今は京都府と大阪府の境目にある洞ヶ峠近くの八幡市に住むことになって、早くも30年、すでに「京都に行く」という言葉も何の抵抗もなく話せるようになりました。
洞ヶ峠といえば山崎の合戦、あの明智光秀に援軍を頼まれた筒井順慶が日和見を決め込み光秀が合戦に負けた後秀吉についたという「洞ヶ峠を決め込む」という有名な言葉を生み出したといわれていますが、八幡市史では、それらは伝承であり筒井順慶が洞ヶ峠まで出陣したという史料は見当たらないと書いてあります。まっ、今でいうフェイクニュースのようなものでしょうか。歴史というのはそういうものかもしれません。
これからのプチハイクをより面白くするため、少し横道にそれてみようと思います。
今回の探訪のテーマですが「なぜ 天皇家に菩提寺があるのか」というものです。今でこそ「象徴としての天皇」ですが「神様」だったはずの「天皇家」がなぜ「仏教に帰依していたのか」というけっこう京都らしいテーマですよね(笑)当然「問い」は僕が作りますが、答えはあなたたちが作り、事後の省察会という名の下に行う飲み会で議論するのが僕のルールです(笑)
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