していた雰囲気がありましたが、小生はナマで、この曲を聴けた感動で涙腺緩んだのを覚えてます。
はっきりいってBOROの一押しは「大阪で生まれたー」ではなく、この曲しかありません。70代のジュリーにまた歌ってほしいです。』
私も、1986年の「沢田研二37歳の再出発」のジュリーを、見ていました。思い違いは有るものです。
BOROさんの歌う「やさしく愛して」
ジュリーとは手触りの全く違う味わいのある、BOROさんが歌う「やさしく愛して(BOROカバー)」
BOROさんが歌うと、男には無頼感がある、無頼の徒を愛した女もまた辛いですね・・
2019年12月の神戸新聞の記事、BOROさんは兵庫県在住なので、時々記事が掲載されます。