貴重な録画鑑賞でした、指揮小沢征爾・ロストロポーヴィチ
N響共演演奏会が・・95年1月の演奏を聴く
聴いていて、芸術家の人間性、小澤氏と音楽芸術ロストロポーヴィチ氏に触れた・・録画鑑賞から心に響くものが・・・ポーヴィチ氏とは指揮、チェロ協奏と2回程生聴きが・・サインも頂いた記憶が・・
・アンコールで祈り祈りの演奏から・・涙と、鎮魂と・・地球星ではロシア侵略、コロナ禍、自然災害で多くに方々が亡くなっていて・・残された方は・・でも人が活きている、困難を乗り越えて、強く平和を願い、己の出来る事で平和貢献を・・音楽から活きる力を頂く
白眉は後半演奏の
1968年小澤氏27歳ー1995年、小澤59歳32年振りにN響とー
27年後、2022年3月に何かの力が出会いを作為した、節、節に日本で大きな自然災害も 20年ー22年のコロナ・・・今年も3.11が・・
32年ぶりの共演1995年1月23日、サントリーホールにおいて小澤とN響は32年ぶりに共演を果たした。このコンサートは、日本オーケストラ連盟主催による、身体の故障で演奏活動が出来ないオーケストラ楽員のための慈善演奏会であり、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチをソリストに迎え、以下の曲目を演奏した。
ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ - Wikipedia
- J. S. バッハ:『G線上のアリア』(阪神・淡路大震災犠牲者追悼)
- バルトーク:管弦楽のための協奏曲
- ドヴォルザーク:チェロ協奏曲
- J. S. バッハ:無伴奏チェロ組曲第2番サラバンド(阪神・淡路大震災犠牲者追悼。ロストロポーヴィチの独奏)1995年1月17日午前5時46分に発生した阪神・淡路大震災。 6434人が亡くなり、10万棟を超える住宅が全壊するなど
なお、小澤はこのコンサートを引き受けた理由として「(「小澤事件」を知る)昔の楽団員が退職したり亡くなったりしていなくなったから引き受けた」という趣旨の発言をしている。
N響事件【小澤征爾とNHK交響楽団の確執】 | otomamireそして様々な苦難を乗り越え、我々が知るような世界に誇るに日本人指揮者『小澤征爾』となったのです。
アメリカで成功を収めた彼は後にこう語っています。「“出る杭は打たれる”。まだまだ若かった27歳当時の自分がどういう態度を取ったらいいかも分からず、全ての面でNHK交響楽団に対する配慮が足りていなかった」と自ら非を認める発言もしていました。NHK交響楽団を指揮するまでには『N響事件』が起きてから実に32年という歳月が経過してからでした。芸術家という個性は本当に頑固なんだと改めて感じます。そして小澤を支えた仲間たちがいなければ世界のOZAWAを日本で見る事はなかったかもしれません。
管弦楽のための協奏曲 (バルトーク)この曲は1943年当時ボストン交響楽団の音楽監督だったクーセヴィツキーが、自身の音楽監督就任20周年を記念する作品として、また亡くなったナターリヤ夫人の追憶のための作品として、彼女と共に設立した現代音楽の普及を目的としたクーセヴィツキー財団からの委嘱としてバルトークに作曲を依頼した
Bartók: Konzert für Orchester ∙ hr-Sinfonieorchester ∙ Andrés Orozco-Estrada [parts:eNozsjJkhIPUZENDA6NkswJ3IzMnX5ewIEtXJjMTAyZjMwMmAyYEcHBwAAD0BAgk
Dvorák - Concerto in B minor Op. 104 / Mstislav Rostropovich
Rostropovich plays Bach 6 suites for cello solo DVD 1991
1995年 小澤征爾 G.マーラー 交響曲第2番「復活」 長崎ライヴ
Mstislav Rostropovich - Tchaikovsky's Andante Cantabile
ブザンソン指揮者コンクール日本人優勝者ランキング【最も活躍する日本人指揮者とは】 | otomamire
広上氏常任指揮者、京都市響、最後の指揮振りがマーラー3番から変更に・・
私は京都移動を断念ですが・・マーラー1番に変更とは残念です
なお、今回の変更に伴うチケットの払戻しは致しかねますので何卒ご了承ください。 | |
曲目等 | 尾高惇忠:女声合唱曲集「春の岬に来て」から「甃のうへ」「子守歌」 (合唱:京響コーラス) マーラー:リュッケルトの詩による5つの歌曲 (メゾ・ソプラノ:藤村 実穂子) マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」 |
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マーラー復活 小澤指揮ボストンシンフォニー
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