こんにゃく歳時記

ありゃ、打ち間違えちゃったわ~・汗)『今昔歳時記』がタイトルです~(^^;)懐かしい風景やHOTな今を書いていきます!

季節の“香り”を楽しんでいる方を近くに発見♪

2011年03月06日 22時21分07秒 | 『懐かしい風景』
時々触れていますが、
新たに仕事を始めました。

今いる職場で主に仕事を教えてくれているのは、
23才?の女性です。

その女性が、昼間に外に出た時、
「あ、春の香りがしますね♪」と仰ったんですよね。
いや、正直、ちょぃ、ビックリしました。

なんかねぇ、
かつて私も、季節の「香り」を結構楽しんでいました。
そう、彼女の年齢の頃に。
それでねぇ、
その季節の香りを楽しめなくなる=キザにいえば、感性が無くなるのは、
いやだなぁ、、、と思っていました。
結果、案の定?その頃に比べると、
季節の香りへのアンテナはやや鈍感になっています。
全然香らない、というわけではありませんが…

彼女は、続けて、
「ねぇ、春だけでなく、夏にも、秋にも、冬にも
それぞれ香りがありますよね?」って、言いました。

その言葉を聞いたら、なんか、肌にビンビン来ました。
「あぁ、こういう風に、季節の香りを感じる人が、
繋がって残ってくれているんだなぁ」って。

私には子供がいませんから、
自分の子供がいたら、こういう
季節の香りの話をしていたかもしれません。
でも、こういう時代だから、
ひょっとしたら、こんな感覚は次世代へは
引き継がれていないのではないか?と
思っていました。

でも、若い世代にも
こういう感覚は繋がれていたのですね。
いや、たぶん、数多くの方が
季節の香りは感じているのでしょう。

そういう女性がいらっしゃった事がチョットうれしかったのです。

なんていうのかなぁ。
季節の香りを感じるには、
季節を愛する気持ちがないと、感じないと思うのです。

愛する気持ち=その季節にいい思い出がなければ、
愛する気持ちは生まれないのではないかと。

四季のある日本で、それぞれの季節に、
それぞれの季節を愛するなんらかの行動をしていないと、
なかなか、季節の香りは感じれないんではないですか?

そういう体験をしてきた女性が、
すくなくとも今、次世代にいらっしゃる、
ということが、
かなりうれしく思えました。

どうか、さらに次の世代へも、
季節の香りを楽しめる感覚を伝えていって欲しいです。

新たな職場はいつまでいられるか分かりませんが、
こういう新たな発見が出来て、
それはそれで、
いい影響を貰っていると言えますね。

ありがとう、Sさん。

そういえば、今日の新聞で
とてもいい言葉に出会いました。

マンガのなかで、
三寒四温について触れられていて、
「本当の春が来る前に、
冬への名残(なごり)を惜しむのもいいものだ」と。

あぁ、ええですねぇ~♪
確かに厳しい寒さの冬も、
それはそれで、チョット好きだったりする。

ん。
マンガにあるように、
あと何回か「お鍋」をして、
冬の味わいと楽しんでおきましょう!!
↑結局は食べ物ネタに落ちる(^^;)
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復刻版の苦みを味わいつつ、亡くなって10年の家族に想いを馳せる

2010年10月19日 01時20分57秒 | 『懐かしい風景』


たまたま手に取ったビールに復刻版とあって、
懐かしい感じのラベルマークにひかれて購入。

飲んでみたのは、もう随分と前なんですが、
苦みを味わいつつ、子供の頃の夕食風景を思い出したりして。
↑これまでにもよくあるパターンでスイマセンm(__)m

とりあえず、今よく飲んでいる「スーパードライ」や、
「一番搾り」よりは、苦みを感じる?かしらん??

そういえば、子供の頃の夏の夕食は
祖父母や父親はいつもビールからでしたね。
それで、あまりに美味しそうに飲んでいるので、
「それって、美味しい??」と聞けば、
「苦いで、舐めてみるか?」と言って
一口舐めさせてもらったものでした。
飲む、というほど、多くではなく、
怖いもの見たさのような感じ。
しかも、やっぱり苦くて、
甘いサイダーが欲しくなったものでした。

