名邑十寸雄の手帖 Note of Namura Tokio

詩人・小説家、名邑十寸雄の推理小噺・怪談ジョーク・演繹推理論・映画評・文学論。「抱腹絶倒」と熱狂的な大反響。

@ 非論理エッセイ 【詩人ランボーの言葉】

2023年09月07日 | 日記
「なぜ後戻りはいけないのだろう」

 これは、アルトゥーロ・ランボーが十九歳の時に書いた詩です。(「地獄の季節」)

 後戻りする思考はたのしいものです。反省でも、批判でも、後退でもなく、ノスタルジーとも異なります。正しい見地は、内に矛盾を含まない。論理的な個々の要素というよりは、直観的全体像がとらえられます。ていねいに解析すると単純な真理が見える。ゆえに禅思想では「一即多」と表現される。駄目なものをだめだとする論理解析は徒労です。或る現象の欠点を評する場合でも、その背後にある総体的真理が見えないと面白くありません。

 正しい非論理はたのしいものです。自然は美しい。が、食物連鎖の残忍な実態が背後にある。子供達は可愛い。が、優れた子供ほどひねくれている。上手な演奏家の音楽はたのしい。が、時には下手な技巧に不可思議な妙味がある。武満徹が好んだ南アジアの音楽【ガメラン】の味わいは、完璧に調律しない音のずれにあります。酒は百薬の長である。その反面、呑み過ぎると命を削るカンナともなる。禅詩想は面白い。が、論理的思考しか出来ない方々は逆説・矛盾と誤解なさる。アホな友達ほど話していて愉しい。利口な人間に限定すると、友達が一人として居なくなってしまう。かく云う作家本人も、かなりいかれている。ほらね、中々気分の良いものです。一度試してみて下さい。

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