名古屋千年ゼミ

持続可能な社会について、みんなで考えます!

ゆっくり,まったり対話する場…♪

宿題!

2011年11月03日 | 近況報告
ともちゃんに出遅れましたが、林もやってみました。
結構主観的になってしまったかも。


●林の考える「震災前の世界」

・日々の生活に満足するわけでもなくかといって不満でもなく暮らしている。
・あまり社会のことには関心が無く、自分のこと、自分の時間をどう使うか考えることに頭が働いていた(これは今もなのか?)。
・社会の中で折にふれて根底に問題があることに気づくけど、その問題と自分が遠いから、一過性のもので終わってしまう。
・バブル崩壊後、不況が続いているらしい。けれどそこまで生活が苦しいわけじゃない。
・戦時中に比べたら圧倒的に平和。
・有り余るほどたくさんのものに囲まれた生活(今もだね…)。
・放射能・被爆なんて言葉が飛び交うのは「ヒロシマ」の8月6日、「ナガサキ」の8月9日くらい。あとはレントゲン写真を撮るとき?
・原発の安全性が強調されており、疑問をさしはさむ余地を与えない。学校でも「日本の将来に不可欠なもの」として教育されている。文科省主催の原子力に関するポスターコンテストもある。
・そもそも電力会社が株式会社で、独占企業だということを意識することが無い(する必要も無い)。電気は当然のごとく地域それぞれ1つの電力会社から買うものである。
・地球温暖化や水不足、環境汚染などが漠然と問題視されている。けれどその前に自分の生活を何とかしないと…。


●林の考える「震災後の世界」
・とてつもないショックを受け、皆が心に傷を負った。
・目に見えない、においも無い放射性物質が日本中を飛び交う。どこから来るのかよくわからない被爆の不安。
・シーベルト、ベクレルなどの単位がいきなり出てきて混乱。
・折にふれて原発推進派・原発否定派の二者択一を迫られる。迷ってる暇は無い!…そんな感じ。よく推進派は叩かれる。
・デモやボランティア、募金活動が盛んに行われる。
・被災地のために何かしたい、その思いから積極的に行動する人、なかなかそうは行かない人。
・何をするときも、よくわからないけどなぜか「罪悪感」のようなものにさいなまれる。「がんばろう日本」「がんばろう東北」というキャッチフレーズ。その錦の御旗を掲げれば、とりあえず罪悪感が薄らぐような気がする。
・放射性物質の飛散状況、原発の現状のことにかぎらず、普段様々な問題が隠されて、報道されずに来たということを知る。



うーん…。
こうして書いてみると、震災前は生活の中で「当たり前」「こういうもの」だという認識に、疑問をさしはさむことがなかったが、震災後は文字通り根底から価値観が揺さぶられ、「何が正しいのかわからない!」「そもそもなぜこうなっていたの?」そんな状況になっているのだと思います。

以前から社会構造のきしみ、問題について言及する人々はいたけれども、なぁなぁにされていた。疑問を持つ人は「関心があってすごいね~」というような、「社会から良い評価を受けるための能力」を持っているような扱い。



…ただこうして震災から半年以上がすぎた今「もはや震災後ではない」ような風潮がうすうす感じられます。早く過去のものにしたい。そのような意思を感じます。。


さて、住職さんが「どういう未来を望んでいるか」ということを言語化することも宿題として出していたと思うので、これも少し考えてみました。


●林の考える「この先つくりたい日本の未来」
・とにかく放射性廃棄物、汚染水の処理方法を確立する。
・子どもたち、若い人たちの被爆をできるだけ防ぐよう、移住制度を作る。汚染の強い食物は食べないようにさせる。
・原発に頼らないで暮らしていけることを日本国民全員がしっかりと認識する(特に中部地方は浜岡原発が止まっている今でも、何不自由なく暮らせている)。
・停止している原発の沈静化のためには長い期間を要するため、人員、公的資金をきちんと配分する。
・原発がないと結局火力に頼らざるを得ず、二酸化炭素排出が・・・という不毛な議論を防ぐ。原子力の原料であるウラン採掘、濃縮の段階でものすごい量の二酸化炭素が排出されていることを国民に認知させる(こういうことこそ首相が先陣を切って国民に説明すべきじゃないだろうか?)。
・電力会社による独占をやめ、電力自由化を実現する。スウェーデンなどで実現されているのだから、日本でできないはずが無い。



