ナオスミンの雑記

2009年9月14日より、四年半使用し続けた、グリチルリチン酸配合のATPリピットゲルを中止。リバウンド体験中。

寄生虫

2014年06月04日 20時25分54秒 | 寄生虫

このところ、ネットで寄生虫について調べています。

調べれば調べるほど、寄生虫症は怖いと思い知らされます。

そして、昔の人が長生きできなかったのは、寄生虫のせいだったのではないかと思っています。

 

日本は1970年代くらいまでは、畑に人糞をまいて作物を育てていました。

だから、ほとんどの人のお腹には寄生虫がいました。

その寄生虫の卵は、漬物にしても死なないのだそうです。

だから、韓国から輸入されたキムチに、寄生虫の卵が入っていたということも、うなづけます。

 

山に住む動物は、ものすごい数のダニや寄生虫と共存しています。

野生の熊には、何百匹ものダニがいて、その上、筋肉や腸にたくさんの寄生虫がいるのだそうです。

それでも元気に生きている、熊やイノシシの生命力には、びっくりさせられます。

もしこれが人間だったら、たちまち死んでしまうでしょう。

それくらい、人間は弱くなってしまったのだと思います。

だから、もう人間は、大自然の中では暮らせないのです。

山や畑に入る時には、虫やダニにやられないように、完全防備が必要です。

家の中にも、虫が入らないように、網戸をしたり、工夫しなければなりません。

食べ物も、生はできるだけ食べてはならないし、食べる前にはよく手を洗わなければなりません。

ペットも、ダニや寄生虫に気をつけなければなりません。

 

人間は、山から離れて、人工的に作った町でないと、暮らしていけないようです。

で、自分でも、何が言いたいのか分からなくなりましたが、大自然が、絶対善とは、言えないのではないか、ということです。

自然は善でもあり、悪でもあるのだと思います。

自然は人間や動物を育みもしますが、殺しもします。

寄生虫やウィルス、細菌は、人間を攻撃します。

 

そんな自然と人間は、どう関わっていくべきなのでしょうか。

自然には逆らってはならないのだけれど、人間は自然を知り、うまく共存していくしか、道はないように思っています。

ダニだらけ、寄生虫だらけの、大昔の原人に戻りたくなければ。

 

だから、道路をセメントで固め、木々を消毒し、飲み水を浄化し、人間同士が固まって、町を形成してきたのでしょう。

だから、町には山と同じような虫や動物たちがいないのですね。

 

 


今年の家庭菜園

2014年06月04日 20時24分45秒 | 自然農法?

自分で家庭菜園をやっていると、その難しさにものすごく考えさせられる。

去年は、生ごみを肥料をして使うため、畑の畔にたくさん埋めた。

でも、その行為は、やり過ぎると、土を腐らせてしまうかもしれないものだ。

 

で、今年は、生ごみを畑には埋めないことにした。

ただし、畑で採れたもので、食べない部分は、発泡スチロールで作ったコンポストに入れて、来年の肥料として使うことにした。

 

去年も、畑で取れて食べられないきゅうりの茎や葉、枝豆の葉や茎は、そのまま畑に置いておいたので、今年の肥料となった。

 

それで、悩んだのは、一番美味しい部分の、トウモロコシや枝豆、トマト、きゅうりなどは、収穫して食べてしまうので、その分の栄養素を、畑にどう還元するかだ。

 

畑で採れたものは、畑に返すのは、畑の土も無理なく消化してくれるだろう。

だって、畑が産んだ作物なのだから、消化不良となるような余計な部分など何もないから。

でも、毎年収穫していけば、畑は少しずつ、痩せてきてしまう。

窒素はマメ科の植物が空気中から取り入れてくれるだろうけど、リン酸やカルシウムは収穫量に応じて、少しは補わなければならないのではないか。

 

考えてみると、畑というのは人間が人工的に作り上げるものでしかない。

自然に任せていたら、絶対に収穫できそうにない作物を育てるために、耕して、適量の肥料をやって、その作物を大きく育てるのだ。

しかし、だからと言って、まるっきり自然に反して良いというわけではないだろう。

なぜなら、畑で取れる作物も、自然から生まれたものだから。

でも、わからなくなった。

人類がこんなに人口が増えてしまったのは、畑に農薬を使って、収穫量をあげたからだ。

もし、農薬を使わなかったら、収穫量は減り、人類も飢饉などで人口が減るだろう。

江戸時代のように。

かといって、これからも際限なく畑に農薬を使い続けていけるのだろうか。