色づきの早い遅いも十二月
紅葉のピークは十二月初旬というところも多いと聞きますが、
場所により、木の種類により、微妙にピークは違うようです。
とは言え、このブログを書いている今はもう十二月も半ば。終わりましたね。
あでやかな紅葉画像に納まらず
最後に行った「川見(せんみ)四季桜の里」で、
家内のスマホで何ショットもとったのですが、
忍び寄る夕暮れの淡い光では目に映るようにあでやかには撮れず!
ブログに乗せられるような画像はゲット出来ませんでした。
冬日没る山の端薄く染めながら
冬日没る渋滞に巻き込まれつつ
もう帰り道の句になっていますが、
この日は晴天に恵まれて、
綺麗な夕焼けを眺めながらの家路の二句です。
錆色の枯葉生き生き枝に満つ
枯葉も少し雨露にぬれると意外に生き生きと見えるもの。
逆説的な表現で、ちょっと枯れた葉っぱを賛美してみました。
青竹を添えて自然薯売られけり
この日小原村では「自然薯祭」をやっており、
和紙の里の駐車場では、長い立派な自然薯の即売と、
とろろご飯一杯五百円の振る舞いがあり、舌鼓を打ってきました。さすがです。
土産に買った自然薯一本、後日摩り下ろして美味しく頂きました。
とにかく粘りが凄いです。箸でつまむと全部ごっそり上がって来るので、
別の箸で切っては一人前という感じで頂きましたよ。
さくら咲く小原の里や神の留守
四季桜という季語は存在しないので、どう詠むのかと悩みました。
「神の留守」の季語を使って6日の句会に出したところ、どなたにも選んでもらえず・・・。
終了後、先生にお聞きしたところ、冬櫻で読むのが順当でしょうとの事でした。
冬桜残る紅葉とともに愛で
冬櫻時空を超えて村ぢゆうに
で、このような句になりました。
いいのか悪いのか分かりませんが、
今月の獅子吼投句の7句の中にどちらかを入れるつもりです。
ちょっとタイムスリップした感じのする小原村でした。
粧ひし山もそろそろ眠りへと
ホントに幸せな一日でした。
小原村ってなんか不思議なところです。
江戸時代ぐらいの人がそのまま住んでいるような、
そんな雰囲気がただよっています。
家から車でわずか一時間で行けるのも意外でした。
また頑張って書きま~す。
マカフィーなどでウイルス防止のためではないかなーなどと言っておりました。ほんと年寄りには厳しい世界になってきました。が、試行錯誤のせいか?送れたことは喜ばしいことでした。
追伸 一度「落柿舎」の句会に参加してみたら、大 勢の人たちで賑わっていましたよ。
会社でブログにコメントを付けているようではね。
でもこれからもどんどんよろしくお願いします。
私もどんどん書きたいと思います。
と言いつつ、これまでも、なかなか書けなかったですが。