・・・途中の駅名看板を車窓から・・・
普通列車乗り継ぎなので意外に時間がかかり、片道約2時間の旅でした。
往路は中津川で乗り継ぎ時間があったので、途中下車。
駅前付近を散策して、駅舎左手の観光センターで、早々とお土産購入。
家族から要望のあった「栗粉餅」10個入りで1,050円也。
栗きんとんとはちょっと違う味わい。
粉がパラパラこぼれるので、ちょっと食べづらかったね・・・。
~山あひの 川ぞひの町 秋うらら~
現地到着はお昼近くなりましたが、
蕎麦の有名な「車屋」はどこかと、ふらふらと散策開始。
駅が少し高い場所にあるので、だらだら坂を下り、
繁華街らしきところまで行くと、そこだけ人だかりのあるお店。
道路に溢れて人が待っているので、先に観光をしてと思い、先に進む。
~秋の川陰る崖家作りかな~
川幅は20~30mだったかな。
轟々と流れる木曽川にかかる橋から景色を眺め、
腹が減ったなあ~という思いのほうが強くて、いい句は浮かびません・・・。
川淵にとても不安定な数階建ての木造建築があるのを見て、
大丈夫なのかなぁ・・・と訝しく思ったものの、それっきり。
後からガイドマップを見たら、「崖家作り」という建造物だったようです。
~秋日和 格子の多き 上の段~
足湯もある川沿いの道に手頃なレストランはありません。
道路右手に細い上り階段が続いており、
名所案内らしき道標もあるので、上ってみました。
古い街並みの地区は「上の段」とあり、どうも「うえんだ」と(も)読むらしい。
~あかあかと紅葉照り映ゆ堂の前~
辺りの山々はまだ青々としていて紅葉には早く、
「上の段」の一角にあった大きな葉っぱのカエデだけが、キレイに色づいていました。
続いて祭り屋台などの収納された展示館があったので、立ち寄り。
木曽節の由来を読んで、明治大正のこの地の歴史をかじりました。
当時の町長さんが木曽節の曲と踊の振興保存会を作り、
免許皆伝の免状の発行を始めたとの事。
その結果、木曽節が全国に知られるようになったという事です。
街並みは古い味わいがあり、こんな道標もあったりして、
木曽路にきたなぁという思いもありましたが、
土地の人は何で生計を立てているのか、やっぱり過疎なのかなぁとか・・・。
帰り道「車屋」の前を通ると、まだウエイティングの行列・・・。
今度は本当に諦めて、駅前に戻り、観光土産店の2階食堂で、
熟年登山グループに囲まれながら、いちおう信州蕎麦をすすりました・・・。
~寝覚過ぐ秋の陽射しの二三秒~
往きに「寝覚ノ床」をちらっと見かけたので、帰りこそと携帯を構えたのですが、
鈍行列車ながらも、あっという間に過ぎ去り、シャッターチャンスを逸しました
~山並みを滑りて降る秋電車~
木曽福島と中津川の間に、駅の数は10ありました。
走り始めると結構高速なので、上のような句が浮かびましたが、
途中で特急待ちがあったりで、ドンコ旅は、のんびりのんびり・・・。
~二時間をのんびり帰る秋の旅~
帰りも中津川で乗り換えて、暗くなった頃、高蔵寺に到着。。。
名古屋で同窓会のあった奥様と、図らずも同じ時間になり、一緒に帰った次第です。
まぁ、なんてこと無い、日帰りの旅でした。
ちょっと顔がひりひり。山は紫外線が強いんですね。
遅く出たのと、下調べなしの無計画では、実りも少ない一人旅。
お金の無駄遣いだったようにも・・・。
ところで、
運賃が片道2,000円近くしたので、
当日朝、トイカに5,000円チャージしたところ、
木曽福島の駅では機械がないので使えませんと言われ、
現金で支払う羽目になりました。・・・。
~五千円トイカチャージが宙に浮き~
今回の中では、木曽節の話が一番の収穫でした。
亡くなったかみさんの親父が、
酔っぱらうと上機嫌で木曽節を唄っていたのを思い出します。
クラークケントが新聞記者をやめ、
ネットビジネスに転進したそうで、
そんな記事を読んで、電車の中で思いついたのですが、
やっぱ naka735 のままで行くことにしました。
これ以上暗~くなると良くないから・・・。