ナナカゴ日記 ただいま幸せ60代

60代。突発性難聴。備忘録。呟き。まだまだスーパーパートw

弟のことを少し 続きです

2018年12月20日 | 日々 雑感

高校2年の頃に弟は万引きをしました。
一度だけ。

父が頭を下げて弟を引き取りに行きました。
父は怒り、母は泣いたことでしょう。

わたしがこの事を知らされたのは後になってからでした。


弟は高校を卒業し、関東の大きな工場へ就職しました。

そして何年後か勤めて、辞めて実家に戻ってきました。
その時に借金も抱えて。

その借金は父が払いました。
原因はパチンコ。消費者金融からの借金です。

ざらにある不幸を招く経路です。

人間とは弱いし、愚かなのですね。

ただ両親は健全で良好な人でしたので、
弟はその後もこういうことを何度か繰り返しましたが、
複雑な事にはなりませんでした。
と言うか、こういうところが弟の欠けているところというか、
生まれた時に負った遅れなのかもしれません。
普段からおとなしく穏やかで喧嘩をするわけでもなく、ただ
金銭感覚だけが伴っていない、弱い…


何度も親を泣かしては、家を出たり入ったり…


そうこうして
父が叔父のやっていた事業を引き継ぐことになりました。
業績が悪かった事業を父ならばと言われて
引き継いだ!

これが
両親の悲劇の始まりでした。

大手企業を勤め上げての満額退職金をもらった時期で、
父は父の実家の大叔父にまんまと!
退職金狙いだったのかもしれません!
何もしなければ、悠々自適な老後なはずでしたのに!

この時期、父は弟を呼び寄せました。
親子で少しの間は、楽しく仕事ができたかもしれません。
しかし大叔父に父は裏切られ、
融資と言う借金の保証人になっていた父は、持ち家とお店2店舗を処分する羽目になりました。

弟は仕事を求めてまた出て行きました。
こんな時に、荒れたり
引きこもりにならなかったことは、
弟の良いところだとわたしは思いました。

両親は、
最後に残った小さな店舗付き住居で、
細々と暮らしていました。
それでも
厚生年金をもらうことができたので困るような暮らしではなかったと思います。
ただ息子が出ていって寂しかったでしょう。
自分の兄弟に裏切られ絶縁し傷心しきった父は、ガンで亡くなりました。

この一連の事によって、
私たち夫婦や娘たちの人生も大きく狂わされましたが、
その話はまた今度ということにします。


さて
一人暮らしをしていた母を襲ったのが、
3.11の東日本大震災の地震でした。。
弟は仕事を辞めて戻ってきました。
家は大丈夫でも、地震で腰を痛めてしまった母はとても心強かったでしょう。

独身の弟と母、いろいろ有りましたが、親子二人が寄り添うように生きていく…


そんな美しい言葉で終わりたい…


でも
終わらないんです。


3.11の東日本大震災は東北では求人もあまりなく、仕事を転々とした弟でした。

短期間勤めては転職してしまう弟を心配して、母は円形脱毛症になりました。

それから
少しの間、5年くらい、ホテルの仕事は続けていました。
が、
ついこの間、そのホテルを辞めた同僚に誘われて
わざわざ依願退職して
弟は
着いて行ったんです!
なのにそこをすぐに解雇されのです!
これも弟の弱いところ、誘われると着いていくという。



この年になって!と母は怒りで震えていました!情けないと!

安易に考えるところは、わたしも同じ、弟とは血は争えませんが。
でも彼も苦労はしてきたのだと思います。

そんな弟ですが、
彼の人柄のお陰か、
また元のところで働かせてもらうと言うことになりました!
「お帰りなさい」と迎えてくれたとか。



わたしは弟が元気に働いてくれさえすれば何も望みません。

ただもう今後職場が変わらないことを願います!

もうあと10年かで彼も年金受給者です、

母に心配を掛けないように…




「少し」が
すっかり長くなりました!

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。




断捨離決行中、Twitterの呟き

2018年12月20日 | Twitter


そのままコピペしちゃいます。

✏📝

衣類の断捨離を決行中。今から20年くらい前にもワイドパンツは流行っていたようで、今でも裾を短くすれば履けそう?もうヒールのあるのは履かないし背も足も縮んだから無理w
どれもウェストが〜捨てるしか〜アハハ縮んで太く😅

引っ越しも何回もしたからその度に沢山服を捨ててきたが、まだ有る。捨てられなかった服はもう買えないと思うから。でも、もう着ない着られない!
今回思い切るっ!←自分に発破をかける(笑)

昔、子供たちが小さい頃手作りにハマり、縫ったり編んだりした服はどうしようか悩む。取っておこうか。証拠品に。(笑)



今度はブックオフに送ろうと思う本を、段ボールに詰める作業をしようかと思います。
本も引っ越しの度に捨ててきたのに、いつの間にかまた増えてしまいました。


手元に残す本は、娘たちが来たときに読むコミック本と楽譜と小さいときに読み聞かせた絵本。役に立つかも。


弟のことを少し

2018年12月20日 | 日々 雑感


わたしの弟はわたしとは4つ違いの56歳、
82歳の母親と二人で暮らしています。

弟の生い立ちを少し。

8ヶ月の未熟児で生まれた弟は、生まれたばかりの1週間生死をさ迷ったそうです。
50年以上前の小さな町の産院の保育器の弟は、茶色のような顔をしていた記憶があります。
しばらくは黄疸で黄色い肌をしていました。

今の時代の医学のようだったならと思います。

退院時に母はお医者さんに
言われたそうです。
「息子さんは小学生くらいまで学力の遅れが有るかもしれません」と。

弟はその後は、良くミルクを飲んで体重も順調に増えて、すくすくと育ちました。

小さい頃は思うようにならないと、癇癪を起こし地面にひっくり返り足をバタバタさせて大泣きしたのが思い出されます。

幼稚園の頃には体格も平均値に達していたと思います。
小学四年生に進学する時は、特殊学級に入るか入らないかの選択を迫られましたが、
両親は普通学級を望みました。
体格はいたって普通で
健康で、かけっこなどは早かったです。
その後も通信簿は体育以外は
1と2が並んでいましたが、
いつもニコニコしている優しい子という評価がありました。
母は弟が中学の頃、学力面を心配して家庭教師を付けました。


義務教育を普通学級で過ごした弟は、高校は農業高校に進学し、部活は柔道部に所属していました。

その辺りから
両親の心配することが起こり始めました。




弟のことを少しだけ書こうとしましたが、
少しではなくなりました。

こういうところが残念な頭(笑)

続きは後程。m(__)m