A2 「自由」ではなく、強者によって「管理」された貿易です
ノーベル経済学賞を受賞したアメリカの著名な経済学者のジョゼフ・E・スティグリッツ氏は、「TPPは特定集団のために『管理』された貿易協定だ」と述べています。もしTPPが純粋に自由貿易(関税ゼロ、非関税障壁を廃止)を実現するもので、そのことに各国も同意しているのだとしたら、交渉はここまで長期化せず、また協定文もこれほど複雑で膨大(英文で6,500ページ以上)なものにはならなかったでしょう。
しかし実際には、TPP協定文の30章のなかで貿易に関わる章はたったの5つで、残りはルールに関する部分。つまり各国の法律や規制を、グローバル企業の都合がいいように変えていくための中身です。一方、各国には譲れない領域もあるため、結果的にTPPは、自由貿易という意味では「不完全な」協定になっています。そもそも、環境にかかわる規制や食の安心・安全にかかわる規制、また自動車の排ガス規制、金融規制など、私たちの暮らしに欠かせないルールも、輸出を増やし国際的なサプライチェーンをつくりたい企業にとっては「反貿易的」となります。しかし、だからといってこれらの規制をなくすことは社会のあり方そのものへの脅威となります。
スティグリッツ氏はまた、「協定のそれぞれの条項の背後には、その条項をプッシュしている企業がある。米通商代表部(USTR)が代弁しているのは、そういう企業の利益であり、決してアメリカ国民の利益を代弁しているわけではありません。ましてや日本人の利益のことはまったく念頭にありません。『規制を取り払え』という考え方は、じつにばかばかしい。問うべきなのは、『どんな規制が良い規制なのか』ということのほうなのです」とも指摘しています。
じつはスティグリッツ氏は、2016年3月に来日し、首相官邸で日本の経済政策について意見を述べています。その際、消費税増税への反対だけが報道されましたが、来日講演の大半がTPP批判であったことはあまり知られていません。(内田聖子)
A1 大企業と富裕層1%がさらなる富を得るためのルールです。
今世界では、最も裕福な上位10%の富裕層が世界の富の87.7%を所有しています。日本でも2%の富裕層が純資産1億2000万円以上の富を得ている一方で、貧困率は6人に1人(2014年)。ひとり親など大人1人の世帯に限れば貧困率は54.6%で、先進国で最悪の水準です。
1980年代は、富裕層がより豊かになれば、いずれ貧困層にも富がこぼれ落ちる「トリクルダウン」が信じられていました。しかし30年以上たった今、行き過ぎた市場原理主義や自由貿易推進こそが、世界の貧困・格差を生み出す原因であることが実証されています。グローバル経済の推進者である経済協力開発機構(OECD)や世界銀行、自由貿易を推奨してきた経済学者たちも認めていることです。
TPPは、こうした負の教訓を無視し、一部の富裕層や大企業・投資家にとって有利なルールをさらに進めようとするものです。交渉や協定文作成に関与してきたのは米国の大企業やロビイスト、大企業から政府交渉官に「転職」した人たちです。米通商代表部(USTR)のトップであるマイケル・フロマン氏は大手銀行シティ・グループ出身であり、製薬企業の元重役が「知的所有権」の交渉官、保険会社出身者が「金融サービス」の交渉官、モンサント出身者が「衛生植物検疫」の交渉官……ということも当たり前の世界です。
TPPの他にも、現在世界では「メガFTA」と呼ばれる貿易交渉が着々と進んでいます。米国とEUの間のTTIP(環大西洋貿易投資パートナーシップ)や日本、米国、EUなど50か国からなるTiSA(新サービス貿易協定)、さらには「中国版TPP」ともいわれるRCEP(東アジア地域包括的経済連携)などです。これらはいずれも、大企業優先のルールであり、ISDS条項が含まれ、秘密交渉である点などTPPと共通しており、参加国の市民社会からは貧困と格差を助長し、人権や環境に悪影響を及ぼすと強く批判されています。(内田聖子)
TPP(環太平洋連携協定)の妥結に不可欠といわれたTPA(オバマ大統領への一括交渉権限付与)法案が米国で可決されたときに「前進だ、前進だ」と言うばかりでなく、議論すべきことがあった。この顛末は、米国全体がTPPを推進しているわけではまったくなく、TPPを推進しているのは誰なのか、ということを改めて思い知らせた。
TPA法案は、下院で実質的に一度は否決されたが、法案を分解して再採決する動議がわずか1票差で上院を通って、結果的に可決された。下院では、オバマ大統領の与党の民主党のほとんどはTPAとTPPに反対で、逆に野党の共和党の大半が賛成だから、TPAへの反対と賛成は、ほぼ200票ずつで拮抗し、10票以内の僅差で可決された。官邸の方向性に絶対服従の大政翼賛会のような某国の与党とは別世界で、米国のほうが、よほど民主主義的である。
米国では、文字通り、国論を二分した対立になっている。TPPを推進しているという米国でさえ、これほどTPP反対の声が強いということは、TPPが無条件に絶賛するような代物では到底ないことの証左だと改めて日本国民が認識すべきなのに、逆にTPA成立のために日本政府が億単位の資金をロビイストに投じて反対派議員の説得工作を行った。
そもそも、米国議会では、すでに2013年12月の米国下院の一般演説で、民主党議員の中から、「NAFTA(北米自由貿易協定)により全米で500万人が製造業での雇用を失った。米国労働者の利益よりもグローバル企業の利益を優先している。」(ポーカン議員)、「議会における我々の仕事は、ここに我々を送ってくれた人達を代表することだ。自社の利益幅を拡大するために、できるだけ安い労働力を見つけたいとする企業やCEO(最高経営責任者)の利益を代表するのは我々の仕事ではない。」(デローロ議員)などの声が挙がっていた。
