✳日々徒然✳

気儘な独り身備忘録。

【インターコンチネンタルホテル大阪】梅田

2021-01-21 18:00:00 | ホテルステイ

実はもっとも頻繁に泊まる宿は『インターコンチネンタルホテル大阪』である。

クラブルームの特典が、2020年10月から新しくなり、

■駐車場無料

■ルイロデレールボトル1本プレゼント(いちご&マカロンボックス付)

■ミニバー無料(1回)

この3点が特筆すべき点。

けっして高価なボトルではないけれど、ルイロデレールは無難に美味しいシャンパンなので、これがボトル1本プレゼントとなると何となく嬉しい。ラウンジでも飲めて、部屋でも飲める。何ということだ。

週末に泊まるときは、たいてい20Fのレストラン『Noka Roast&Grill』のシャンパンブランチを楽しんでから部屋に上がるというのが常である。

このシャンパンブランチがとても良い。

ここでもルイロデレールをじゃぶじゃぶ注いでもらい、がぶがぶ飲んで、良い気分になってそのまま部屋で昼寝する。怠惰という他ない。

ここの寝具は大のお気に入り。

よく眠れる。

いちごにシャンパン。映画のようだが、実際、いちごにシャンパンが合うんだもの。仕方ないよなあ。

淀川ビューの部屋が好きである。以前によく同じ部屋番号をリクエストしていたせいか、最近はリクエストなしでも同様のビューの部屋にアサインされるようになってきた。

UGで通されたレジデンスルームも良かったが、慣れたダブルルームもやはり良い。

早朝に目を覚まして、群青色のなかに街の灯りがきらめいているのを見るのがまた好きだ。

17時からはクラブラウンジでのカクテルタイムがはじまる。

最近、アフタヌーンティータイムに行けていないなあ。

これはリニューアル前のラウンジだけれど…

雰囲気は変わらず。

ムーンフルーツのアイスをお願いしつつ、ロゼも楽しんだり。

17時~19時という短い時間しか滞在できないわけだが、じゅうぶんである。そしてカクテルタイムは、コロナ禍まえにラウンジで朝ごはんの和食弁当に使われていたお弁当箱が活躍。

ハムやチーズからはじまり、スイーツで完結できる、カクテルタイムお重が運ばれてくるのである。

どれもシャンパンにあう美味しさ。

毎度少しずつメニューも変化があるし、これはこれで楽しい。彩りもきれいだ。

この日はいつものHさんがいらっしゃらずに寂しかったけれど、ゲストも少なく、穏やかなカクテルタイムであった。


【寿司赤酢神戸元町】神戸元町

2021-01-20 18:00:00 | グルメ

かなりの頻度でお邪魔するようになった。

ワタシの舌そのものはグルメでも何でもなく、食材の良し悪しとか、何かそういう批評家のようなことは言えないし、言う能力もないのだけれど、基本的には「もっと食べたい」「そうでもない」「もういらない」という、おおよそ3パターンで感想が構成されており、「もっと食べたい」と思うと自分でも引くほど足繁く通う。

とても正直かつ素直な客なのだ(笑)

というわけで、こちらの店は大将をはじめスタッフの感じもよく、味も好みなので、ここのところ定期的に通っている。

何度食べても美味しい、というメニューもあるので何度行ってもあまり不満を感じない。

このぼたんえびはかなりのお気に入り。

残った卵黄にシャリを入れて食べたいくらいだ。…最高の卵かけごはんでは??

