「あるいはエステル」の著者の祖父は強制収容所に入れられました。
幸い戦争が終わる直前で、収容から17日後にはアメリカ軍によって強制収容所が解放されました。その収容所がオーストリアのマウトハウゼン収容所でした。
マウトハウゼン強制収容所の中央門(現在は記念施設)
アウシュヴィッツを筆頭に知名度の高い強制収容所に比べ、あまり知られていないマウトハウゼンですが、ある意味では最悪の強制収容所でした。
収容された人々を採石場での過酷な強制労働によって殺すことを目的した収容所だったからです。ここに集められたのは反ナチスの人々(ナチスによれば「反社会分子」)、ソ連軍を始め様々な国々の戦争捕虜でした。同性愛者も「反社会分子」として、ここに収容されました。
収容所の位置から見た採石場と「死の階段」
草むらに隠れた崖の下が採石場で、収容者は切り出した大きな岩を担いで、中央やや後方に見える「死の階段」を登らなければなりませんでした。
その恐ろしい状況は上にリンクした日本語Wiki記事にも描かれています。この崖から突き落とされ殺された人も多かったようです。
ここに収容されていた戦争捕虜やレジスタンス・メンバーの国籍は30以上で、夫々の慰霊記念碑があります。大分後ですが1984年には同性愛者のための銘板も設置されました。記念碑や銘板の写真はドイツ語Wikiで見られます。
ドナウ川に面したマウトハウゼン:人口5000人に満たない風光明媚な村
「あるいはエステル」の著者は「この土地が、こんなに美しいのか?」と違和感を記しています。
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