つまり、TPPは、「米国対日本」というような国家間の対立ではなく、「多国籍企業経営陣」(の形成するムラ)対「市民」の対立、「せめぎ合い」なのである。米国では、「回転ドア」の人事で政府は巨大企業の経営陣に「乗っ取られ」ている。共和党は、選挙資金で大企業と結び付いている。それを支える経済学がシカゴ学派である。経済学ほど政治的な学問はない。かたや、大企業の利益のために「収奪」される市民や労働者の労働組合や、環境が疎かにされるのを心配する環境団体などが民主党を頼りにしているから、民主党は市民の権利と生活を守る代表としてTPPに反対する。こちらに近い理論を展開するのが、ノーベル経済学賞を受賞したスティグリッツやクルーグマン教授である。
経済同友会の幹部の方も先日話していたが、いまや企業は国を超えた範囲でビジネスを展開しているから、企業の利益とその国ないし国民の利益には乖離が生じている。例えば、日本でいえば、世界一の自動車メーカーがTPPで利益を得たとしても、多くの工場はすでに海外にあり、さらに、その流れが進むとすれば、それは日本国民には還元されない利益であり、日本国民の雇用の場はむしろ減少する。巨大企業と連携してきた関連企業の経営環境も悪化するだろう。
オバマ大統領がTPP妥結への姿勢を強めた最大の理由の一つが中国主導のAIIB(アジアインフラ投資銀行)であるが、ここにも多国籍企業の利益が絡んでいる。米国が事実上、米国発の多国籍企業が途上国から利益を得るために活用してきた世界銀行とIMF(国際通貨基金)による「収奪」体制がAIIBによって崩される心配がある。米国は世銀やIMFの融資の条件として米国企業に有利な規制緩和やルール改変(関税・補助金・最低賃金の撤廃、教育無料制・食料増産政策の廃止、農業技術普及組織・農民組織の解体など)を強いてきたからである。TPPで米国企業によるアジア諸国からの「収奪」を一層し易くしようとしているところに、AIIBによって、それに逆行する流れが作られることは阻止したい。「アジアのルールは米国がつくる」というオバマ大統領の不遜極まりない発言は、そういうことである。
米国の穀物メジャーになどよる自己利益のための開発政策から脱却し、真に途上国の農民の貧困削減につながる開発援助投資が行えるように、中国・ロシア・インドなどの新興国が中心となってAIIBを立ち上げた側面も認識すべきである。これ以上、思考停止的に、中国にはむやみに対抗し、一方で、米国には盲目的に追従する姿勢を続けることでは、最終的にはどこからも見放されて孤立し、日本の国民を守ることはできない。
今の日本では、「今だけ、金だけ、自分だけ」=「3だけ主義」で、どこかにしわ寄せをして自らの目先の利益を追求する風潮が強いように思われる。買いたたきや安売りをしても、結局誰も幸せになれない。それでは、結局、皆が「泥船」乗って沈んでいくようなものである。「3だけ主義」でなく、「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」でなくては社会の持続的で均衡ある発展(inclusive growth)は望めない。皆が持続的に幸せになれるような適正な価格形成を関係者が一緒に検討すべきである。安さを求める消費者とマーケットパワーの強い小売部門が食料の産地や加工部門に安さを強いることが結果的に安全・安心を破壊し、生産そのものも縮小させてしまい、国民の食の安全保障を質的にも量的にも崩壊させる。消費者と小売部門も結局自らの首を絞めている。食料に安さだけを追求することは命を削ること、次の世代に負担を強いること、その覚悟があるのか、ぜひ考えてほしい。
以前に比較して、政治や企業のリーダーは「今だけ、金だけ、自分だけ」の追求については極めて有能であるが、社会全体の発展や持続性を考慮する資質は明らかに落ちてきているように思われる。巨額の個人的利益を得ている一部の人が、政府の中枢に入り込んで、「規制緩和」の旗印の下に、露骨に、さらに貪欲に「今だけ、金だけ、自分だけ」で、多くの国民の生活を犠牲にしつつ、私益を追求する行為は目に余るものがある。
また、市場支配力が存在する市場での「規制緩和」は市場の歪みを是正するのではなく、さらに一部の利益を増大させる形で市場の歪みを増幅することを認識しなくてはいけないにもかかわらず、独占・寡占は放っておいても是正されるとして、「とにもかくにも規制緩和」を主張するシカゴ学派の論理展開は、いかに特定の人々に都合が理屈であるかと思わざるを得ない。
ヘレナ・ノーバーグ=ホッジさんは、『いよいよローカルの時代~ヘレナさんの「幸せの経済学」』(ヘレナ・ノーバーグ=ホッジ、辻信一、大槻書店、2009年)の中で、概略、次のように述べている。「多国籍企業は全ての障害物を取り除いてビジネスを巨大化させていくために、それぞれの国の政府に向かって、ああしろ、こうしろと命令する。選挙の投票によって私達が物事を決めているかのように見えるけれども、実際にはその選ばれた代表たちが大きなお金と利権によって動かされ、コントロールされている。しかも多国籍企業という大帝国は新聞やテレビなどのメディアと科学や学問といった知の大元を握って私達を洗脳している。」やや極端な言い回しではあるが、こうした事態からの脱却が、本当の意味で、「日本を取り戻す」ために急務と思われる。
