現社民党大北総支部代表、社民党2区支部連合代表、日朝県民会議会長の伊藤晃二さんが6月22日ご逝去されました。伊藤晃二さんは、私鉄川バスの出身で県連委員長、長野県平和人権環境労働組合会議議長、全労済長野県本部理事長を歴任されました。ここに心から哀悼の意と感謝を申し上げます。
5月の連休も終わり社民党県連合の会議を満蒙開拓団平和記念館を見学がてら阿智村で開催した折、吉田進さんから伊藤さんが検査入院するとお聞きしました。15日大町市内で大糸線輸送強化期成同盟会があり、大町病院に顔を出しました。私は「お見舞いじゃないからね、冷やかしに来たんだ」と冗談を言い、伊藤さんも「まあ、どんな結果になってもやることはやってきたからな」と落ち着いた口ぶりでした。枕元には政治に関わる記事が掲載されている雑誌があり、最近照屋寛徳衆議院議員からもらった本をもっていたので、お見舞いかわりに置いてきました。それが伊藤さんとの最期となりました。
「今の麻生さんの調子では、いつ選挙になるのか」と言うと、ブッと吹き出して「本当にそうだね」と、10人中10人からかえってくる。「あれなら、わたしでもできる」と笑いながら冗談も飛び出る。いったい、この国のトップの信用がここまで落ちたことがあったのか?怒りから悲しささえ覚える。雪の美麻を歩いていても、厳しい話が出る。嫁ぎ先の夫が9月にリストラされ、亡くなってしまった。幼子を3人残して、娘はこれからどうしていくのか」と、淡々と語るお母さん。「死んだ者は一番幸せだ。何も知らないから。残ったものは・・・」余りに冷たい今の政治。ウソでもハッタリでもなく、当たり前に働き、当たり前に生きていくことのできる社会をつくる責任を痛切に感じた。
これは、2008年12月14日の私のブログの記事です。写真左から伊藤晃二さん、私、宮澤重勝さんです。当時、衆議院選挙を戦っていた私は大町市美麻出身の伊藤さんと、支援者の宮澤さんと美麻村であいさつ回りをしていました。
全労済の理事長を退いて、何十年ぶりに地元に腰を落ちつけたところを社民党大北総支部の再建に引っ張り出し、大町市内のあいさつ回りに何日もお付き合いをいただきました。本当にありがとうございました。
私からすれば伊藤さんは大先輩です。私鉄川中島バスの再建を勝ち取り、理論肌だが人情に厚く誰からも尊敬される人でした。アルピコの債務超過による会社再建時も、川バス時代の取り組みを振りかえりながら、後輩の指導を続けてきました。後輩を本当に暖かく支えてくれました。
最後まで、ゆっくりさせてあげられなかったのは後輩である私たちの力不足であり、ご家族の皆様に心からお悔やみとお詫びを申し上げます。伊藤先輩に重ねて感謝を申し上げます。ありがとうございました。ゆっくりおやすみください。