えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・野良猫の歩く庭

2018年12月08日 | コラム
 物心ついたころには町の気風もあったのか、野良犬はいなかった。彼らは本や漫画だけの産物だった。一方の野良猫は近所を自由に闊歩して、容赦のない子供の集まる学校だけは敬遠して姿を見せなかったものの、公園や近所の庭やブロック塀の上に彼らだけの居場所を確かに作り上げていた。小学生の時に一度だけ、近くの公園に「段ボール箱に入れられて捨てられていた子猫」もいた。甲高い声をあげて兄弟猫を互いに押し合う彼らの周りには大小問わず人が集まり、かわいそうね、どうしたらいいの、どうしよう、と、責任を負わなければならない「拾う」という単語を避けるゲームでもしているかのように眉をひそめて声を交わしあっていた。

 子猫は目の端や耳にやにや垢の溜まったきたならしい姿だった。「拾ってください」の文字もない段ボール箱へ無造作に入れられ、そう高さはなかったと思われるが、子猫たちも自ら外に出ようとはしなかったし、周りの人間も抱き上げようとはしなかった。彼らを先に見つけた親切な人が置いたキャットフードも散らかされ、子猫たちは元々の汚れと相まってかわいさよりも汚さの方が目立っていたのだろう。私を含めた子供すら、誰も子猫に手を出すものはいなかった。「病気なのかしら」と、若い母親らしき女性の言葉を皮切りに、風も冷たくなってきたので三々五々集団は解散した。帰宅して母親に「捨て猫がいる」と告げても母親はどうにもできないといった返事を返した。

 そんな猫もいれば、猫嫌いの家に迷い込んで怒声と共にブロック塀と針金の塀の隙間から道路に逃げ出し、数か月後には立派な成猫になって勢いよく公園と道路を駆け回っていた白黒の猫もいる。朝、ガレージから出ようとする自動車の下から慌てて抜け出し、温かい寝床だった場所をうらめしそうに見つめる猫も見かける(自動車の下は彼らにとって安全で温かい寝床のようで、冬場に猫へ間違いがないよう車を勢いよく叩いて猫を追い出す「猫バンバン運動」なるものもあるそうだ)。狭さに強い体の柔軟さが幸いしてか、彼らはどこかで増えてどこかでえさを調達し、人の家の庭をどっしり太った体でのしのしと歩き去ってゆく。

 足の太いキジ猫が、窓の外を悠然と去っていった。夜の公園のベンチに香箱座りで居座り、近づくとこちらを黄色い目でじっと睨みつけるふてぶてしい面相の猫だろう。しばらく前までは華奢な体に不似合いな威厳のメス猫がこの辺りを陣取っていたが、その息子か娘かもしれない。いずれにせよ猫はうるさくなくなった世論と緑化運動により増えた茂みを立てにして、順当に彼らへ与えられた時間を使い代替わりを繰り返してゆくのだろう。庭一つをコンクリートへ変えないよう腐心する人の気苦労はいざ知らず、別の猫がまた茂みの下へと潜っていった。

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