ワタシは1人で映画を観に行くことはないが、1人で鮨屋のカウンターに座ることには抵抗がない。最近はコロナ禍ということもあり、1人カウンターの隅っこで黙々と鮨を食べることが多い。

氷見ぶりのしゃぶしゃぶ。これはなかなか火の通り方もよくて美味かった。

…石川県の氷見のぶり、とその場にいた誰かが言っていたが、氷見は富山県では?(笑)

ぶりのおかわりでもいいけれど、やはりたまくえも捨てがたい。

いやしかし白子も食べたかった。季節ごとにしゃぶしゃぶの内容も変わるので、楽しみが尽きない。

これだけは通年鉄板メニューで変えないでくれと、心から願っている1品。はまぐりの茶碗蒸しである。

赤むつ昆布じめ炙り。脂のりの良い赤むつは、わさびを多めに添えても辛さを感じない。赤むつはもちろん塩焼きや握りでも美味いだろうと思うけれど、ワタシはこの食べ方がいちばん好き。

正月期間の特別椀、白味噌雑煮風の椀が出た。

ワタシにはあますぎてやや食べにくかったが、そういえば白味噌も最近味わっていないなと思い出す。毎年『炭屋旅館』でいただいていた白味噌の椀が懐かしい。

しばらく鮨も県内かつ1人で、おとなしくいただくことになりそうな感じである。


【ザロイヤルパークホテルアイコニック大阪御堂筋】本町/淀屋橋

2021-01-19 18:00:00 | ホテルステイ

御堂筋沿い、淀屋橋を過ぎて、本町にまでは到達しないというあたりに、『ザロイヤルパークホテルアイコニック大阪御堂筋』というホテルが出来ている。

『オービック御堂筋』というビルの上階に入っているホテルである。カジュアルホテルの類かと思われるが、エグゼクティブフロアがあり、ラウンジも備えているというので、まあお試しということで行ってみた。

15Fにフロントがある。神戸旧居留地の『オリエンタルホテル』タイプだ。駐車場もあるが、地下立体で1台ずつ係員の指示に従って出入庫するシステム。宿泊者は特別価格1時間100円とのことだが、まあしっかり料金は取られるし、1泊上限有というわけでもなさそう。せめてエグゼクティブフロアのゲストは無料にするとか、あるいは1滞在につき一律2000円にしてフロント清算してしまうとか、まあ場所柄むずかしいのは分からないでもないが、もう少し良い方法があるのではないかと思う。そう、フロント清算でないのも気持ちとしては面倒だった。

下手をするとチェックアウト時なども待ちが出る。振り返ると、総合的にはこの駐車場がネックかと。まあ電車で来いよということなのかもしれないけれど。

目の前には御霊神社。ホテルのすぐ北側には『パーラー淀屋橋』という店があり、今回は行けずじまいだったが、次回こちらに行ってみたいなと。

15Fに上がると、正面にこのオブジェ。宿泊サイトなどでもよく見る写真だ。

エレベーターを降りて左手にフロント、右手にレストラン&バーがある。ちょうどこれが北向き、コンラッドやANAクラウンプラザが見える。

ここはカジュアルレベルらしく、事前清算であった。

エグゼクティブフロア、最上階25Fのコーナーデラックスダブルルーム。

底カテのお部屋などはずいぶん狭いようなので、多少上乗せしてでも広めのお部屋を予約するのが良いだろうと思う。

御堂筋などは、上から見下ろしていると実に気持ちがよい。

新しいホテルなので、どこもかしこも綺麗なのが嬉しい。

御堂筋ビューのお風呂。洗い場付きで、非常に快適であった。

バスソルトなどは、すべて洗面の引き出しに収納されている。

バスローブもある。パジャマもある。

南側にテレビが設置されている。ホテル案内などはすべてこのテレビで確認できる。

こうしてみると、コンラッドがかなり近く感じる。まあこのあたりまでは梅田寄りというか、梅田界隈が視認できるので、ミナミの匂いを感じることもなく、そういう意味では行きやすい。

夕暮れの西側ビューは美しかったなあ。天保山の観覧車がよく見える。靭公園も見える。ある程度の地理を把握していると、このあたりは見ていてわかりやすいので面白い。

ソファもちんけなものではないので、快適であった。

やはり梅田にインターコンチネンタルホテル大阪がある以上、そちらに行くことのほうが圧倒的に多い。自宅からは、梅田が断然行きやすいのである。

ただまあ、こちらのホテルもリーズナブルにエグゼクティブラウンジを楽しめるので、ANAクラウンプラザホテル大阪が自分の中から脱落したその代替としては、じゅうぶんに満足できる。


