それでは本題の「東山プチ歴史探訪 東福寺から一駅の旅」を始めましょう。
集合場所はJR東福寺駅前 京阪電車の乗車口が見えているのに看板はJRのほうが大きいという少し変わった場所ではあります。
すぐ前は狭い道幅の本町通で、そのまま行けば次の駅が「Inari」駅になります。(いつの間にか英語表記の似合う駅になりました)この辺りを遊び場にしていた昭和30年代には外国人など見ることがなく、正月に人が集まる場所、駅の前で雀の焼鳥屋がある場所としてよく知られていました。
とりあえず飲み物とおにぎりをすぐそばのコンビニで購入して本町通を北に進みましょう。左側に大きな石碑で「東福寺」の入り口、中を拝観する気はさらさらないので、とりあえず塔頭を横切りながら京都五山の一つ臨済宗大本山 東福寺、日本最古の最大級の伽藍を眺めてください。
境内にある百雪隠という場所の近くには穴や窪地か大きな石があって近くの子供たちの格好のかくれんぼの場所でした。そこが修行僧たちのトイレであったということを知ったのはずーと後のことでした。
最初の見学スポットは通天橋、ただの木造の橋ですが秋には人がわんさかやってきます。モミジの名所です。季節外れは無料で通れるはずです。
秋にはモミジの名所ですがそれ以外の時にはさほど人も来ず静かな風情があるはずです。境内の塔頭ではお茶やお花を教えているなど意外と商売上手なところもあります。また、雪舟が書いたとされる絵もどこかの塔頭で公開されているはずです。教科書に名前が出るような人たちの作品に身近に出会える街、それが京都なのかもしれませんね。
さて、東福寺を突き切ったら、いよいよ東山トレイルに向けての上り坂を上がっていきます。途中、府立日吉が丘高校を横に見ながらさらに奥の南日吉町を目指します。この辺りから東山三十六峰という京都盆地を囲む山並に上る道がいくつかあります。中世や近世において山の民(サンガとか土蜘蛛と呼ばれた人たち)が通った稜線の道がありました。小さなころはそうした山道に入りアケビや時にはマツタケをとることができ、山の中に霞網を仕掛けて雀をとって、稲荷の屋台に売りに行ったこともありました。
東山トレイルと呼ばれる道はそうした京都の周りを囲む道を再整備してつくられているようです。稲荷山の茶店から清水の舞台の下を通って吉田山までは行ったことがあります。あまり教えたくはないのですが吉田山の中腹にはとても素敵な喫茶店があるのです。
さて東山トレイルの入り口です。右に行けば稲荷山、左は今日の二番目の見学スポット「御寺」です。
この階段の向こうに今では金網の塀がありますが、この金網の向こうは「宮内庁」の管轄の土地になっています。
なぜならこの山全体が御陵になっており天皇家に深い関係がある場所なのです。歴代の天皇は即位の時その御陵に即位の報告をするという儀式を行います。そのためこの御陵に近い小学校の児童たちは沿道に並び小旗を持って通り過ぎる天皇や皇后陛下を迎えることがあるのです。そんなことを当たり前のものとして受け入れていた僕にとって、「天皇は神様だから」という大人たちの言葉はそれほど違和感のあるものではなかったのです。何も知らない子どものころは。何も知らないことはある意味で幸せだと思います。疑問を持たないで、大人たちのいうことを信じているほうがずっと楽な生き方ができそうだと思います。残念ながら僕はそうではなかったのです。「えー、神さんがなんでお寺に行くの?」と思ってしまったのです。さて、なぜでしょう?
この山の奥に行くと鳥辺山、今日の街が疫病や戦乱で死者がたくさん出ると「鳥葬」にしたというエリアです。今は東山ドライブウェイができましたが、火葬場や大谷廟という大きな墓地が京都の街を見下ろしています。
階段の坂を上がると、お墓がたくさんあります。どれも立派なお墓(陵墓)ですが、ある特徴があります。
親王とか皇子とか天皇の親族のお墓なんです。当然天皇はどの時代にも一人にすることでその正当性を維持してきたのですが、その裏には当然「天皇になれなかった人たち」がたくさんいたのですよね。そうした人たちが一堂に集まっているエリアなんですよね。どんな親王が祭られていて、どんな経緯でここに葬られたのかなんてなんか「長屋王」のストリーみたいなことがここに葬られている人たちも持っているのかもしれないという妄想がわくスポットです。
ここを通り過ぎれば天皇家の菩提寺「泉涌寺」が右手に見えてきます。鎌倉時代に創建されたといわれてますが、天皇家の菩提寺というより『楊貴妃観音像』が有名なのだそうです。楊貴妃観音像...美人祈願という女性に嬉しい、ありがたい像なのだそうです。
参道を降りていく感じで歩いていくと泉涌寺の山門が見えてきます。途中には京都市立東山泉小中学校やいくつかの塔頭があります。最近なんか注目された「大仏」があるお寺もあるのでのんびり見ながら降りていきましょう。森林浴が楽しめる緩やかな下り坂です。
山門のすぐ横には「平家物語」壇ノ浦の合戦で一躍ヒーローになった那須与一の墓がありますが、近くに住んでいてもお金を払ってまで中に入ったことがないので、なぜここにあるのかという理由がもうひとつ腑に落ちません。
それはとにかく山門の右側にトレイルのコースはあるのですが、ここから眺めるとこの泉涌寺が意外と高台にあったということに気が付くと思います。実はこの辺り太古の時代は琵琶湖の底であったり、日本海と大阪湾を結ぶ海の底であった時代があって洪積世の大阪層群という地層からは化石が出ていました。会談の右側の露頭が僕が初めて化石と出会った場所です。
ここを下って少し行ったところがちょうど京都女子大学に出ます。通称「女坂」のてっぺんに出る道ですが、今回は、そちらにはあとで行くことにして、九条通と東大路が交差する泉涌寺道周辺を歩いてみます。
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