名邑十寸雄の手帖 Note of Namura Tokio

詩人・小説家、名邑十寸雄の推理小噺・怪談ジョーク・演繹推理論・映画評・文学論。「抱腹絶倒」と熱狂的な大反響。

∞ 文体論 【ゼロ次元 核心】

2017年05月13日 | 日記
 先ず「点」があります。初学者は感激でも感銘でも感動でも良い、何か書こうとする中心概念を持つ事です。それは当初起点の様に見えますが、書く内に到達点となる性格の核心です。それも、書き始めには想像も付かなかった覚醒となる中心主題です。そもそも、初めから結末が分かっている作品を描くなど無意味な行為です。

 ブラック・ホールという概念を御存知かと思います。針の先程の一点に何億トンという引力が存在する。それが巨大ですからたまりません。全ての物質が中に吸い込まれます。光速ですら脱出不可能な重力で光が外に届きません。他の天体から見ると黒く見えるのはその所為です。実際に存在するという科学的根拠が多々あります。どんな種類の作品にも、それが本ものの文学であれば、小さな川が大河と合流し大海に流れるが如きプロット(構成)があります。当初点として作品を引っ張り続ける核は、終幕では主題思想として現われます。

 この一点を作業指導書の様に頭の根底に置きます。これさえあれば、後は如何とでもなります。信じられないという方もいるでしょう。しかしながら、多くの小説には核が無い。喜怒哀楽の表層概念と言葉の修辞美学に酔っている。どうせ死ぬ運命の作家が、表層意識の詰まらぬ話を書いて物質的成功を手にしたいのなら、文体論など端から考えない方が良い。そして今日死ぬという時になって「何と詰まらぬ作品を遺したか」と納得しながら息絶えれば良いのです。それも人生。名誉も誇りも自己満足の虚栄ですが、それも幸せな人生です。何故か。人生の意味は、それを識らぬ者に取っては存在しない概念だからです。この「点」は、文学の問題ではなく人生そのものの核心なのです。

 但し、そこで排除されるべき概念があります。一過性の主義や主張です。そういうものが文学の中心概念だとすれば、百年後には塵箱行きとなるでしょう。斬新なスタイルから一世を風靡した作品が、作家の引退後消滅するケースは、殆どがこの類です。作風が古いとか新しいと云う事ではありません。本ものと偽せもの違いです。




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