このままでは、我々が伝統的に大切にしてきた助け合い、支え合う安全・安心な地域社会は、さらに崩壊していく。しかし、「今だけ、金だけ、自分だけ」では持続的な地域の発展も、国民の命も守ることもできない。地域を守ってきた人々や相互扶助組織は不当な攻撃に屈するわけにはいかない。我々が発展してこられたのは、「3だけ主義」と正反対の取組みをしてきたからである。自己の目先の利益だけを考えているものは持続できない。持続できるものは、地域全体の将来とそこに暮らすみんなの発展を考えている。我々には地域の産業と生活を守る使命がある。このような流れに飲み込まれないように踏ん張って、自分たちの地域の食と暮らしを守り、豊かな日本の地域社会を次の世代に引き継ぐために、今こそ奮闘すべきときである。
一方、TPPで利益を期待する「1%」の方々は「3だけ主義」(今だけ、金だけ、自分だ)に陥らず、「3方よし」(売り手よし、買い手よし、世間よし)で、人の健康、雇用者の生活、環境にも配慮して、遍く行き渡る均衡ある(inclusive)発展を目指すことこそが自身の企業経営と経済社会の持続の道なのだということを思い出していただきたい。
筆者は競争を否定しているのではない。結局は、競争の名目で、負担が一部の人に押し付けられる。安さを求める消費者とマーケットパワーの強い小売部門が食料の産地や加工部門に安さを強いることが結果的に安全・安心を破壊し、生産そのものも縮小させてしまい、国民の食の安全保障を質的にも量的にも崩壊させる。消費者と小売部門も結局自らの首を絞めている。タクシー業界やバス業界の規制緩和も同じである。結局、経営陣はツケを、賃金カット、安全性の対策費のカットに回してしまい、働く人も利用者も危険にさらされ、皆が泥船に乗っていることに気付かなくてはならない。そこには持続性のある均衡ある発展(Inclusive Growth)はない。
つまり、規制緩和すべき側面もあろうが、ただ、市場における強者が弱者にしわ寄せするような競争ではなく、全体が持続できるような市場の相互扶助的ルールが必要なのである。つまり、最適点は、保護か競争かの極論ではなく、その中間のGolden Mean(中庸)にある。それを提示できる理論が必要である。
筆者は、経済学を否定しているのでもない。世界の1%の巨富が増えて99%が貧困化しても世界全体の富が増加すれば効率化された(実際、「世界の最富裕層1%の保有資産、残る99%の総資産額を上回る」とのデータも出されている。http://www.afpbb.com/articles/-/3073560?cx_part=nowon_txt) とし、独占・寡占を取るに足らぬ問題として、規制緩和=一層の富の集中を後押しする「経済学」がおかしいのである。競争を否定しないが、ルールなき競争でなく、Inclusive Growth につながる市場の条件整備やルールが不可欠であり、その最適な水準を提案できるGolden Mean(中庸)の経済学が必要である。
社会で、そうした議論ができるためには、すべての分野について、経営陣と労働組合のパワーバランスのような、正常なカウンターベイリング・パワー(拮抗力)の存在が不可欠である。現在の日本は、政治も市場も、一方の 強大な力が強くなりすぎ、対抗する力がさらに巧妙に潰され、社会が極めて偏った危険な方向に突進しかねない状況にある。内閣での外務・経産省vs農水省、政治での官邸vs党、与党vs野党、官邸vsメディア、市場における小売vs製造vs農家など、あらゆる側面で正常なパワーバランスが失われている。1日も早く、社会の諸力のバランスを回復しないと危うい。
長期的・総合的な利益と費用を考慮せずに、食料などの国内生産が縮小しても貿易自由化を推進すべきとする「自由貿易の利益」を語るのは見直す必要がある。まず、各国が国内の食料生産を維持することは、短期的には輸入農産物より高コストであっても、目先の安さのみしか見ていなかった原子力発電の取り返しのつかない大事故でも思い知らされたように、輸出規制が数年間も続くような「お金を出しても食料が買えない」不測の事態のコストを考慮すれば、実は、国内生産を維持するほうが長期的なコストは低いのである。
そして、狭い視野の経済効率だけで、市場競争に任せることは、人の命や健康にかかわる安全性のためのコストが切り詰められてしまうという重大な危険をもたらす。特に、日本のように、食料自給率がすでに39%まで低下して、食料の量的確保についての安全保障が崩れてしまうと、安全性に不安があっても輸入に頼らざるを得なくなる。つまり、量の安全保障と同時に質の安全保障も崩される事態を招いてしまうのである。
環境からの大きなしっぺ返しが襲ってくるコストも考慮されていない。環境負荷のコストを無視した経済効率の追求で地球温暖化が進み、異常気象が頻発し、ゲリラ豪雨が増えた。狭い視野の経済効率の追求で、林業や農業が衰退し、山が荒れ、耕作放棄地が増えたため、ゲリラ豪雨に耐えられず、洪水が起きやすくなっている。全国に広がる鳥獣害もこれに起因する。すべて「人災」なのである。
そして、農林水産業の衰退は、伝統文化も含む地域コミュニティの崩壊・消滅につながる。一部の人々の儲けが大幅に増大したとしても、地域の大多数の人々の生活は崩壊し、所得格差が拡大し、失業も増える。
見落とされているのは、「分配の公平性」の問題に加え、失業者が増えることによる社会的コスト、価格競争で安全性が疎かになるコスト、環境にダメージを与えるコスト、不測の事態に備えるコスト、地域社会が失われるコストなどである。総合的・長期的な損失を考慮しない「今だけ、金だけ、自分だけ」の視点で突き進んでくのは、結局、みなが「泥船」に乗って沈んでいくようなものである。目先の利益を得たつもりの者も、自分たちも持続できなくなることを気付くべきである。
