昨夜、岩見沢東高校合唱部OB(昭和60年卒)のM君から突然のメールが入った。M君は高校3年次、テナーのパートリーダーとして大阪フェスティバルホールの全国コンクールでソロを担当した人物である。某大医学部へ進学したことまでは知っていたが、その後音信は途絶えていた。
メールの内容は、「20年以上ご無沙汰していました。先の(小樽市での)北海道男声合唱祭で函館男声合唱団の一員としてソロをやりました。一年ほど前から函館男声合唱団に入り念願の男声合唱にはまっています。」という報告であった。
そして、最後に殺し文句があった。「私は、函館で眼科医をしています。毎日、網膜の手術をしています。毎日の手術にも、今回のソロにも、先生の指揮で大阪フェスティバルホールでプレッシャーの中で歌ったソロの経験が生きている気がします。」
このメールが入ったのが23時57分。8703は早速、返信を打ち布団に入ったが珍しくも、しばらく眠りにつくことが出来なかった。
昭和59年、大阪フェスティバルホールでの全国コンクール、自由曲のソロで、M君が出だしで声がひっくり返るも懸命に歌い切ったこと等々を思いながら、懐かしさや嬉しさが交錯して明け方まで感慨に浸ったのである。