TPPで過保護な日本農業を競争にさらして強くし、輸出産業に?
日本農業が過保護だから自給率が下がった、耕作放棄が増えた、高齢化が進んだ、というのは間違い。過保護なら、もっと所得が増えて生産が増えているはずだ。逆に、米国は競争力があるから輸出国になっているのではない。コストは高くても、自給は当たり前、いかに増産して世界をコントロールするか、という徹底した食料戦略で輸出国になっている。つまり、一般に言われている「日本=過保護で衰退、欧米=競争で発展」というのは、むしろ逆である。
だから、日本の農業が過保護だからTPPなどのショック療法で競争にさらせば強くなって輸出産業になるというのは、前提条件が間違っているから、そんなことをしたら、最後の砦まで失って、息の根を止められてしまいかねない。実は、日本の農業が世界で最も保護されていない。輸出補助金も米国の1兆円対日本のゼロだ。関税も米国よりは高いが、聖域といわれる高い関税が1割残っているということは、逆に言うと、9割の農産物は、野菜の関税の3%ぐらい、花の関税0%に象徴されるように、非常に低い関税で競争している。それが9割を占めているのだから、平均関税は11.7%でEUの半分である。だから、「農業鎖国は許されない」というコメントは間違いである。自給率39%で、我々の体の原材料の61%を海外に依存しているのだから、こんな先進国はない。FTAで出てくる原産国規則でいうと、我々の体はもう国産ではない。こんな体に誰がしたのかというぐらいに開放されている。
総理は2015年4月の米国議会演説で「以前GATT農業交渉で農家と一緒に自分も自由化反対運動をしたのが間違いで、農業は衰退した」と述べたが、これは事実に反すると思われる。自由化反対が間違いだったのではなく、頑張りきれずに米国の圧力に屈して自由化を化進めてしまったことこそが衰退の大きな要因だ。米国による日本の食料支配のために、早くに関税撤廃したトウモロコシ、大豆の自給率が0%、7%なのを直視すべきだ。同じく早くの全面的な木材自由化で自給率が2割を切った山村の苦悩を忘れてはならない。
農業所得に占める補助金の割合も、日本では平均15.6%だが、EUでは農業所得の95%前後が補助金だ。そんなのは産業かと言われるかもしれないが、国民の命、環境、国境を守っている産業を国民が支えるのは、欧米では当たり前なのである。その当たり前が当たり前になっていないのが日本である。
それから、米国も、カナダも、EUも、コメなどの穀物、乳製品の生産が増えて支持価格を下回ると、支持価格で無制限に買い入れて、国内外の援助物資にしたり、補助金をつけて輸出したりして、最終的な販路を政府が確保して、価格を支える仕組みがある。しかし、日本はこれをやめてしまった。
旱魃や塩害に強いGM小麦への日本の消費者の反応に強い関心
写真 西豪州(パース)の小麦輪作農家-畦なしの1区画が100ha、1戸で5,800ha経営(2007年9月24日筆者撮影)
こういう事実を無視して、日本の農業が過保護であるから競争にさらせばよいという議論をしてしまうと、すでに他の国と比べると相対的に相当に保護されていない水準になっている農業を最後の砦まで外されてしまい、強くなるのではなくて、息の根を止められてしまいかねないということを我々は考えなければいけない。
それから、規模拡大によるコストダウンの努力はもちろん必要だが、日本の農家は平均で一戸2haもないのに、例えば、西オーストラリアの写真の農家は、目の前の畔なしの一区画が100haあって、全部で一戸5,800ha経営していても、地域の平均よりちょっと大きいだけだという。しかも、日本で100haの経営といっても、田畑が500~1,000か所にも分散している。日本の経営がこのようなオーストラリアの経営とゼロ関税で競争して勝って輸出産業になればよいという議論は、あまりにも土地条件というものを無視した机上の空論であると言わざるを得ない。
日本農業が過保護だから自給率が下がった、耕作放棄が増えた、高齢化が進んだ、というのは間違い。過保護なら、もっと所得が増えて生産が増えているはずだ。逆に、米国は競争力があるから輸出国になっているのではない。コストは高くても、自給は当たり前、いかに増産して世界をコントロールするか、という徹底した食料戦略で輸出国になっている。つまり、一般に言われている「日本=過保護で衰退、欧米=競争で発展」というのは、むしろ逆である。
だから、日本の農業が過保護だからTPPなどのショック療法で競争にさらせば強くなって輸出産業になるというのは、前提条件が間違っているから、そんなことをしたら、最後の砦まで失って、息の根を止められてしまいかねない。実は、日本の農業が世界で最も保護されていない。輸出補助金も米国の1兆円対日本のゼロだ。関税も米国よりは高いが、聖域といわれる高い関税が1割残っているということは、逆に言うと、9割の農産物は、野菜の関税の3%ぐらい、花の関税0%に象徴されるように、非常に低い関税で競争している。それが9割を占めているのだから、平均関税は11.7%でEUの半分である。だから、「農業鎖国は許されない」というコメントは間違いである。自給率39%で、我々の体の原材料の61%を海外に依存しているのだから、こんな先進国はない。FTAで出てくる原産国規則でいうと、我々の体はもう国産ではない。こんな体に誰がしたのかというぐらいに開放されている。
総理は2015年4月の米国議会演説で「以前GATT農業交渉で農家と一緒に自分も自由化反対運動をしたのが間違いで、農業は衰退した」と述べたが、これは事実に反すると思われる。自由化反対が間違いだったのではなく、頑張りきれずに米国の圧力に屈して自由化を化進めてしまったことこそが衰退の大きな要因だ。米国による日本の食料支配のために、早くに関税撤廃したトウモロコシ、大豆の自給率が0%、7%なのを直視すべきだ。同じく早くの全面的な木材自由化で自給率が2割を切った山村の苦悩を忘れてはならない。
農業所得に占める補助金の割合も、日本では平均15.6%だが、EUでは農業所得の95%前後が補助金だ。そんなのは産業かと言われるかもしれないが、国民の命、環境、国境を守っている産業を国民が支えるのは、欧米では当たり前なのである。その当たり前が当たり前になっていないのが日本である。
それから、米国も、カナダも、EUも、コメなどの穀物、乳製品の生産が増えて支持価格を下回ると、支持価格で無制限に買い入れて、国内外の援助物資にしたり、補助金をつけて輸出したりして、最終的な販路を政府が確保して、価格を支える仕組みがある。しかし、日本はこれをやめてしまった。
旱魃や塩害に強いGM小麦への日本の消費者の反応に強い関心
写真 西豪州(パース)の小麦輪作農家-畦なしの1区画が100ha、1戸で5,800ha経営(2007年9月24日筆者撮影)
こういう事実を無視して、日本の農業が過保護であるから競争にさらせばよいという議論をしてしまうと、すでに他の国と比べると相対的に相当に保護されていない水準になっている農業を最後の砦まで外されてしまい、強くなるのではなくて、息の根を止められてしまいかねないということを我々は考えなければいけない。
それから、規模拡大によるコストダウンの努力はもちろん必要だが、日本の農家は平均で一戸2haもないのに、例えば、西オーストラリアの写真の農家は、目の前の畔なしの一区画が100haあって、全部で一戸5,800ha経営していても、地域の平均よりちょっと大きいだけだという。しかも、日本で100haの経営といっても、田畑が500~1,000か所にも分散している。日本の経営がこのようなオーストラリアの経営とゼロ関税で競争して勝って輸出産業になればよいという議論は、あまりにも土地条件というものを無視した机上の空論であると言わざるを得ない。