と、書きつつ、、、
よく思い出せば、ビールはほとんど、「麒麟」でした。
たまに、アサヒも飲んでいましたが、
苦み加減が麒麟のほうがよかったようです。

今思えば、夕食時の一杯は、
その日一日のご褒美のようなもので、
この一杯のために一生懸命働いていたんではないでしょうか。

食卓の上には、“一品料理”のみ。
それを“あて”にしてビールを飲むときもあれば、
カキの種(アラレ)や、ノリ巻きアラレや、ピーナツが
ある時も。
どちらか言えば、貧しい食卓でしたが、
今思えばそれなりに幸せ風景だったのかもしれませんね。

そして。
このような風景をのちの世代に話して残せないことが、
少し残念です・・・

あ、結局書けなかったですが、
今日は、父の10年目の命日です。
随分と遠くまで行っちゃっているかな?
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夏のゆうげのビールのあて>キュウリの酢味噌和え

2010年07月12日 01時26分26秒 | 『懐かしい風景』
日曜日の夕食は、「これならカンタン♪」と冷蔵庫をみて決めていたんですけど、
夕方に行ったスーパーでサラダ用のボイルエビが半額になっていたんで、
それも加えてのちょぃリッチ気分のゆうげとなりました。

ちなみにこの中でお伝えしたいことは2つ。

・胡瓜もみの簡単酢味噌和え&それにまつわる昔話

・懐かしんでビールも、、、をちょぃ控えてビールテイスト飲料を初試飲。これが、
“アタリ”な商品でした!!

ということで。

まずは、ゆうげのメニュー

・冷ややっこ土生姜添え

・もやしとピーマンとハムの炒め物

・胡瓜もみと蟹風蒲鉾の酢味噌和え、ボイルエビ乗せ

上二つも超簡単(手抜き)料理なので詳細は略して(^^;)
胡瓜もみは昨日のサラダの残り。それに蟹風蒲鉾を半分に切って適当に裂き、
これまた手抜きの市販辛子酢味噌であえただけ。
それでも味見をして、ちょっとだけ甘み(アイスコーヒーのシロップ利用)を加え、
さらに酢も少量足しました。
ねぇ、簡単過ぎですよね(^^;)今回は半額奉仕のエビを天盛りしたので、
見た目、豪華に見えましたね、うん(^o^)v ←写真とっておけばよかったかな。
簡単一品のサイドメニューにor独り暮らしの男性でもOKなメニューですよん。

さて、これを作ると、遠き昔を思い出します。
我が家は「あえもの」のメニューが多かったのですが、
こういう胡瓜の酢味噌和えは、あえるもの=今回は蟹風蒲鉾)がいろいろ変化しても
それなりに美味しく頂けます。安価なのもではちくわでもOK。
少し豪華になら、あさりの身とか、他、貝類。あるいは、蟹缶とかも美味しい。

ま、で何が昔話なのかといえば、これをあてにビールをおいしそうに飲んでいた、
じいちゃんの姿が思い出されます。なんとなく、夏の風物詩みたい。
ゆうげの一杯は、ホント美味しそうでした。

さて、そんなことを思い出したら我が家でも一杯やりたくなるもんです。
しかし、アルコール類に弱い我が家。
いや、もちろん、ビールも飲んでいますが、今日は避けたい。
というので、先日購入しておいたビール風飲料をお試しに飲むことに。
この商品、「休む日のアルコール0%」とかいう商品で、
同じメーカーから出ていてヒット中という「キリンフリー」のプラスα商品のようです。
サイトはこちら→http://www.kirin.co.jp/company/news/2010/0126_01.html

これがねぇ。
正直「キリンフリー」は全然口に合わなかったんですけど、こちらは高ポイントの評価ですね♪
いや、ビールほどは美味しくないけど、ノンアルコールの商品群の中では断トツにOKです。
当面、これは冷蔵庫に保管要の商品ですね。
今度スーパーに行ったら何本か買ってこようと思います。

ちなみに、我が家の冷蔵庫で出陣予定の次の商品は、
アサヒビールからの復刻版です。
懐かしい?味がするかしらん、、、また報告しますね!!
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お彼岸に母娘で此岸を振り返る<敬老の日と被っているようなもんやしね(^^;)

2009年09月29日 22時04分23秒 | 『懐かしい風景』
すでに9月も残すところあと1日ですが、
今年は秋にもゴールデンウィークというか、
シルバーウィークというか、、、が、ありまして、、、
せっかくの5連休なので、
“お泊り”してきました♪
実家に、、、へへ(^_-)
しばらく、お墓参りにも行ってなかったし、
お彼岸やし。

