今日も今日とて雑記。
何か今週は時間が経つのが早い。
仕事で会社行って、帰って来てから、さあ遊ぶぞと意気込むのはいいけど艦これのデイリーウィークリー任務潰した辺りで眠くなってバタンキューと、そんな感じで過ごしていた気がする。
眠気と怠惰に勝てる薬があったら欲しいくらいだ。
いや覚醒剤だの大麻だの法に触れるタイプなのはご勘弁ですけども。
■クッソ不毛な話題
くまみこの終盤に思う事。
なんつうか、ネット上では最終回が盛大に爆死したという話でもちきりだった。
俺も最終話は違和感が凄いあった。
ただ、俺の場合はもっと言うと9、10話くらいからあった。
なんつうか、それまではど田舎コンプレックス丸出しで文明の利器に対して頓珍漢な事してしまうマチかわいいで済んでいた。
だけど、話が後半になるにつれ、それが段々モヤモヤ感に変わっていった。
またお前それかいい加減学習せえよっていう。
それでもバカの一つ覚えみてえに「都会へ行きたい」とか言っているマチを観てるとイラッとした。
そのモヤモヤ感を抱えだしたのが9話位で、それ以降はどこか白けてみている感じだった。
原作では仙台へ出発する当日にマチが石を投げられる夢を見て、それでいつもの被害妄想が出て怖くなって仙台行きを拒否、そのまま甘やかされるという展開らしい。
多分原作読んでても同じモヤモヤ感を抱いていたんじゃないかと感じる。
俺の中では、くまみこは最初は凄い面白かったが、途中で自分の嗜好と乖離してしまったんだと思う。
個人的にはど田舎コンプレックスを抱えながらも少しずつ成長して、ラストはナツから巣立って行かなきゃあかんのちゃうんかと思っている。
ただ、原作もアニメもそういう描き方はせず、田舎で甘やかされ続けるという着地の仕方をした。
どちらかが良い・悪いという話ではない。まあ寧ろこういう着地もあるよねという点ではリスペクトすらある。
マチの成長物語としてクソ田舎を巣立ってほしかったと思っていた自分と、それとは別の描き方をした作品。
その点で背き離れていたという話。平たく言えば、序盤以外は俺には合わない作品だったというだけだ。
■クッソ不毛な話題その2
「悔しかったら毎月十万円分とかコンソールゲーム買えば良いじゃん」なアレ。
悔しいって言い方からして何かおかしいなとは思うわけだけど。
根本的な原因として、スマホアプリがバカにされたり敬遠されたりする理由ってのが、課金ガチャにあるわけで。
もうちょっと踏み込むと、ソシャゲ時代から引き継がれてきた、CSゲーム並の複雑な操作感をこれでもかというくらい簡素な作りにして、誰でも隙間時間程度なら遊べちゃうっていうゲームデザインだったり、金と時間かければ他者からチヤホヤされやすい土壌だったりもあるんだろう。
けど、それを差し置いても課金ガチャってのは本当におぞましい感じになってきている。
年初にあったグラブル騒動もそうだけど、課金ガチャの構造は法律レベルで見直されるべきなのは確定的に明らかなんじゃないか。と、俺は思っている。
アレがもたらす瞬間風速的な利益ってのは本当にすごいもんで、前職で場末のアプリ運営屋だった俺だって3年近く黒字出せた位だ。
ただ、デカい数字を出せて達成感があった反面、それが面白いゲームを作った達成感に直結しているかというと、そんな事はなかった。
そして、前者の数字を重視した考え方から出てくるもんは集金装置になりがちだ。
面白さを追求するよりもガチャ演出やカードの絵柄を重視させた内容になってきて、演出や訴求の文言なんてパチ屋の手法が参考になることだってよくあった。
今回の話題の発端となった「ひとりぼっち惑星」のコメントは、面白いもんを作りたかったのに作らされてるのは集金装置という現実に対する嘆き。
同時に、それに対して客側に「面白いもんを面白いと発信してくれ」というささやかな願いだったりする。
最後にコメントでは「わたしはまけない」というように、いつか面白いもんを作りたいという意欲すら垣間見える。
例え創作であったとしても、現在のアプリゲー界隈のガチャ課金という構造に対する悲哀には痛いほど共感できる。
また、買ってくれなくてもいいから、面白いと感じた作品を受け手側も一緒になって発信することで、よりゲームを進化させてくれという願いは好感が持てる。
間違っても「悔しかったら毎月十万円分とかコンソールゲーム買えば良いじゃん」なんて行間の読めない返答にはならない。
何度でもこれだけは言いたい。
今のスマホアプリに蔓延する課金ガチャの構造は見直されるべきだ。
マーケットとしての規模に関係なく、アレが登場した頃から言われているように、射幸性・ギャンブル性が強すぎて危険だ。
