※再放送が30日にあるそうなので、次ぎは忘れずに観ます!
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すっかり放送日を忘れていて、新聞のTV欄を見て慌ててTVをつける。
うっかり10分近く過ぎてしまっていました(ー_ー)!!
仕立ての良さそうな、光沢のあるグレーのジャケットにアスコットタイのピー。
相変わらずオシャレです。 カワイイピーの写真も何枚か出てきて、
ピーファンならずともカワイイ~♥と思いました。
インタビュアーの方は、ピーの教え子とか聞きましたが、ピーとあんまり
歳が変わらないように見えますが?・・・・ 途中からですがレポ
ジュリー関連のところは青字です。
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質問「GSはPTAが禁止していたが?」 僕らも不良だった。
長髪で、言うこともまとまりがなかった。
そういうのに巻き込まれず乗り越えようと思ったのがうまくいった。
アマチュアでやってきたがプロを目指してやった。2~3年でダメならやめよう。
沢田・岸辺はずっとやっているということからリスペクトしている。そのおかげで
やっている。高校を夏休み直前にやめた。教師にあと数箇月で卒業だから待てといわれた。
夜間の大学に行くつもりでいたが。家族は諦めていた。親に勘当されていた。
いかに食べていくかに気にしていなかった。岸部らとバンドを始める。京大農学部の食堂で
皿洗い。ナイトクラブでドアボーイもした。
「TGへの歴史」(僕のマリーのジャケット写真が映る)音楽で食べていく実力はなかった。
「沢田研二はどんな印象でしたか?」 沢田は異分子の感じがした。
アイビーが流行、僕らはコンチネンタルで先の丸い靴を履いていたのに、
沢田は先のとがった靴。へーと思った。みかけもいいし、寡黙な男で
ボチボチしかしゃべらない。わるくはないから入れよう。
ファニーズを結成した。やるからには頂点を極めたい。
(語り)タイガースはライブでの演奏が得意なバンドとしてデビューした。
(僕のマリー・シーサイドバウンド等 シングル曲が流れる)デビューしてからハチャメチゃ
始めは練習していた。11月にデビューして、夏にはブレークしていた。メンバーは
目指す音楽との違いにとまどった。与えられた曲は我々のイメージとは違った。
大人たちが勝手にイメージをつけた。僕らは不満だった。
僕らの身の丈と合わせる身の丈が違う。
でも歌謡曲でも演歌でもポップスでもない。GSは特殊な形だから存続した。
続く人間のために切り開かなければいけなかったのに、できなかったのは僕らの責任。
質問「メンバーの役回りはあったのか?」会社に入るまでは好き勝手にやっていた。
会社に入ると会社が方向性を決める。僕らの入る余地はない。僕は童顔なので
童顔のキャラで。自分は違うのに無理していたところがある。
そういう意味では作られたもの。
「加橋かつみ」脱退。 メンバーにとっても、僕にとっても大きい出来事。
これまでやってきて一生やるんだと思っていた。そういう選択肢もあるのか。そういう危うい
ところで僕らはなりたっているのか、再認識。 もう一人辞めたら、もうつづかない。
質問「やめるまでの二年間は?」 もう気持ちがのらなくなった。補っても補いきれない
ものがある。気持ちにひび割れができた。自分の方向性、生き方を考えた。
演劇に行こうか、カメラマンになろうか。自分としてはピンとこない。
そんな時に柴田錬三郎と出会う。かつみがキャンティに出入りしていた。キ
ャンティは各界のそうそうたるメンバーが出入りしていた。
キャンティでこんな世界があるのかと思った。見てはいけない禁断の世界を見た気がした。
カブレてしまった。キャンティで柴田錬三郎さんのお嬢さんと奥さんを紹介され、
家に遊びに行ってシバレンに紹介された。
今の自分に足りないものは、知識と教養。やめて勉強したい。
会社にやめさせてくれと言ったが、シバレンのお嬢さんに
勉強するにはお金がいると言われた。
お金がないので、会社にもう一年使ってくださいとナベプロ頼んで、
シローが参加したタイガースを続けた。解散ライブは区切りがついたが、
築いたものが無くなるのは寂しかった。
受験勉強に丸坊主にして、頑張った。タイガースでの力があったから、逆境でも
くさらずに頑張れた。楽天的でクサラないのでがんばれる。翌年、慶応大学に合格。
青春が戻ってきた。 シバレンに面倒を見るといわれたが、芸能関係と付き合いを絶て。
音楽はやめろ、約束しろと言われた。大学に入ると知的な刺激が大きかった。
ついていくのが難しい。ずいぶん、背伸びをした。中国文学に没頭。
30年以上に及ぶ教師生活が始まった。
質問「沢田は気になったか?」生徒が授業前に周りで騒ぐんです。
黒板に沢田研二とか曲名が書いてあった。黒板を消さずに無視して
授業したけれど、内心彼らが僕に感心を持ってくれているから有難い。
それをエネルギーにしてくれるといい。
文集に一流、一番であるべきと書いた。
37年経った2008年秋、定年退職の時が迫っていた時、
マネージャーだった中井さんが訪ねてきた。合うと
「申し訳なかった。君たちの友人関係を台無しにしたのは僕。
皆と仲直りできたらいいと思っている。皆とあってみないか?
質問「中井さんに、わだかまりはありましたか?」
中井さんは会社の人、信用しない。会社の手が回っているんだろうと思った。
でもこだわりもてらいもなく、悪かったと言われて素直になれた。
中井さんから沢田の思いを知った。
沢田はピーは面と向かってなら合わないだろうから、
なにげを装って行けばあえるかもしれないから、
自由が丘の居酒屋に出入りしている。沢田の気持ちがわかるか?
12月にメンバーの集う席に参加した。
質問「緊張しましたか?」 緊張しなかった。
今は良く見せようとせずに、自分らしくある姿を見せられたらいい。
2009年にSONGSを見た。友情を取り戻したいという歌に、
もう一度やり直してみようか。
最後に僕に捧げる曲を聞いて、沢田の歌声に胸を打たれて
僕に対する思いにじわーっときた。彼は一言も口では言わなかった。
2010年教職をやめた。音楽と二足の草鞋は履けない。中途半端はできない。
2011年になって、かつみが「やめとく」でタイガースの再結成はなくなった。
白紙になったが沢田のライブツアーに再集結。ドラムの猛練習。手が動く!
40年ぶりにやったら、沢田が「音が変わっていない。
ピーの音が一番、タイガースのドラマーはピーでないといけない」
と言ってくれて嬉しい。
メンバーのアオリがわかる。ここでアオル。楽譜とは違う、いっぺんに戻った。
違和感がなかった。
フォーラムで第3の人生がスタート。楽しかった。お客さんの反応が楽しい。
再び舞台に立てて最高!沢田、岸辺は役者、それぞれ培ったものがある。僕は教職で培った物を
もって帰ってきて、かつてやったものは無駄ではなかった。
人生は何度でもやり直せる。近い将来タイガースをやるかもしれない。
沢田はかつみの高音を聴きたがっている。GSがあれだけあっても、あれだけのハーモニーの
あるグループはない。だから僕は世界にいけると思ったんです。
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2012年6月10日
夕顔だと思うんですけど(エンゼルトランペットではないです)(^^ゞ
でも我が家のじゃないんです、近所の植え込みです。
なんでもかんでも植わっていて、次ぎは何が咲くのか目が離せません。