で、墓地まで歩きました。
我が実家の近くは、比較的歩くのにいい所です。
といっても、好天過ぎて、暑かったです(+_+)

そんな中、母と、道草し放題?
なんせ暑いんで、池の中で泳ぐ「カメ」さんはとっても気持ちよさげでした。

あぜ道に咲く彼岸花。(写真参照)

睡蓮?やったかも咲いていたし、まだ向日葵も元気でした。

子供の頃よく遊んだこのあたりは、
手入れの行き届かないエリアがあったり、
遠くに見える宮内庁管理の塚も、木々が少なくなっていたり。

そうなると、ついつい、
「あの頃はよかったなぁ~」しみじみ、、、となるんです。
いやはや、結婚してからも15年余経ったし、
それぞれ歳もとりますわな。
結婚したら、時間が経つのが早いですね。
母も老いるわけですわ。

さて、しょーもない“しみじみ”とは。
私や弟はすでに大人だったんですけど、
古い家を建て替えまして、、、
太陽がサンサンと浴びられるベランダに、
洗濯物を山ほど干してました。
ベランダは1畳半ほど。
そこへ、物干し竿を5本くらい掛け、
タオルやら下着やらTシャツやらズボンやらを
所狭しと干してました。
それでも太陽はほぼ均等にあたり、
気持ちよく乾いた洗濯物を取り込むときの
嬉しさ!!
ベランダから見える東山←京都にあらず、念のため)
やら、生駒山に沈む夕日やら。
今同じように見える景色より、
断然キレイだったように思いますね。
我が家的に『盛夏』の頃だったんでしょうか。
いまはもう、2階に濡れた洗濯物を持って上がるのが
母も無理になりました、、、

そんな『たそがれ』気分で母娘が語らいながらも、
これまで大きな病気や事故や事件やらに
巻き込まれずにこれた事に、大感謝m(__)m

ほんとうは、、、
お墓参りでご先祖さまに、この感謝の気持ちを伝えなきゃいけなかったですね、汗;)
そんなことをツラツラと話しながら、やっと我が家にたどり着き、
先に家に帰っていた弟と3人で「アイスクリーム」を味わったのでした♪
↑またかい?なんちゃって(^^;)<6月ごろ参照(^^ゞ

おぉ~~!!!
そういえば、、、
今日は、結婚記念日ですねぇ、、、
すっかり忘れてますね、我が家のダンナは(^_-)
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IKEAの大攻勢?>広告やらカタログ投げ込みやら(☆_☆)

2009年09月04日 00時19分29秒 | 『懐かしい風景』
びっくりした~!!<って、もう半月ほど前の話ですが、、、

いやねぇ、、、ちょっぴり「のどか」な、夏の仕事場で、
夕刊にのっているイケアのちっこい広告を見ていたんです。

そしたら、家に帰ったら、そのイケアの立派な?カタログが!!!
なんでもポストにほりこんであったらしく、適当にポスティングしたんでしょうか??
一瞬、新聞販売店さんがカタログポスティングのサイドビジネスでも
したのかと思いましたわ!!

いやん♪
家具のカタログ大好きな私にとっては、格好の“愛読書”となりそうで、、、

それにしても、組み立て家具を見ていたら、ついつい結婚前を
思い出しました。
イケアじゃないですが、
通販で大型家具を買ったら、引き出しから組み立てが必要で、、、
たくさんある引き出しの制作がいやに大変でした、、、汗;)
そういえば、以前読んだ雑誌に、
イケア家具を買ってけんかになるカップル多しとあったのを
おもいだしましたね、、、

結婚するまえから、婚礼家具?に仲のよさを邪魔されるなんて、
どないなん??
と感じた記憶が、、、
で、現在もやっぱりイケアは人気らしく、、、
お取引先の若い担当者さんも、
「僕の周り、結婚する奴はみんなIKEAで揃えてますで、、」と
仰ってましたわ~
恐るべしIKEA!!

