秋の声・秋の果実 (獅子吼12月号の主宰句鑑賞)

2022年01月02日 | 主宰句・主宰句鑑賞
 二年前に「道統の一句鑑賞」を書かせて頂きましたが、今回はその時の倍の紙幅=文字数です。主宰の二十四句をよく読み込んだ上で、私自身の思いを書かせて頂きます。半年間よろしくお願い致します。

◆秋の声三句
  碑の声なき声も身に入むる     鵠士
  異界よりの便りと見たり荻の声   鵠士
  秋声として父の声母の声      鵠士

 「秋の声」を歳時記で引くと、「空気の澄む秋は遠くの物音も良く聞こえ、繊細になった聴覚が様々な秋の気配を捉える。」とあります。今回の二十四句の中では三つの「声」が詠まれました。
 最初の句は、「碑(いしぶみ)に刻まれた句を読めば、異なる時代を生きた俳人の思いが、其人の声となって私の心に伝わって来る。」というような意味でしょうか。常日頃古い碑を尋ね歩かれる主宰の熱い思いが静かに感じられます。
 二句目の馴染みの少ない季語「荻(オギ)の声」は、水辺に群生する荻の葉を吹き渡る風音の事。物寂しい銀色の風景を視覚と聴覚で捉えて「異界よりの便り」と主宰は喝破しました。ここで使われる「異界」という表現には何か深い意味が感じられます。
 三句目では、澄み切った秋の空気が、懐かしいご両親の声を主宰の耳元まで届けてくれました。柔らかな日差の秋の日にこの句を口遊めば、誰もが父の声母の声を聞けそうな気がします。



◆秋の果実四句
  有の実の一つだになし卓の上    鵠士
  重力に生まるる歪みラ・フランス  鵠士
  駅弁の上に一つを青蜜柑      鵠士
  山の幸里に転がり落ちて栗     鵠士

 実りの秋は果実の美味しい季節です。今回は俳諧味たっぷりの四句が詠まれました。
 先ずは有の実と呼ばれる梨。梨を食べたいが今は我が家のテーブルには一つも無い、という状況をユーモラスに詠んでおられます。二句目は西洋梨のラ・フランス。その下膨れの歪んだ形状は、地球上の物体に下向きに働く「重力」の所為(せい)である、という主観的な把握が愉快です。ただ、何故ラ・フランスだけに重力が働いたのかという疑問は残ります。
 次は色付く前の青蜜柑です。列車の旅の一番の楽しみは駅弁。その上に青蜜柑がおまけのように一つ載せられた瞬間を活写しました。「一つの」でなく「一つを」として「動き」が描かれたように思います。最後は栗。四句の中で私の一番好きな句です。山の幸がコロコロと里まで転がり落ちて、毬が弾けたら艶々の栗が現れました。まるで一編のお伽噺が綴られたような一句です。殊に、中七下五の「里に転がり落ちて栗」の滑らかな表現には極上の心地よさを感じます。

2 コメント

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僕はやはり、山の幸 (健人)
2022-01-05 08:25:50
里に転がり落ちて栗
ユーモラスな味わいが何とも言えません。
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駅弁の (きりぎりす)
2022-01-04 15:04:48
上に一つを青蜜柑
何となく懐かしく、好きですね。
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