結局、安さを求めて、国内農家の時給が1,000円未満になるような「しわ寄せ」を続け、海外から安いものが入ればいい、という方向を進めることで、国内生産が縮小することは、ごく一部の企業が儲かる農業を実現したとしても、国民全体の命や健康、そして環境のリスクは増大してしまう。自分の生活を守るためには、安全保障も含めた多面的機能の価値も付加した価格が正当な価格であると消費者が考えるかどうかである。そして、価格に反映しきれない部分は、全体で集めた税金から対価を補填する。これは保護ではなく、様々な安全保障を担っていることへの正当な対価である。それが農業政策である。農家にも最大限の努力はしてもらうのは当然だが、それを正当な価格形成と追加的な補填(直接支払い)で、全体として、作る人、加工する人、流通する人、消費する人、すべてが持続できる社会システムを構築する必要がある。
TPP交渉決着以前の時点で、TPP不安の蓄積も影響して、農村現場の疲弊は進んでいるが、先述のとおり、日本では、欧米のような直接支払いによる農業所得のセーフティネットの形成について、コメや酪農に象徴されるように、抜本的な対策は必要ないとの姿勢が崩されていない。過去5年の平均で収入変動をならすだけでは、最低限確保されるべき所得が確保できる保証がなく、生産者は将来見通しを持って、投資計画を立てることができない。このままでは、国民への基礎食料の供給がままならない事態が起こりうる。米国のように、保証される所得水準は高くなくても、最低限の所得の目安が持てるように、どういう水準になったら、どれだけの政策が発動されるという予見可能なシステマティクな政策を取り入れるべき岐路にあると思われる。ウルグアイラウンド決着時の6兆100億円や、2008~2009年の畜産危機での緊急支払いのような一時的な特別措置の「つかみ金」では実質的な有効性は低く、持続的な効果はない。政策発動がシステムとして組み込まれ、予見可能になると、政治家などが自身の力で実現したという体裁が取れなくなるため嫌う人たちもいるが、そのような身勝手は論理では現場はたまらない。生産現場が安心して、どこまでは自助努力で頑張り、どういうときには、政策がここまではサポートしてくれると見通して努力できるシステムを今こそ確立しておくべきである。そういう点で、米国の農業政策は、よく仕組まれている。ある面では、盲目的ともいえる米国追従を続けながら、どうして、いいところは真似しないのか。消費者も、自身の安全・安心な暮らしを守る観点から、いかに食料価格形成に関与し、自分たちの税金で直接支払いして対価を払う部分のあり方についても、政府に提案していく姿勢を持つべきではないか。農業政策は、農家保護ではなく、国民全体の安全保障費なのだと考える必要がある。
水田の4割も抑制するために農業予算を投入するのではなく、国内生産基盤をフルに活かして、「いいものを少しでも安く」売ることで販路を拡大する戦略が必要である。米粉、飼料米などに主食米と同等以上の所得を補填し、販路拡大とともに備蓄機能も拡充しながら、将来的には主食の割り当ても必要なくなるように、全国的な適地適作へと誘導すべきである。拡充した備蓄米を機動的に活用して10億人に近い世界の栄養不足人口の縮小に日本のコメで貢献することも視野に入れて、日本からの食料援助を増やす戦略も重要である。備蓄運用も含めて、そのために必要な予算は、日本と世界の安全保障につながる防衛予算でもあり、海外援助予算でもあるから、狭い農水予算の枠を超えた日本の世界貢献のための国家戦略予算をつけられるように、予算査定システムの抜本的改革が必要である。
欧米では小売サイドの大型化による市場支配力の強化によって酪農家が不利にならないように、政策介入が当然のものとして行われている。市場の機能に問題があり、適正な価格が形成されない場合には、市場介入は正当化される。それが欧米の認識である。
米国では、ミルク・マーケティング・オーダー(FMMO)制度の下、政府が、乳製品市況から逆算した加工原料乳価をメーカーの最低支払い義務乳価として設定し、それに全米2,600の郡(カウンティ)別に定めた「飲用プレミアム」を加算して地域別のメーカーの最低支払い義務の飲用乳価を毎月公定している。それでも、飼料高騰などで取引乳価がコストをカバーできない事態に備えて、最低限の「乳代-餌代」を下回ったら政府が補填する仕組みも組み合わせている。
さらには、米国の酪農協は、脱脂粉乳やバターへの加工施設(余乳処理工場)を酪農協自らが持ち、需給調整機能を生産者サイドが担える体制を整えることによって、飲用乳の価格交渉力を強めているが、これが米国で可能な背景には、米国政府が余剰乳製品の買上げ制度を維持し、国内外への援助物資などによる最終的販路を準備していることも大きい。今回の我が国の生乳取引改善策の検討では、民間ベースの改善努力のみが議論されているが、それだけでは解決できない問題だという認識を持たないと手遅れになる。
不完全な市場の規制緩和は不当な価格形成を助長する
今でも小売に「買いたたかれて」いるのに、「対等な競争条件」のために、生産者に与えられた共販の独禁法適用除外をやめるべきだという議論は、今でさえ不当な競争条件をさらに不当にし、小売に有利にするものであり、市場の歪みを是正するどころか悪化させる、誤った方向性であることを改めて認識しないといけない。
対照的なカナダ・スイス~「三方よし」の価格形成