新婚気分に戻って、一度IKEAに買い物に行きたいなぁ~!
ショッピングだけじゃなくって、なんか、フード系も楽しめる、とか♪

今月のシルバーウィークのお出かけ先はコレで決まりや!!<淋しっ(;_;)
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郡山高校の森本監督、夢と希望をありがとう!そしてお疲れ様でしたm(__)m

2009年07月26日 22時29分33秒 | 『懐かしい風景』
結構長い高校野球ファンです。
もっとも年によって、テンションの高低はあります。
野球大好きな家族がいたので、
小さい頃から野球には親しんできました。
小学校4年生くらいから、夏休みといえば、
家で高校野球の応援をしていました。もちろん、テレビで。

そして、中学に進み、ソフトボール部にいた頃、
春の選抜で郡山高校が出場。
子供達だけで行くには少し遠かったのですが、
部活のメンバーで甲子園球場へ応援に行きました。

雨の多い春の大会の慣例として?朝から雨模様で、
試合開始が遅れ、郡山高校の試合はナイターに!!←きゃ♪
思いもかけず、カクテル光線まばゆい試合を見れて、
かなり嬉しかったです。もっとも試合は負けちゃったんですけどね。
それでも、当時は奈良県勢はいつも試合に勝てなくて、
弱かったんですよね。
夏の大会も、5年ごとの全県から一校出場できる「記念大会」
しか、なかなか出場できなくて、普段は和歌山の優勝校と
甲子園出場をかけて、試合に勝たなければ甲子園までいけませんでした。

そんな中、この年の夏には和歌山を破って夏の甲子園にも出場!!
しかしですね、、、
当時、エリア別対戦抽選でなかったので、選んだくじの相手は、
なんと!!近畿の強豪、「PL学園」でした(>_<)
「あぁ~これはもう、勝てへんわ~(;_;)」
と思い、試合が始まる頃には市街地へお買い物に出かけてました。

ところが!!
家へ帰ってきたら母親やオジイチャンが大騒ぎ!!
予想に反して、PLよりより多くの得点を入れてました!!!
さて、大変です。
もちろん、2回戦は応援に甲子園へ行きました。
で、勝ち進み、3回戦=準々決勝では逆転勝ち。
いやぁ~我が家的にも、部活的にも、かなり盛り上がりました♪
そして、準決勝で、ついに負けたのです。
あの時のピッチャーはひょっとして、小さな大投手と言われた、
あのピッチャーやったかしら??←記憶あやふやです、、、m(__)m

それにしても、本当に楽しい夏休みとなりました。

その後、年月を経て天理高校とか、智べん学園とかも頑張り、
甲子園を勝ち進む県になったと思います。

甲子園で勝ち進む確率は高くなりましたが、
それでも、あの時の快進撃は、いまでもワクワクできるいい思い出です。
そんな、郡山高校を監督として率いてくださっていた森本監督も、
ついに引退されるようで、ニュースの記事を読んで、お歳を知り、
うちの母親とあまり変らないことを初めて知りました。

自分の子供や孫?を育てるように、ほんとに長い間、
郡山高校の監督として、「球児」と「高校生」を
育ててくださったんですよね。
ありがとうございました。
甲子園出場には、あと一歩で及びませんでしたが、
最後の夏を目いっぱい高校野球の応援をして、楽しんで下さいね。

上記郡山高校の応援を通じて、
その後も部活や、「郡山高校」への入学を目指して勉強も?頑張れた
ことに対して、本当に感謝してます。
(もっとも「入学」の夢はかないませんでしたけどね^^;)

新たな監督さんへの、高校野球スピリットが上手く引き継がれていることを
信じて、今後も郡山高校の応援を続けますよ。

『フレ~フレ~!!郡高!!!』
『頑張れ、頑張れ!!郡高!!!』
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気持ちは複雑?!近鉄線にて阪神電車に出会う(^_^)

2009年03月30日 02時56分13秒 | 『懐かしい風景』
当日にアップできればよかったのですが、
阪神なんば線開通に伴い、近鉄奈良線に阪神電車が乗り入れてきました!!
写真はお出かけ中の近鉄鶴橋駅にて、三宮行きの阪神車両の快速急行に
であったのでパチリと、、、。

20日の開通の日だったので結構な人出でした(@_@)
それにしても、、、
結婚後一時阪神西大阪線沿線に住んでいた者としては、
いまもあの地に住んでいれば、乗り換えなしで
実家に帰れたのかも?と、
現在違う場所を住まいにしていることが、少し残念でもあります。

あと、その2日後に難波駅から今度は実家へ向かったときの
難波駅の混みようといったら!!!
すっかりこれまでの終着駅の雰囲気から、単に、
繁華街への駅へと化していました!!
難波駅では神戸方面から乗ってきたお客さんが
大勢降り、これまですんなりと座って入れたのに
空いた座席を見つけるに必死やったりして(^_-)