「復興支援」「被災地への援助」「原発停止」という言葉は言えるけど…。

やっぱりそれぞれ本当の言語化がされていないんですよね。
それって、どういうこと?何をすることなんだ?と自問しなければいけないと思いました。

あと、最近、田口ランディの「ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ」という本を読みました。その中で、東海村の臨界事故が挙げられていましたが、この事故の根本的な原因は、国を支えていた原子力に関わる人々のことが社会から限りなく遠ざけられ、無視され、軽んじられてきたからだ、という内容が印象的でした。

日本中の原発がそのうち停止状態に入ります。しかし被災地の福島第一原発を含め、原発の収束には長い時間が必要です。これを大切で、重大な作業であることとして社会が受け止めることが大事なのだと思います。




なんだか原発のことに偏ってしまいましたが、こんな感じのことを考えました。。
私がくすぶっているのは、「この先つくりたい日本の未来」を実現するため、自分は何ができるのか、何をすべきなのか分からなくなってしまったからです。
そもそも日本だけの未来なのか?世界のことは、考えなくていいのか?
全く答えが出ないのです。くすぶっています。

ともちゃんも書いてましたが、対話を通して自分のことをもっともっと知りたい。そして、自分の進むべき道を決めたいです。
もちろん自分のことだけじゃなくて、名古屋千年ゼミに参加してくれるみんなと、ともにお互いのこと、社会のことを知って行きたいです。対話によって、何かを見出したいです。

えー。ぐだぐだしてきたので、この辺で終わります。
コメントしてくれるとうれしいです。

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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
kukoちゃん、ともちゃん、さんきゅう。 (ゆーま)
2011-11-05 22:19:36
もやっともww

えっと、実を言うとともちゃんが「発見点」だと書いてくれてたのは田口ランディの「ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ」の本の中に書いてあったのを俺がそうだなって思って引っ張ってきたの。

だから実際、俺もこの本読んでなきゃこんな考えを持つことはなかったかもしれない。

ともちゃんも政治に対する関心が薄いって言ってるけど、俺もせいぜい新聞とツイッターとかで情報収集をしているレベルで意見を明確に持つところまではいってないなぁ。
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共感と発見 (とも)
2011-11-05 17:55:38
ゆーまリーダーの記事を見て、共感となるほどなっていう発見(?)があった。

<共感点>
・今の生活に満足も不満もなく生活
・問題は一過性
・戦時中に比べれば平和
・そもそも電力会社が独占企業だと気づかない
・環境問題を漠然としか問題視してない

・普段さまざまな問題が報道されずに来た

<発見点>
・原発の鎮静化のため人員、公的資金を分配

こうして整理してみると、震災前は「こういうもんだ」と認識に疑問をさしはさまなかったが、震災によって「この世界はどうなってるのか?」という疑問がしっかりと自分を揺さぶった。ということがゆーまリーダーと共通しているような気がする。

そいで発見点をあげると、「公的」なものに興味が薄いことに気づいた。
そういえば、自分は政治に対する興味が薄い。
でもそれってすごく危険だ。
自分が「社会とは?」という問いに対して「日本社会=日本人一人ひとり」という理想論を強く持っているからかも。
どれだけ政治家を選ぼうが、自分たちがしっかり意思をもって生活していかなければ政治は同じことを繰り返す気がする。でもだからって、自分は今日本の法律に沿って生活しているわけで、日本で暮らしているわけで。それらのルール、仕組みの中で恩恵もそれ以外の影響も、良くも悪くも受けながら生活している。
そう思うと、政治に無関心ではいけないなと改めて思いました。(うお。関心ないなんてホント恥ずかしいな…おたんちんと呼んでください…ホント恥ずかしい…orz)

林君の「この先つくりたい日本の未来」を実現するため、自分はなにができるのか、何をすべきなのか、わからなくなってしまった。という気持ち、ちょっと共感しました。
だからって自分が何ができる人間って言われると何にもできないんですけど。
でも確かに私たち一人ひとりが日本人であり、これからの社会を作っていく。言葉にするとなんか大業をなす、みたいに聞こえてしまうけど、これはそんな大それたことじゃなくて、ただ、ここにある事実。だと私は思っている。(理想論かもしれないが、そう考えないと自分にできることがなさすぎて逆に路頭に迷う、という面もあり、この考えをもっている)
だからこそ「社会のためになんかやってやろう」っていう気持ちじゃないけど、私たち一人一人が「日本で生きる(=生活)」する以上、自分たちが社会を作っていく(担っていく)と思う。
だからこそ私たちの生活の仕方は、この先の日本の生活の仕方とリンクしていくとおもう。

