みみずのしゃっくり

みみずのしゃっくりのように役に立たないことを不定期に書き込むブログ。
専属スターはいませんが、猫っぽい内容です。

ななみみず前身「みみざこ連」




仔ニャンコ・仔ワンコが新たなお家に迎えられるには、いつ頃が良いのでしょうか?
いわゆる「8週齢」問題については、こちらをご覧ください。六つ子の仔猫の動画もあります。

最新記事は、この下です↓
通常1日おきに更新の予定ですが、2日おき、あるいは3日おきになることもあるかも・・・(^v^;)

結論❕

2021-01-10 | その他

ベートーヴェンの年は終わりましたが、ベートーヴェンの曲は放送されています。
再度のお知らせ:ラインライダーの運命第1楽章
でも、これは本文と関係ありません。「運命」というタイトルは暗示的かも・・・


むしろ可愛いヒトを見ましょう




このヒトも本文と関係がありません。「にぎやかし」の「色物」です 
(後日再登場の予定)

以下の本文は面白くありません。保証します


カエサル暗殺を描いた絵:仏語Wikiクーデターに載っていた絵です。





盲目の鏡最年少渦中の人ここにも女傑などと並行して、当然のことながらKindle版伝記のみならず多くのネット記事も読んでいて、やや鬱状態になりました。何百人もの人が処刑されたからです。

で、事件の全体を見ていて「なんだ!これは典型的なクーデターじゃないか!」と改めて気が付くとともに、改めて第一次大戦戦勝国側の2つの犯罪(過失致死とも言える)にも気づきました。

既に何回か書いていますが、ヴェルサイユ条約でドイツに押し付けられた過酷な条件が、ヒトラー台頭の好条件を提供しました。

ヒトラーは政権を握ると再軍備を推し進めました。もちろん侵略戦争のためです。口実は簡略化して言えば「今のままではドイツは生き延びられない」ということでした。しかし当時のドイツ軍上層部には「今またヨーロッパを相手に戦争したらドイツは負ける」と判断する反ヒトラー派が存在しました。

1938年春にオーストリアを併合したヒトラーは秋に英仏伊の首脳を招いてミュンヘン会談を行いました。このときドイツ軍上層部の反ヒトラー派は、英仏伊がヒトラーの要求を拒否したらクーデターを起こすという計画を立てていました。しかし、英仏伊がヒトラーの要求を全面的に受け入れたため、クーデター計画は実行できませんでした。このとき英仏伊が断固としてヒトラーの要求を退けていれば、ドイツでクーデターが発生し、その後の歴史は大きく違っていたことでしょう。

ドイツ軍上層部の反ヒトラー派は、その後もヒトラー暗殺=クーデター計画を放棄したわけではなく、遂に1944年7月20日となります。
ヒトラー暗殺=クーデター計画に加わった多くの将校は、「ナチスの戦争犯罪・ユダヤ人迫害は許せない」と考えていましたが、バルバロッサ作戦の破綻が明確になると「早く米英仏と講和して共にソ連と闘わなければドイツはソ連に占領される」という危機感が加わりました。

このクーデター計画は、ほぼ80%成功したと言えます。そもそもヒトラーは軍上層部に反ヒトラー派がいることを知っていて、完全に信用できる側近以外は直接ヒトラーに近づけない態勢を築いていました。クーデター計画はその中で進められ、多くの将校が加わりました。参加を断った将官も、決して秘密を漏らすことはありませんでした。臨時政府の主要な人事も決められ、しかも会議中のヒトラーのそばに時限爆弾を置くことにも成功しています。しかし悪運の強いヒトラーは軽傷で生き延びました。

ヒトラーが死んでいればクーデターは成功したのでしょうか?難しい問題ですが、私は成功しなかったと思います。
クーデター計画では、ヒトラーの死亡と同時にナチス幹部を逮捕投獄、臨時政府樹立を宣言し、連合国側と停戦交渉を開始することになっていました。そのために早くから連合国側との秘密の連絡が取られていましたが、連合国側は完全に無視し続けました。世界情勢は既に「冷戦時代」に突入していたからです。

この状況を無視してもクーデターの「プロローグ」だけは成功したかも知れません。しかし、ナチスの幹部を投獄していれば内戦勃発を防げたかどうか・・・
ヒトラーとナチスの独裁や戦争犯罪を批判し、それに終止符を打とうと努力した人々がドイツ国内に存在したという事実を世界に証明しただけで、この企ては「成功」だったと思います。

私がKindle版で読んだ伝記の著者は、「ヒトラー暗殺=クーデター計画」を評して「スターリンによる大粛清の時代、あるいは文化大革命の最中にスターリン打倒あるいは毛沢東打倒を実行するような大それた企て」としています。
しかし・・・と私は思います。ヒトラー暗殺=クーデター計画は戦争中であればこそ実行できたのではないでしょうか。軍の将官の多くが反ヒトラー派でも、戦争遂行のため彼らを簡単に更迭することはできませんでした。スターリンの大粛清も毛沢東の文化大革命も平和時に進んでいます。軍の幹部でも誰でも簡単に「反逆(の意図だけでよい)」を理由に処刑できるのです。

ヒトラー暗殺=クーデター計画に参加し処刑されたのは素晴らしい人たちです。しかし、それを紹介していくと「1944年7月20日事件のブログ」になってしまいます。

黒いオーケストラには多くの重要な人物が欠けています。

英語WikiのGerman resistance to Nazismは大変詳しいです。

その末尾の名簿
List of Germans who resisted Nazism
List of members of the 20 July plot