2014年9月現在では、バンクーバー近郊のスーパー店頭の全乳1リットル紙パック乳価は3ドル(約300円)で、日本より大幅に高い。日本と比較して、メーカーのMMBへの支払飲用乳価(1ドル=約100円、日本とほぼ同水準)と小売価格との差は、小売価格が生産者乳価の3倍と大きい。
カナダでは、制度的支えの下での「州唯一の独占集乳・販売ボード(MMB)、寡占的メーカー、寡占的スーパー」という市場構造に基づくパワーバランスによって、生・処・販のそれぞれの段階が十分な利益を得た上で、最終的には消費者に高い価格を負担してもらい、消費者も安全・安心な国産牛乳・乳製品(米国の成長ホルモン入り牛乳は不安)の確保のために、それに不満を持っていないのである。つまり、「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」の価格形成が実現されているのである。ただし、そのためには、TPPで断固たる対応が必要になり、カナダはそれを押し通している。
真に強い農業とは何か。規模拡大してコストダウンすれば強い農業になるだろうか。規模拡大してコストダウンする努力は重要だが、日本の土地条件の制約の下では、それだけでは、オーストラリアや米国に一ひねりで負けてしまう。少々高いけれども、徹底的に物が違うからあなたの物しか食べたくないという人がいてくれることが重要だ。そういうホンモノを提供する生産者とそれを理解する消費者との絆、ネットワークこそが強い農業ではないか(注)。
スイスの卵の話も象徴的である。スイスでは、生産過程において、ナチュラルとか有機とか動物愛護とか、生物多様性とか美しい景観とかにも配慮すれば、できた物もホンモノで安全でおいしい。これらはつながっているので、スイス国民は、これを当たり前として支える。高いのではなくこれが当たり前なのだという感覚だ。実例として、筆者も見てきたが、輸入物の5倍もするような1個80円もする国産の卵のほうが売れていた。小学生ぐらいの女の子が買っていて、聞いた人がいた。その子は「これを買うことで生産者の皆さんの生活も支えられ、そのお陰で私達の生活も成り立つのだから当たり前でしょう」といとも簡単に答えたという。
このスイスの卵の例のように、これだけ高く買われていても、スイスでは生産費用も高いので、高くても買おうというときの理由と同様の根拠(環境、動物福祉、生物多様性、景観等)に基づいて、スイスの農家の農業所得の95%が政府からの直接支払いで形成されている。イタリアの稲作地帯では、水田にオタマジャクシが棲めるという生物多様性、ダムとしての洪水防止機能、水を濾過してくれる機能、こういう機能が米の値段に十分反映できてないなら、みんなでしっかりとお金を集めて払わないといけないとの感覚が直接支払いの根拠になっている。
根拠をしっかりと積み上げ、予算化し、国民の理解を得ている。スイスでは、環境支払い(豚の食事場所と寝床を区分し、外にも自由に出て行けるように飼うと)230万円、生物多様性維持への特別支払い(草刈りをし、木を切り、雑木林化を防ぐことでより多くの生物種を維持する作業)170万円などときめ細かい。個別具体的に、農業の果たす多面的機能の項目ごとに支払われる直接支払額が決められているから、消費者も自分たちの応分の対価の支払いが納得でき、直接支払いもバラマキとは言われないし、農家もしっかりそれを認識し、誇りをもって生産に臨める (安く売って補填で凌ぐのでは誇りを失うとの農家の声も多いので、農家の努力に見合う価格形成を維持し、高く買ったメーカーや消費者に補填するような政策も検討すべきではあるが)。一方の日本での漠然とした「多面的機能論」は、国民からは保護の言い訳だと言われてしまいがちである。欧米のように、消費者が自分たちの生存に不可欠で環境も地域も守る農業の生産物に応分の負担をして、しっかりとした値段で購入し、さらに足りない部分は税金からの多面的機能の具体的項目ごとに直接支払いで対価を支払うというシステムを日本に確立する必要があろう。
(注)コストでは負けても品質で負けてはならないのに、小麦などは、一般には、品質も海外産のほうがいいと言われている。これでは話にならない。引き合いが殺到するような自慢の品質を確立すべきである。個々が自身のオリジナル・ブランドを確立し、個別の販売ルートを確立し、販売力を高めることが重要だが、ブランド力はある程度量をまとめて供給できることによって強化される。全体の組織的結集力を軽視してしまうと価格形成力を弱めてしまう。「私の顧客づくり」なくしてはブランド力の強化はできないが、「カウンターベイリング・パワー」(拮抗力)の形成なくしては小売などの買手の市場支配力には対抗できない。つまり、組織力の強化と個別の「私の顧客づくり」とを矛盾させるのではなく、最高の形で融合させていくことが求められる。
食料関連産業の規模は1980年の48兆円から2005年の74兆円に拡大しているが、農家の取り分は12兆円から9兆円に減少し、シェアは26%から13%に落ち込んでいる。その分、加工・流通・小売、特に小売段階の取り分が増加していることが農林水産省の試算で示されている。このことから、特に最近の小売段階の取引交渉力が相対的に強すぎることが、いわゆる「買いたたき」現象を招き、農家の取り分が圧縮されている可能性が示唆される。
また、例えば、コンビニの105円の小売価格のおにぎりに占めるコメ(精米)の生産者売上分は16円に過ぎないとの試算もある。さらに、農業の様々な品目における1時間当たりの農業所得は、稲作農家平均で500円前後しかないことに象徴されるように、他産業における1時間当たり給与水準に比較して総じて低位で、しかも、その格差は近年も拡大しつつある。つまり、労働への対価を十分確保するだけの価格形成ができていない。