【soda up】神戸元町

2021-01-18 18:00:00 | グルメ

神戸元町に『soda up』という店がある。

わりとひっそりとした佇まいの店だが、土日などはずいぶん混雑するらしい。

ただし、平日の夕方、つまりすし屋の開店前あたりにぶらりと寄ると、たいてい空いている。

果物を惜しげもなく使ってくれる。

基本的にはサワーということになるが、ノンアルコールにもできるらしい。

ゲストノートが置いてあり、ワタシが訪問したときにはすでに10冊に到達していた。

柿ソーダ、それからキウイのノンアルコール。

果肉がたっぷり入っているので、嬉しい。

いまはメロゴールドが出ているらしいが、間に合うかどうか。『寿司赤酢神戸元町』のすぐ南にあるので、また食前食後と立ち寄ってみようと思う。

雰囲気のあるお姉さんが出迎えてくれる。


【阪神淡路大震災を思い出す】

2021-01-17 05:46:00 | 日記

阪神淡路大震災から26年が経つ。

当時、ワタシは小学生であった。

インフルエンザだか何だか分からないが、高熱を出していた記憶がある。眠っていたところを、大きな洗濯機に放りこまれ、ぶんまわされたかのような衝撃を受けて目を覚まし、身動きもできないまま大声で叫んだような気がする。

電気の傘がふっ飛んできて、隣室で寝ていた両親、特に母親が心配してワタシの名前を叫んでいた。すぐ隣、けれどあまりの揺れに歩くこともできず、ワタシの部屋に来ることができなかったのだ。互いの名を叫ぶしかできなかった。

家のなかのものがたくさん倒れ、電気は点かなかった。水も間もなく出なくなった。

何もできずに、ラジオを点け、明るくなるまで家族3人で寝室でじっとしていた。

 

明るくなってから、ベランダに出て周囲の様子を見る。そのころワタシはマンションの8階に住んでいた。団地だったこともあり、ぱっと見まわしてすぐにそれと分かるような被害はないようだった。ただ、しんとしていた。体の芯が冷えるような静寂があり、その感覚はいまでも覚えている。

 

尼崎と西宮にそれぞれ祖父母が住んでいた。安否確認のために公衆電話に向かったが、大行列ができていた。

尼崎は何ともなかったものの、阪神西宮駅のすぐ近くに住んでいた祖母の古いマンションは半壊、さらにその周囲の木造民家の多くが全壊だった。そういえば西宮の祖父母は、長いこと避難生活を強いられたのだったな、と今これを書きながら様々なことを思い出している。

毎日ポリタンクを持って、隣の中学校に給水しに行った。毎日長蛇の列だった。陸上自衛隊が来てくれていたと思う。ガスボンベで調理をし、節水のために紙皿を使い、夜は小さな余震でもすぐに飛び起きた。無意識のうちにかなりの恐怖とストレスを感じていたのだろうなあ。

今でも地震があると、小さな揺れでも体が硬直して動かなくなる。

小学校もしばらく休校だった。休校が明けても当然ながらすぐには日常は戻ってくることなく、給食にポールウインナーが出てきたことを、鮮明に覚えている。

習い事で芦屋に行っていた。全壊し、ブルーシートがかけられ、花が手向けられた民家の前で、ピースサインをして写真を撮りあう人がいた。「これが東京でなくてよかった」と言った政治家もいたように思う。子ども心に、「道徳とは何か」「人を人たらしめるものとは何か」と考えた。助けあうことも覚えた。

生きているから、あの体験も無駄にせずにすんだのだと思う。

だが、ああいう体験はせずにすむなら、しないほうがいい。

阪神淡路大震災を経験し、東日本大震災を見て、いまコロナ禍のなかにいる。戦後に生まれて幸運だったことは間違いないけれど、これもひとつの戦争といっていいかもしれない。

自然のまえに人は無力なのだから、せめてそうでない理不尽な命の落とし方をせずにすむように、思いやりを持ちつつ生きていけたらいいのにと思いながら、1月17日を過ごす。