モチベーション
動機付けとか、やる気とかの意で使われる。
主に「仕事に対するモチベーションが上がる」だとか、「組織全体のモチベーション の維持」と、言ったような使い方をされる言葉である。
思うに、戦国時代の群雄割拠の状況で、それぞれの一国一城の主や豪族たちが、どのように自らの配下のモチベーションを高めて、これを統率したのだろう。
場合によっては一命を賭す場面まで人を導き或いは、追いやるほどのモチベーションとは如何なる性質のものだったのか。
地方の一豪族をイメージしてみよう。例えば彼が百人程度の戦闘集団を抱える一個の将だったとしよう。百人の戦闘集団にも日常は在る。日常が在れば生活がある。 生活するには家族が必要だ。 百人の集団が生活したら実質四百人程度の集団がその周辺に居ることになる。 この四百人の集団を養うのである。 日常的に四百人の生活を維持しつつ、いざとなったら、命を賭した戦いもある。
百人の戦闘部隊を敵に勝てる強力な部隊として動かすからには、将としての責任と能力は現代の企業経営者以上のものが求められるだろう。
情報伝達や物資の確保、敵の動勢から周辺部族の状況、そして最も大事なのは自らの部隊の人心掌握、戦闘意欲の醸成等、細かな目配りと戦略を持たねばならない。
将とは言え、彼に将としての能力「戦略構想や度量を含めた器」を認め、全権を任せる決断がその集団としてあったのだろう。そうでなければ、運命共同体として自らの生死、盛衰の行方を預ける気にはならないものである。
そして、それにも増して、日常的な場面に限らず非日常的緊張状況や危機的状況において、構成員のモチベーションを高め組織として最高レベルの生産力、戦闘力を発揮させるべく指導指揮する能力、資質とは、現時代的に存在するであろうか??
一方、軍事組織であれば当然として、指揮命令貫徹のためには組織構成、階級が効率的なものでなくてはならない。将からの指令や意図が明確に末端兵に伝わらない軍事組織が戦闘部隊として存在すべくも無いことは明らかである。此処には将と兵を繋げる役割が必ず必要となる。もちろん組織が大きくなれば成るほど、この事が大きな問
題となる。
ここで組織論が出てくるし、各級組織の構成や役割、これの統率と主体性は組織論として種々論じられる事である。 しかし、ここでは組織論について論じるのは控えておこう。
さて、一方で各級、各組織構成員一人一人のモチベーションが、強力な戦闘集団には最も重要なファクターとして存在する。
個々のモチベーションを、単純に「やる気」として、考えてみよう。
人がやる気を起こすのは、或いは逆にやる気を無くすのはどんな時なのだろう。
1 人に褒められる,貶される。
2 人に認められる、無視される
3 やったら成果が見込まれる、 やっても成果が見込めない
4 リスクと成果のバランスが悪い、 割りに会わない
5 理想を持ち実現したい、理想が無い
4 上司、部下(周囲の人) が好きである。 嫌いだ。
5 誰かのために役立ちたい。