生乳流通・取引体制検討の欠落点~最大の問題にメス入れず
2015年7月2日の生乳流通・取引体制の自民党の取組案を見て、正直驚いた。肝心の問題が欠落しているからだ。乳業メーカーvs酪農協の取引の改善のみを議論しているが、最大の問題は、乳業メーカーvs酪農協の取引の改善ではなく、スーパーvs乳業メーカーの取引だからだ。乳業メーカーvs酪農協の取引の改善により酪農家の手取り乳価の向上を図ることも、もちろん重要ではあるが、乳価が上がらないのは、メーカーではなく、小売の市場支配力が大きいためであり、この点を議論せずして、乳価の改善はありえない。むしろ、乳業メーカーvs酪農協の取引の改善により酪農家の手取り乳価が向上できたら、スーパーから買いたたかれるメーカーは「板挟み」になり、「しわ寄せ」が酪農家からメーカーに移るだけで、根本的解決にはならない。
取引交渉力の不均衡
我が国では、2007~2008年の飼料・肥料・燃料等の高騰によるコストの急上昇にもかかわらず、乳価が上がらず、酪農経営が苦況に陥った。諸外国では、飼料危機当時にも、乳価上昇による調整が非常に迅速に機能した。
我が国では、大型小売店同士の食料品の安売り競争は激しいが、そのため、小売価格の引き上げが難しく、そのしわ寄せがメーカーや生産者に来てしまう構図がある。我々の試算(図3)では、我が国では、メーカー対スーパーの取引交渉力の優位度は、ほとんど0対1で、スーパーがメーカーに対して圧倒的な優位性を発揮している。一方、酪農協対メーカーの取引交渉力の優位度は、最大限に見積もって、ほぼ0.5対0.5、最小限に見積もると0.1対0.9で、メーカーが酪農協に対して優位である可能性が示されている。
端的に言うと、新旧プレイヤーの市場争奪戦である。ただ、サッカーの試合に例えると、地域の農業と生活を守ってきた既存のプレイヤーと、その市場を奪いたい新規プレイヤーが試合をしているが、レフリーはすべて市場を奪いたい側のプレイヤーが兼務しているという反則ゲームが行われているようなものである。
地域農協の販売力を強化して農業所得の向上を図ることが重要な課題であることに誰も異論はないが、今回の全中の監査権限の剥奪や全農の株式会社化や准組合員の規制は、農家の所得向上の取組みを促進することと、何もつながっていない。なぜなら、今回の農協「改悪」の最大の謳い文句が「農産物の販売力の強化による農家の所得向上」でありながら、実際に意図されているのは、この全くの逆だからである。「農協改革の目的は単協の自由度を高めて農産物の販売力を強化することだ」と喧伝しながら、本当の目的は①結集力を削いでTPP反対などを封じ込める、②農協からビジネスを奪う、ことである。販売力強化でなく弱体化が目的だ。
地域農協の自由度はすでに十分にある。いまの農協法の枠組みの中で、全国の農協は、創意工夫をして自由に販売戦略を立てている。全中や県中、全農に縛られているわけではない。よく話題になる福井県のある農協のような徹底した独自販売路線ではないまでも、実際には、多くの農協は、独自販売と系統販売をうまく組み合わせて、農家の手取りが最大化できるように工夫している。全中の監査権限が、それを妨げているという事実はない。
TPPやそれと表裏一体の規制改革、農業・農協改革を推進している「今だけ、金だけ、自分だけ」しか見えない人々は狙っている。「農協解体」は、350兆円の郵貯マネーを狙った「郵政解体」と重なる。米国金融資本が狙っているのは信用と共済の計140兆円の農協マネーであり、次に農産物をもっと安く買いたい大手小売や巨大流通業者、次に肥料や農薬の価格を上げたい商社、さらに農業参入したい大手小売・流通業者、人材派遣会社などの企業が控える。だから「農協が悪い」を大義名分にして、市場を奪おうとしている。
JAバンク、JA共済の「JAマネー」の奪取は日米金融・保険業界の「喉から手が出るほど」ほしい分野で、これを実質的に切り離されたら、代理店の手数料だけでは、営農指導などの非営利(本来的に赤字になる)部門を持つ個々のJAは存立不能である。それぞれの事業は単独では成立し得ない。
市場奪取には、准組合員が問題になる。結論は先送りされたが、単に先送りされただけだ。「岩盤規制の撤廃」と言いながら、ここについては「規制強化」である。彼らの主張の本質は「いかにして自分達が市場を奪取できるルールに変更するか」なのだということがわかる。農協は総合力で地域を支えているから信頼を得ている。准組合員が増えるのも、地域の人々が利用したいと思うからで、それを否定される筋合いはない。そんなことをしたら、困るのは地域住民である。預金や共済を無理やり解約させるというのか。准組合員比率が高いのは東京や神奈川などの都市近郊はもちろんだが、農協なしでは生活が成り立たない純農村にも多くなっている。農協を利用したい地域住民の自由な選択を規制で奪ったり、唯一の生活の支えである農協のサービスへのアクセスを奪うことは許されないはずである。
共同販売、共同購入が崩されたら、「対等な競争条件」どころか、農家が個々に分断されて、さらに農産物を買いたたき、資材販売で価格つり上げをしようとする企業の独壇場にしてしまう。それは農協組織のない途上国の農村で、いまも現実に起こっている事態であり、農村の貧困が解決されない根本的要因である。戦前の日本も同じだ。そこに逆戻りすることなる。独占禁止法の適用除外のミルク・マーケティング・ボード(MMB)が解体された英国の農村が「草刈り場」と化し、EUで最低の乳価に暴落した事実も忘れてはならない。生産者サイドの独占を許さないとしてMMBを解体し、独占禁止法上の例外規定も有しない協同組合に委ねたことが、大手スーパーと多国籍乳業の独壇場につながった。「対等な競争条件」にして市場の競争性を高めるというのは単なる名目で、実際には、まったく逆に、生産者と小売・乳業資本との間の取引交渉力のアンバランスの拡大による市場の歪みをもたらした。
