陸奥国藤崎城 [フジサキジョウ] | ||
別称 | なし | |
城郭構造 | 平城 | |
築城年 | 1092年 | |
廃城年 | 1585年 | |
指定史跡 | 指定なし | |
住所 | 南津軽郡藤崎町大字藤崎梨ノ木 [MAP] | |
スタンプ設置場所 | ||
御城印販売場所 |
概要
藤崎城は、安東氏の発祥の地です。
東北地方の大豪族安倍氏が前九年の役で戦死した、安倍氏の頭領・安倍貞任の遺児の高星丸(たかあきまる)が藤崎に落ち延び、後に安東氏を称して藤崎城を築き、領国経営の重要な拠点としていました。
安東氏は、土着の豪族として室町時代の15世紀半ばまでの350年あまり津軽で勢力をふるいました。
15世紀の半ばから、津軽に進出した南部氏の津軽支配の拠点として使われ、同時期に大浦為信の軍勢が、石川城の南部高信を急襲して津軽統一に出ると、藤崎城は大浦氏の支配となり、廃城になりました。
国道7号線バイパス
藤崎城土塁の跡
八幡宮
前九年の役(1056)に敗れた安倍貞任の次子高星丸が
寛治6年(1092)藤崎築城と同時に 領内の鎮守として、
領民の安堵と安東氏の武運を祈願して創立したのか、
この旧村社八幡宮である。
祭神は品陀別命、祭日は旧暦6月15日である。
津軽藩政時代においても、代々の藩主は、この神社を崇敬し、藤崎組の
総鎮守に定め、安永年間1772~1781)には、組大神楽を奉納し、
藩の繁栄を祈願している。
※現地看板より
境内参道
拝殿
安東氏顛末記
陸奥國南津軽郡藤﨑邑者安東氏之城墟也安東氏之遠祖曰安日神武帝時以弟長髓爰故被遷津軽西濱者也其裔安東崇神帝置四道将軍時代安倍河別命討平東夷復姓安日任将軍其子致東應神帝畸奉詔征東夷以功賜日下将軍號其子長國天平宝字中討藤原仲麻呂有功其五世孫國東一條帝時征伐東夷正四世孫則高星丸也始城于此以居為又勧請八幡宮實寛治六年也其五世孫日安東太郎堯勢武名頗振首叛北條氏従新田義貞挙義旗其子貞李属鎮守府将軍顕家勤王延元三年五月戰死于摂州安倍野爾来子孫世為藤﨑城主其間興津軽氏及葛西氏屢交戰至應永年間南部氏勢燔日熾安東氏漸衰天文弘治間門旗潰散天正中津軽為信使其弟五郎六郎居焉同十三年三月二弟溺死城廢為墟云今檢其地域墟南北四百間東西百九十間餘或為邑里家宅或犁為田僅存形蹟耳故記其概略以埀諸永世
※現地石碑より
土塁
八幡宮の背後は土塁が残っています。
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