私たちの生活が、今後の日本を作っていく。
私たちの価値観、考え方が、自分の生活を作っていく。
そう考えると、今どう生活するかですら、今後の日本に繋がっている。
(まあ、自分が生活変えたところで日本全体から見れば針の穴をつついたようなもんですが、そうだとして自分はどう生きたいのかが大事だと思う。)
今のところそこに行き着いて、さて、では「どう生活していくのか?」ということにもがもがともがいているところです。

「そもそも日本だけの未来なのか?世界のことは考えなくていいのか?」
…大事な問いだと思う。
答えはないかもしれないけど、少なくとも、「日本だけの未来」で考えていくことはできなくなっていくかも。
それを念頭に置いたうえで、今自分のいる場所で努力することしかできないと思う。
私たちは一つの身体しか持ってないから。
そしてすべてにとって良いという方法をとれない時だってあると思う。
でも前言ったように、林君一人の手が差し伸べられてるとは限らない。つながっていくものがあると思う。

なにが正しいとか悪いとか、そんなものさしで図っても意味ないけど、でも「幸せに暮らす」ことを考えたとき、自分が幸せに暮らすには、自分の幸せも、周りの人の幸せも、考えていかないと、「幸せ」にはなれないと思う。
人は一人では生きていないから。人は人間だけでは生きていないから。
たくさんの人、動物、虫、微生物、有機物、無機物にリンクしながら生かさせて頂いてる。
だから「世界」って切り離せない気がする。たとえ考えようとしなくても…。

んー…こんなことを考えてはいるけど、「だからどうする」の細かいところを考えていかないとね。
さて、今日も、「もやっとも」です。(-△-)
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記事ありがと~。 (kuko)
2011-11-04 21:45:35
ん~、私は震災前に自分が生活している社会に対して相当がっかりしてたからその辺はちょっと違うのかも(でも似てるような気もする)。。?原発以外でも自分の良心にとって耐え難いのに、結局加担してる社会悪ってたくさんあって、原発も含めてだけどそういう状況をどう受けとめていけばいいんだろうってたぶんずっとどこかで思ってた(まあ今も)。
考えたくないけど、どうしようもないことってこれからもきっとあるんだと思う。いままでも世界のいろんなところで、ただ誠実に生きたいと思っていた人たちが、愕然とさせられるようなことが何度もあったんだと思うから。で、愕然としたあとでどうしたのか。こんな世界にこれから生まれてくる子供はなんて不幸なんだと絶望したあとでどうしたのか。自分のことも世界のことも否定的にしか見れなくなったあとで、どんなふうに考えてきたんだろう。
今は、もっと物事をニュートラルに見るようにしたいって思ってる。これは正しいとかあれは悪だとか間違ってるとか馬鹿なことだとかかわいそうとか下品だとか、そういう価値評価から、少し距離をとれるようになりたい。残酷なこと、醜いこと、えげつないこと、そういうことがあるえる世界なんだ、存在しえる世界なんだ。世界のほうには人間の良心とか理性とか理想とかそういう縛りはないんだ。それから、人間だって自分たちが思っているほど高級で立派な生き物じゃない。いい加減でずるくてあてにならない。どんな人にもそういう面があると思う。それはだめだとか言うよりも、そういうものだわなって認めるほうが現実的(適応的?)な気がする。そういう世界で、そういう人間が生きているんだから、思いもよらないことも起きてしまうだろう。そう思っていれば、びっくりするようなことがあっても、もう少し冷静でいられるかもしれない。それに、そもそも完璧な人間でないと対応できない技術には警戒しよう、ってならないかなー…。


田口ランディさんの本は読んでないけど、ブログはけっこう読んでるよ。読んでるとちょっと気持ちが落ち着く。「ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ」も気になる。

結局ゆーまの記事のコメントになってないかも。
最近はうだうだ考えてるとめんどくさくなってきて、けっこうなげやりなときが多いけど、私もみんなといろいろ話がしたいです。
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