ハノーファーは、毎年 CeBit 開催中の宿泊予約率300%。民家の小部屋に素泊まりで5万円というアホらしさから、翌日はハ―メルンまで行きホテルを捜すも超満員。アエルッェンの山奥に小さなホテルがあるというので山道を行くと、路に迷ってしまいました。時刻は、既に午後9時過ぎ。外は土砂降りの大雨で舗装もされていない泥路はタイヤが空回りするばかり。危うく谷底に落ちそうになりました。一時間も走ると、とんでもない山奥に洒落たホテルがあり、中にレストランとバーがある。中は意外と広く、しっかりとしたホテルです。
そこで、オソブッコの料理に添えられた骨肉エキスに出会いました。白子の様な舌触りのラ-ドですが、これは究極病的な美味と云えます。健康に悪い事この上ない。その上、最高級のフォアグラとドイツのチーズが山盛り。肝臓に悪いドイツの地ビ-ルに合います。バケツの様な大ジョッキを五杯呑み乾しました。キャンドルに囲まれた豪奢なバーに移ると、宿泊客ではない地元の人々で満杯。この地では人気の社交場らしい。
「中国人は初めてだ」
「日本人(ヤパー二ッシュ)」
「日本人は英語が下手だが、ドイツ語まで話せるのかい」
「ベートーヴェンの大ファンなんだ」
「カラヤンかい。ドイツ音楽の恥と云われてる」
「ヴィルフェルム・フルトヴェングラ―、オットー・クレンペラー、ブル―ノ・ヴァルター」
「良い発音しているね」
「デートリッシ・フィスカ―・ディースカウ、エリザヴェート・シュヴァルツコッフ。アインシュタインも最高。但し、ヒットラーは嫌いだ」
「名誉ドイツ人に推薦したいね」
「Ich fuhle mich geehrt(光栄です)」
すっかり仲良くなった館主の親父さんとカードをしながら、ほろ酔い顔の紳士淑女に囲まれ碌に歌詞も知らないドイツ民謡を唄い、メニューにあったシャトー・マルゴーの赤をがぶ呑み。
「ドイツ・ヴァインも美味いよ」
「モーゼル」
「安いやつで良いかい」
ハノーファーのぼったくり宿賃より高かった。賭け事には大勝ちしましたが、お勘定はその何倍にも膨れ上がり、親しくなった親父は大喜び。ダイナースで良かった。とは云え、五つ星ホテルに比べれば驚くほど良心的な値段です。あれ程愉しい思い出はありません。
翌日、車でフルトヴェングラ-指揮バイロイト版のベ-ト-ベン第九番が響き出す。心地良い二日酔いが眠気を誘う。第三楽章を聴きながら「今なら死んでも良いかな」と感じる。そんな経験が多々あります。マラッカの海で聴いたラフマニノフ。香港のグレゴリア聖歌。ヴェネツィアのベルリオーズ。パリのボレロ。コペンハーゲンのバッハなどなど。危ない時とは、そういう瞬間ではないでしょうか。しかしながら、最高の瞬間かも知れません。生死の狭間の様に、その境目は曖昧なものです。病みつきになり、その後20年もの間、ハノーファーに行くと必ずこのホテルに泊まったものです。
延べ26ヶ国を訪問しましたが、一番のお気に入りはオランダのアムステルダムでレンタカーを借り、ドイツ、フランス、オーストリア、スイスからイタリアへ渡り、ミラノ、ベネツィア、フィレンツェを経由してローマから次の国へ向かう方法です。少なくとも十数回の経験があります。米国、中国、マレーシア半島の横断旅行と共に忘れ難い思い出になりました。とは云え、言葉が通じないと簡単ではありません。
予期せぬ出来事ばかりでなく危険もかなりありますが、思い出になると不思議な感覚です。ほんの一例を挙げてみれば...