何か今週は時間が経つのが早い。
仕事で会社行って、帰って来てから、さあ遊ぶぞと意気込むのはいいけど艦これのデイリーウィークリー任務潰した辺りで眠くなってバタンキューと、そんな感じで過ごしていた気がする。
眠気と怠惰に勝てる薬があったら欲しいくらいだ。
いや覚醒剤だの大麻だの法に触れるタイプなのはご勘弁ですけども。
■クッソ不毛な話題
くまみこの終盤に思う事。
なんつうか、ネット上では最終回が盛大に爆死したという話でもちきりだった。
俺も最終話は違和感が凄いあった。
ただ、俺の場合はもっと言うと9、10話くらいからあった。
なんつうか、それまではど田舎コンプレックス丸出しで文明の利器に対して頓珍漢な事してしまうマチかわいいで済んでいた。
だけど、話が後半になるにつれ、それが段々モヤモヤ感に変わっていった。
またお前それかいい加減学習せえよっていう。
それでもバカの一つ覚えみてえに「都会へ行きたい」とか言っているマチを観てるとイラッとした。
そのモヤモヤ感を抱えだしたのが9話位で、それ以降はどこか白けてみている感じだった。
原作では仙台へ出発する当日にマチが石を投げられる夢を見て、それでいつもの被害妄想が出て怖くなって仙台行きを拒否、そのまま甘やかされるという展開らしい。
多分原作読んでても同じモヤモヤ感を抱いていたんじゃないかと感じる。
俺の中では、くまみこは最初は凄い面白かったが、途中で自分の嗜好と乖離してしまったんだと思う。
個人的にはど田舎コンプレックスを抱えながらも少しずつ成長して、ラストはナツから巣立って行かなきゃあかんのちゃうんかと思っている。
ただ、原作もアニメもそういう描き方はせず、田舎で甘やかされ続けるという着地の仕方をした。
どちらかが良い・悪いという話ではない。まあ寧ろこういう着地もあるよねという点ではリスペクトすらある。
マチの成長物語としてクソ田舎を巣立ってほしかったと思っていた自分と、それとは別の描き方をした作品。
その点で背き離れていたという話。平たく言えば、序盤以外は俺には合わない作品だったというだけだ。
■クッソ不毛な話題その2
「悔しかったら毎月十万円分とかコンソールゲーム買えば良いじゃん」なアレ。
悔しいって言い方からして何かおかしいなとは思うわけだけど。
根本的な原因として、スマホアプリがバカにされたり敬遠されたりする理由ってのが、課金ガチャにあるわけで。
もうちょっと踏み込むと、ソシャゲ時代から引き継がれてきた、CSゲーム並の複雑な操作感をこれでもかというくらい簡素な作りにして、誰でも隙間時間程度なら遊べちゃうっていうゲームデザインだったり、金と時間かければ他者からチヤホヤされやすい土壌だったりもあるんだろう。
けど、それを差し置いても課金ガチャってのは本当におぞましい感じになってきている。
年初にあったグラブル騒動もそうだけど、課金ガチャの構造は法律レベルで見直されるべきなのは確定的に明らかなんじゃないか。と、俺は思っている。
アレがもたらす瞬間風速的な利益ってのは本当にすごいもんで、前職で場末のアプリ運営屋だった俺だって3年近く黒字出せた位だ。
ただ、デカい数字を出せて達成感があった反面、それが面白いゲームを作った達成感に直結しているかというと、そんな事はなかった。
そして、前者の数字を重視した考え方から出てくるもんは集金装置になりがちだ。
面白さを追求するよりもガチャ演出やカードの絵柄を重視させた内容になってきて、演出や訴求の文言なんてパチ屋の手法が参考になることだってよくあった。
今回の話題の発端となった「ひとりぼっち惑星」のコメントは、面白いもんを作りたかったのに作らされてるのは集金装置という現実に対する嘆き。
同時に、それに対して客側に「面白いもんを面白いと発信してくれ」というささやかな願いだったりする。
最後にコメントでは「わたしはまけない」というように、いつか面白いもんを作りたいという意欲すら垣間見える。
例え創作であったとしても、現在のアプリゲー界隈のガチャ課金という構造に対する悲哀には痛いほど共感できる。
また、買ってくれなくてもいいから、面白いと感じた作品を受け手側も一緒になって発信することで、よりゲームを進化させてくれという願いは好感が持てる。
間違っても「悔しかったら毎月十万円分とかコンソールゲーム買えば良いじゃん」なんて行間の読めない返答にはならない。
何度でもこれだけは言いたい。
今のスマホアプリに蔓延する課金ガチャの構造は見直されるべきだ。
マーケットとしての規模に関係なく、アレが登場した頃から言われているように、射幸性・ギャンブル性が強すぎて危険だ。