組織の中で仕事をしていると、いろんな人がいます。この地球も、多様性が生き残りのカギであるわけで、組織とて同様、熱い人やら冷たい人やら、デキル人やらそこそこの人やら、それぞれに存在価値があり、役割があると思います。生命体のようにいろいろな要素が複雑に絡まりあって一つの個体ができあがるようなイメージを組織にあてはめるとしたら、やはり「関わり」という点だけは軽視できないと感じます。
大学をとってみると、すごく熱心な先生が課題をばんばん出して学生を強力に指導してっていうのも大事だし、自分スタイルで淡々と講義をして学生の学習は自主性に任せてというのも大事。いろんな人がいて、指導も一様ではないってこと、教育の現場ではとても大事だと思います。それでいてなお、やっぱり個々人が、周囲に関わらず全体も見ず、それぞれが個性を発揮、というのは違うと私は思います。
関わらない生き方というのは楽だと思いますが、みんながそうなってしまったらすごくつまりません。学生を見ていても、さまざまなプレッシャーに負けて学校に出てこれなくなったクラスメイトに積極的に関わるということが今はほとんど見られません。「相手を尊重」とかそういう考え方らしいのですが、それは本当につまりません。
相手に関わると、責任が生じるし、一緒に重荷を負うことになって大変なことになるのですから、おいそれと関われないというのはあるかもしれませんが、そういう重荷を負ったり負ってもらったりして、複雑で多様性のある集合体になっていくのではないかという気がします。そういう重荷を負うことでパーツとしての自分の存在も高まるのではないかと。
自分をパーツと見ている人は少ないでしょうが、でも結局やっぱり生きていくうえで他との関わりをおろそかにして「成功」などありえないという気がするのですが。もちろん成功を求めよというわけでもないのですけれども。
同じ意味でもうひとつ大事なことは、いろいろなパーツがそれぞれ役割があるということをもっと謙虚に認識すべきではないかということです。他より優れたと見えるパーツもそれだけで存在していくわけにいかないのです。また、弱いと見えるパーツがそれゆえに他との関わりを否定するならば、存在価値を失いかねません。強くても弱くてもそれぞれの役割を認識し、使命を果たしてこそ、集合体としての力が発揮できるのだと思います。
先週、大学の用事がいっぱいあって論文のリバイスがあんまり進みませんでした。細切れの時間でじっくり考えをまとめるのが難しかったのです。それで今日は朝から仕事に来ましたが、PCの不調でそれを復活させるのにかなり時間をとられてしまいました。昨日までの仕事も消耗戦だったので、今朝のPC不調にはかなりげんなりしました。そういうわけで頭を切り替えるために、この間から頭にあったことを書いてみました。現状維持で自分の周りだけ安穏にやり過ごそうというへたれの気風は世の中のどこにでもあります。でもそれではやっぱりつまらない。わたしなどはそういう風にあたっただけですっかり消耗してしまいます。つい、自分はそういうのに「関わらず」やっていこう、と思ってしまいそうになるのですが、それから踏みとどまるために、書いてみました。