山中で野性のマントヒヒや巨大なイノシシに襲われる。湖に続く登り道で反対車線を突進するTV中継車と正面衝突。ベンツ一台が大破しましたが、回転しながら体当たりでかわしたのです。三たびに渡り飛行機の墜落寸前事故などなど、半端な経験ではありません。これ以上続けると、法螺吹きと誤解される可能性があるのでこの辺で。「血文字の遺言」の危険な場面も、殆ど実話なのです。
今生きている事自体が、何かの偶然かとも思います。
そこで、オソブッコの料理に添えられた骨肉エキスに出会いました。白子の様な舌触りのラ-ドですが、これは究極病的な美味と云えます。健康に悪い事この上ない。その上、最高級のフォアグラとドイツのチーズが山盛り。肝臓に悪いドイツの地ビ-ルに合います。バケツの様な大ジョッキを五杯呑み乾しました。キャンドルに囲まれた豪奢なバーに移ると、宿泊客ではない地元の人々で満杯。この地では人気の社交場らしい。
「中国人は初めてだ」
「日本人(ヤパー二ッシュ)」
「日本人は英語が下手だが、ドイツ語まで話せるのかい」
「ベートーヴェンの大ファンなんだ」
「カラヤンかい。ドイツ音楽の恥と云われてる」
「ヴィルフェルム・フルトヴェングラ―、オットー・クレンペラー、ブル―ノ・ヴァルター」
「良い発音しているね」
「デートリッシ・フィスカ―・ディースカウ、エリザヴェート・シュヴァルツコッフ。アインシュタインも最高。但し、ヒットラーは嫌いだ」
「名誉ドイツ人に推薦したいね」
「Ich fuhle mich geehrt(光栄です)」
すっかり仲良くなった館主の親父さんとカードをしながら、ほろ酔い顔の紳士淑女に囲まれ碌に歌詞も知らないドイツ民謡を唄い、メニューにあったシャトー・マルゴーの赤をがぶ呑み。
「ドイツ・ヴァインも美味いよ」
「モーゼル」
「安いやつで良いかい」
ハノーファーのぼったくり宿賃より高かった。賭け事には大勝ちしましたが、お勘定はその何倍にも膨れ上がり、親しくなった親父は大喜び。ダイナースで良かった。とは云え、五つ星ホテルに比べれば驚くほど良心的な値段です。あれ程愉しい思い出はありません。
翌日、車でフルトヴェングラ-指揮バイロイト版のベ-ト-ベン第九番が響き出す。心地良い二日酔いが眠気を誘う。第三楽章を聴きながら「今なら死んでも良いかな」と感じる。そんな経験が多々あります。マラッカの海で聴いたラフマニノフ。香港のグレゴリア聖歌。ヴェネツィアのベルリオーズ。パリのボレロ。コペンハーゲンのバッハなどなど。危ない時とは、そういう瞬間ではないでしょうか。しかしながら、最高の瞬間かも知れません。生死の狭間の様に、その境目は曖昧なものです。病みつきになり、その後20年もの間、ハノーファーに行くと必ずこのホテルに泊まったものです。
延べ26ヶ国を訪問しましたが、一番のお気に入りはオランダのアムステルダムでレンタカーを借り、ドイツ、フランス、オーストリア、スイスからイタリアへ渡り、ミラノ、ベネツィア、フィレンツェを経由してローマから次の国へ向かう方法です。少なくとも十数回の経験があります。米国、中国、マレーシア半島の横断旅行と共に忘れ難い思い出になりました。とは云え、言葉が通じないと簡単ではありません。
予期せぬ出来事ばかりでなく危険もかなりありますが、思い出になると不思議な感覚です。ほんの一例を挙げてみれば...
山中で野性のマントヒヒや巨大なイノシシに襲われる。湖に続く登り道で反対車線を突進するTV中継車と正面衝突。ベンツ一台が大破しましたが、回転しながら体当たりでかわしたのです。三たびに渡り飛行機の墜落寸前事故などなど、半端な経験ではありません。これ以上続けると、法螺吹きと誤解される可能性があるのでこの辺で。「血文字の遺言」の危険な場面も、殆ど実話なのです。
今生きている事自体が、何かの偶然かとも思います。