しめやかに焼石駅に秋の雨 鵠士
下りの高山本線が飛騨金山駅に着くと飛騨地方に来たのだと実感します。その次の駅が「焼石」です。「やきいし」と読んでもおかしくないですが「やけいし」と読みます。
実は焼石は私の生まれた土地で、駅に程近い鉄道官舎で産湯を使いました。多分三歳ぐらいで各務原に引っ越したので焼石の具体的な記憶は全くありませんが、物心ついてから父母や兄の話を聞くにつけ、懐かしい場所として心に焼き付いています。
焼石駅には大人になってから二三回、車で立ち寄った事があります。無人駅になって駅員のいないがらんとした駅舎は寂しいもの。一日の停車本数も往復で二十本あるかどうかというところでしょうか。鉄道官舎がどの辺にあったのかも分かりませんが、掲句の静かな秋雨の焼石駅は、私の心の中の焼石駅の風景とシンクロするように感じます。
鵠士宗匠はおそらく若き日を過ごされた高山に用事があり、その帰路、三十秒停車した列車の窓から焼石駅を眺め、束の間の印象を一句に詠まれたと想像します。しめやかに降る秋の雨と、焼石という駅名のミスマッチが心を捉えたのではないでしょうか。
下りの高山本線が飛騨金山駅に着くと飛騨地方に来たのだと実感します。その次の駅が「焼石」です。「やきいし」と読んでもおかしくないですが「やけいし」と読みます。
実は焼石は私の生まれた土地で、駅に程近い鉄道官舎で産湯を使いました。多分三歳ぐらいで各務原に引っ越したので焼石の具体的な記憶は全くありませんが、物心ついてから父母や兄の話を聞くにつけ、懐かしい場所として心に焼き付いています。
焼石駅には大人になってから二三回、車で立ち寄った事があります。無人駅になって駅員のいないがらんとした駅舎は寂しいもの。一日の停車本数も往復で二十本あるかどうかというところでしょうか。鉄道官舎がどの辺にあったのかも分かりませんが、掲句の静かな秋雨の焼石駅は、私の心の中の焼石駅の風景とシンクロするように感じます。
鵠士宗匠はおそらく若き日を過ごされた高山に用事があり、その帰路、三十秒停車した列車の窓から焼石駅を眺め、束の間の印象を一句に詠まれたと想像します。しめやかに降る秋の雨と、焼石という駅名のミスマッチが心を捉えたのではないでしょうか。
「木村旅館」にお世話になってからもう5年が経つたんですね。位山登山はホントに楽しい思い出です。そしてその後の五年間は色んな事がありましたが、人生は毎年少しづつ変わって行きます。
来年はとにかくコロナが完全に終息する年になって欲しいですね。どこへでも自由に行ける世界に早く戻ってもらいたいものです。
私の心の内をそっと掬って頂いたような気がします。
飛騨金山にも数年前の楽しい思い出があります。長兄の同級生の嫁いだ家が飛騨金山駅から3分ほどの所ににあり、そこに兄弟三人で泊めて頂きました。ご主人を亡くされて、今は悠々自適で晴耕雨読の生活をしている方ですが、山歩きが趣味で、案内され高山近くの位山に四人で登りました。山頂でのお弁当はお手製の朴葉寿司でした。その方に教えて頂いた癌予防の野菜スープを毎晩作って飲んでいます。
をしていました。きのこ鍋を思い出しました。
幼い頃の郷愁は記憶になくても心に生きているのでしょうね。古い駅舎と秋の雨、映画の一場面のようです。列車の窓から眺める景色は一入思いを募らせますね。貴兄の心象風景を覗いたようです。