コロナ禍のなかで後ろを向いてばかりいても仕方のないことなのだが、過去を振り返ってじめじめすることがある。
「あのころは良かったなあ」というやつだ。
2018年、秋に大学ラグビー早慶戦を観に、東京へ行った。RWC2019の約1年前のことであった。
もちろんこのころはほとんどの人がマスクなど着けず、「3密」などという言葉も知るよしもなく、ぎゅうぎゅうになってラグビーを楽しんでいた。
ちょうどこの日は、すぐ隣でスワローズの感謝祭もやっていたっけな。
丸尾くんが2年だったか…、今年の大学ラグビーを観ていると、その丸尾くんが4年主将となり活躍していた。ああ、あの丸尾くんが4年生か。あるいはこの日に衝撃的なドロップゴールを見せてくれた岸岡くんも、もう卒業してしまっているのか…などと感慨深い。
人、人、人。
ほぼ満員である。この日は早稲田が勝利した。
今年は天理が優勝した。確かに早稲田も明治も頑張ってほしい気持ちはあるものの、関西勢が久しぶりに優勝したことでかなり興奮したものである。
ネットなどでは成人式後に会食をした若者にたいする批判などもあるようだが、「我慢のできない大人」や「カネと権力に縛られて身動きのとれない政治家」などの行動や政策を目の当たりにしている若者、コドモたちが、まともな思考や思いやりで動けるはずがないのではないか。
確かに彼らは大人の「背中を見て育って」いるのである。
国民は、自身の国であることを自覚し、政治家のアレコレに振り回されることなく、正しく行動すべきである。「政治家がああ言うから」「誰々がこう言うから」ということでしか判断できないというのならば、いずれ滅ぶべくして滅ぶだろうとさえ言って良いのではないか。
しかし、それでは説明のつかない「感情」というものがある。
ヤツらが我慢していないことを、なぜ我々が我慢せねばならないのか。
カネの苦労のない連中の言うことを、なぜ我々が聞かねばならないのか。
そういう「感情」は、理屈でどうこう出来るものでもない。学校のクラス運営を考えればわかりやすい話だ。「率先垂範を旨とすべし」、これが理解できないかぎり、政治家は存在する意味がない。
…というようなことを考えながら、一方で、「ああ旅行したいなあ」というようなことばかり考えている。