結果的に農協を独禁法の適用除外にならなくするような農協改革論には、それによって市場支配力をさらに強化して、「買いたたき」の利益を拡大しようとしている人々の思惑があると見るべきである。肥料、農薬などの生産資材の適正価格による共同購入も破壊し、市場を奪って価格の「つり上げ」につなげられる。これは、明らかに競争条件を不平等にしてしまうが、これが彼らが声高に主張するequal footingの正体なのである。JA改革の目的は単協の自由度を高めて農産物の販売力を強化することだと喧伝しながら、本当は結集力を削いで、さらに買いたたこうとしている。某新聞は2015年1月4日の1面の冒頭に農産物価格が下がるのがメリットと正直に書いていたのが、笑うに笑えない。
小泉改革での郵政民営化の流れも思い起こしてみよう。TPPでもそうだが、米国政府及び企業がしばしば使うのが、「対等な競争条件を」(level the playing field)である。TPP推進と表裏一体の関係にある日本国内における規制改革会議や産業競争力会議、国家戦略特区などの規制改革の議論でも、equal footing(対等な競争条件)が旗印になっている。この「対等な競争条件」の主張が、実は名目であって、要するに、自分たちに都合のいいルールにして「市場をよこせ」ということだということが露呈した象徴的な事態が、かんぽ生命をめぐる動きである。
350兆円の郵政マネーの奪取を目論んだ米国の郵政民営化要求に応えて小泉改革で生まれたかんぽ生命だが、「対等な競争条件」にしたのに、今度は、かんぽ生命がA社と競合しないように、日本のTPP参加承認のための「入場料」として、かんぽ生命が「がん保険に参入しない」ことを約束させられ、さらに事態は急転して、2013年7月24日、「これからは全国2万戸の郵便局の窓口でA社の保険を販売する」とまで宣言させられ、全面的に市場を明け渡すという「乗っ取り」を完全に認めてしまった。A社にとって「対等な競争条件」は名目で、競争せずして自分が市場を奪取できれば最高だったのであり、完全に思うつぼにはまり、日本の地域住民の公益のため郵便局を米国企業の私利の道具として差し出してしまった。これは、「米国企業による日本市場の奪取」というTPPの正体を露骨に象徴する事態である。それでも米国は「対等な競争条件の確保はまだこれから」と言っている。
イコール・フッティング(対等な競争条件)の名目の下に「一部の企業利益の拡大にじゃまなルールや仕組みは徹底的に壊す、または都合のいいように変える」ことを目的として、人々の命、健康、暮らし、環境よりも、ごく一部の企業の経営陣の利益を追求するのがTPP、規制「改革」、農政・農協「改悪」の本質である。規制緩和し、「対等な競争条件」を実現すれば、みんなにチャンスが増えるとして、国民の命や健康、豊かな国民生活を守るために頑張っている人々や、助け合い支え合うルールや組織を「既得権益を守っている」「岩盤規制だ」と攻撃して、それを壊して自らの利益のために市場を奪おうとしている「今だけ、金だけ、自分だけ」の人々の誘導の側面を見落としてはならない。
基本的に制度というのは一部の人々に利益が集中しすぎないように公平・公正を保つために作られているから自分だけが儲けたい人にはじゃまなのである。そして一部に利益が集中しないように相互扶助で中小業者や生活者の利益・権利を守るのが協同組合だから、「今だけ、金だけ、自分だけ」には最もじゃまな障害物である。
少数の者に利益が集中し始めると、その力を利用して、政治、官僚、マスコミ、研究者を操り、さらなる利益集中に都合の良い制度改変を推進していく「レントシーキング」が起こり、市場が歪められて過度の富の集中が生じる。この行為こそが「1%」(富の集中する人々に対するスティグリッツ教授の象徴的な呼称)による「自由貿易」や「規制緩和」の主張の核心部分である。それが滴り落ちてみんなが潤うといった「トリクルダウン」は起こるわけがない。さらなる富の集中のために「99%」から収奪しようとしている張本人が「トリクルダウン」を主張するのは自己矛盾で、意図的なウソ以外の何物でもない。TPPは国際条約を利用して米国企業の儲けやすい仕組みを世界に広げるという壮大なレントシーキングである。
人々の命、健康、暮らしを犠牲にしても、環境を痛めつけても、短期的な儲けを優先する、ごく一握りの企業の経営陣と、政治資金等で結びついた一部の政治家、「天下り」で結びついた一部の官僚、スポンサー料で結びついた一部のマスコミ(官邸がスポンサーの某局も)、研究資金で結びついた一部の研究者が、国民の大多数を欺いて、TPPやそれと表裏一体の規制「改悪」、農業・農協「改悪」を推進している。バターが足りなくなるような酪農家の窮状や2014年秋の米価暴落を放置する姿勢を見ると、「地方創生」とか「農業所得倍増」と白々しく言いつつ、日米の大企業に儲けさせるために、既存の農家を潰し、相互扶助組織を潰し、地域を本気で潰しにかかっているのが実感される。
「そんなことをしたら米国が喜ばないじゃないか」と怒った人が事務次官になるように、米国を喜ばせることが私益・省益・国益となった省もある。天下り先である大企業の経営陣の利益を確保することが私益・省益・国益になっている省もある。官邸をコントロールしているのは、それらの人々だ。なかには、米国の大学で洗脳されて、本当に「すべてなくせばうまくいく」と信じ込んでいる人もいる(自己否定だとは気付かない)。一方、食と農を守るのを国益としてきた省は官邸から排除されつつある。その結果、「食や農を犠牲にして米国と大企業の経営陣を喜ばせる」のが日本の針路になってしまった。さらに、各省庁の幹部人事を官邸が決めるようになり、N省も、G省やK省のように、米国と企業を喜ばせなくては出世できなくなってしまうと、誰も暴走を止められなくなってしまう。
TPP合意を急ぐ必要から、現政権の得意とする巧妙・卑劣な「合わせ技」の手口が使われた。「医師会はTPP反対をトーンダウンしたから混合診療の解禁はあの程度で収めた。農業組織はまだ抵抗しているから解体だ。されたくないなら反対をやめろ」との指摘が、それを物語っている。悪いのは「中央会」だとして分断して結集力を削ごうとする作戦も巧妙だ。ここで、JAなどの農業関係組織が目先の組織防衛に走れば、墓穴を掘る。農業が崩壊して、地域が崩壊して、組織だけが生き残れるわけがない。「組織が組織のために働いたら組織は潰れる。拠って立つ人々のために働いてこそ組織も存続できる」ことを忘れてはならない。
こうした中で、現政権は地方創生とか、10年で農業 (農村?) 所得を倍増する、と言う。TPPで国会決議を実質的に反故にした譲歩を続け、所得のセーフティネットを廃止し、農業関連組織を解体して、どうやって農業所得が倍増できるのか。地方創生ができるのか。しかし、できるというのである。いまの農家が全部潰れてもよい。わずかな条件のよい農地だけ大手の流通企業などが参入して農業をやって、その所得が倍になったら、それが所得倍増の達成であると。
そこには、伝統も、文化も、コミュニティもなくなってしまっている。それが日本の地域の繁栄なのだろうか。現に、企業が手を出さないような非効率な中山間地は、そもそも税金を投入して無理に人に住んでもらう必要がないから、原野に戻したほうがいい、早く引っ越したほうがよい、と繰り返し発言しているT氏もいる。「地域創生」とは非効率な地域を原野に戻すことなのであろう。そこには、国民に必要な食料を安定的に確保するという安全保障の観点はない。しかも、地域コミュニティが崩壊し、買い手もいなくなってしまったら、残った人々も結局は長期的には持続できないことにも気づかない。
バターが足りなくなるような酪農家の窮状(飼料が高騰しても乳価は十分上がらず生産減が止まらない)や2014年秋の米価暴落(数年で大規模農家も経営継続が困難になる)を放置する姿勢を見ると、日米大企業の利益のために、本気で既存の農家を潰し、組織を潰し、地域を潰すつもりなのだと実感される。
政権とつながる、ごく少数の人達に利益が集中できるような仕組み(優良農地を自由に使い、もうからなくなったら転売できる)さえつくれば、あとのことは知らない、むしろ、頑張って地域を支えてきた人々からビジネスを奪い、「今だけ、金だけ、自分だけ」で、地域の人々を苦しめている。これぞ、アベノミクス、TPP、農政改革である。しかし、この「3だけ主義」の暴走は目に余る。こんな人達に我々の経営や地域が壊されようとしているのを、3だけ主義の正反対の取り組みで、自身の経営と地域を守ってきた我々が見過ごすわけにはいかない。
政府の会議などを利用した自社企業への利益誘導が、情けないくらい、わかりやすく行われている。例えば、農業委員会組織を骨抜きにして、農業に自由に参入して、儲からなければ農地を自由に転売して儲けるようにしたい○○ファームを展開している人々が政府の会議のリード役の立場を利用して露骨な自社の利益追求をしているのも、人材派遣大手企業の有能なT会長が「雇用の短期化・解雇自由」の雇用改革(安い外国人雇用の拡大を見込んで高賃金の日本人を解雇し易く、いやなら短期雇用で働かせるTPP対応でもある)を進めているのと同様、わかりやすすぎる。
米国の指令を受けつつ、「対等な競争条件」の名目で郵政民営化を推進した国内の経済界の有能なトップの一人M氏は、当時、かんぽの宿を格安で買い取って儲けようとしていたことがばれた。これが「規制緩和」の正体である。さらに、東京のある区の商工会の幹部の方が話してくれた。M氏は、「商店街はなくしてよい」とも発言していた。規制緩和で大規模店が出店し、商店街が潰れ、町が暗くなり、コミュニティ機能が低下し、治安も悪化し、やがて利益が落ちると大規模店は撤退し、住民は買い物もできなくなり、街が潰れる。最近、M氏の退職時の役員報酬は55億円と報じられた。しかも、H県Y市の農業特区ではM氏のO社の子会社が農地集積に乗り出し、そのO社の社外取締役にT氏が就任しているのだから、あまりにもわかりやすすぎる。TPP農業対策が法人化・規模拡大要件を厳しくして一般の農家は応募が困難に設計され、対象を「企業」に絞り込もうとしているのも露骨である。
たいへん有能で巨額の個人的利益を得ている一部の人が、政府の中枢に入り込んで、「規制緩和」の旗印の下に、露骨に、さらに貪欲に「今だけ、金だけ、自分だけ」で、多くの国民の生活を犠牲にしつつ、私益を追求している。しかし、政治、官僚、マスコミ、研究者も一体化しているから、誰も癒着の真実を伝えない。一部のメディアが、露骨な「利益相反」の構造を批判し、筆者もコメントしたが、「勇気ある発言に敬意を表するが、体を大事にしてほしい」との気遣いもいただいた。この流れに、こんどこそ終止符を打たないと日本の食も農も地域も本当に壊されてしまう。