と、言いつつ、
毎日この線を利用するのではないので、
近々に甲子園球場へでも行ってみようと、
ダンナと計画中です、、、
え。
間違えました、、、
“甲子園球場”ではなく、
“甲子園”にできた、キッザニアの騒ぎ具合を
偵察に行きたいなぁ~とか、、、(^^;)

ええ大人ですけど、
かつての『阪神パーク』跡地に、
ショッピングセンターと共にですが、
この子供向けの施設ができたのは
かなり、ウレシイです!!
子供達の元気な歓声が聞こえるかな~♪
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温故知新?か、否、か??>『あしたのジョー』再連載

2009年03月10日 23時20分17秒 | 『懐かしい風景』
先週から「週刊現代」で始まった上記連載ですが、、、
先週、今週ととてもなつかしい想いで読ませていただきましたよ。

遠く、連載が始まった頃にマガジンを読んでいたなんてねぇ、、
ついつい、“遠い目”になりますわ。

今、この漫画の時代背景やら、当時の社会やら、家庭やら、、、と、
今と違う所は多々あると思いますし、
さらには、今の若い子たちが読むには、なにやら「ストレス」もあるような
気もしますけど、、、
それでもですね、
“ちょっと気になる”という方は、
どうぞ、読み続けてくださいね。

今の世の中に足りないと私が思っているもの。
あえて今それをここで言いませんけど、
何か、それを感じて欲しいと思うのですよ。

そりゃぁ、全部の若い方が同じように足りないのではないのですよ。
でも、“こういう気持ち”を持って成長&生活して欲しい、
と期待している、ということは、
多分、昔よりそれは、少なくなっている。

え?
何かって??
それはねぇ、、、

「好きになる」ということ。
「大切にしたい」という想い。
「愛おしく思う心」とかも。

これらはねぇ、、、
それぞれ、そういうものを
子供の頃に受け取ってこそ、
成長してから自分の中にそれがあることに
気がつくんだよね。

そして、それは、厳しい世界にいても
無くなったりしない。

え?何いってんのか、分からない??
そっかぁ、、、
わからないか、、、

ん、一緒に手を繋ごう。どう??

話はあらぬほうへ、、、(^^;)



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映画の「おくりびと」好評の話題に、かつて実際に出会った「おくりびと」さんに感謝!!

2009年02月22日 23時51分03秒 | 『懐かしい風景』
ここ最近特にアメリカの映画アカデミーショーの話題もあって
「おくりびと」の文字を目にする記事が増えていますが、
ほんと、私自身の祖父や父を見送ってくれた葬儀屋さんのみなさんは
特に印象に残りました。
祖父の時は祖父の時なりに、ちょっと念入りな納棺をしたのですが、
その時も本当に亡くなった人への配慮というか、
納棺の儀式を崇高に行ってくださった、というか、
死者への最高の礼を尽くして下さっているのが伝わり、
それだけに哀しみにくれている家族が、
亡き者の旅立ちへ気持ちを切り替えられる
そういう意識がめばえました。

そして、父の時も、納棺に際して、
「愛着のある服とか、背広とかをお持ち下さい」
と言われまして、
弟が仕事に行っていたときに好んで着ていた
背広と、ワイシャツ、ネクタイを持ってきました。
そして、それを着せることはできませんでしたが、
棺に入った父にあたかも身に纏っているかのように、
配置してくださり、棺の中の父も若き会社員に
戻ったように見受けられました。
その時の心の動きを、どう説明したらいいのか、
今もってよく分かりませんが、
すっと、その場に背広を着た父が立ち上がるかの
ような錯覚と共に、ほんと、どちらか言えば、
憎しみが父の逝去を喜ぶかのような、
そんな気持ちでいたはずなのに、納棺の
一連の流れによって
“ストン”と、父を許せたような気がしたのです。
一言でいえば、
「あ、もう、ええわ」でした。
それもまた、
納棺を行ってくださった方々が
心のこもった亡き者へ礼を尽くされた
結果であったと思うのです。

日曜日に目にした記事の中にも、「おくりびと」の
脚本家さんが、現実の納棺師に聞いた言葉として、
「死とは究極の平等である」という言葉に
強く触発されたらしいとありましたが、
“人”が必ずいつかは到達する“死”に、
残された人々が優劣をつけずに
少し前まで生あった人を真摯に見送りたい、と思うのです。

ふぅ、、、
かつての熱い思いをちょっと文字にしていたら、
ついつい自分が「いい子」になったような気になりますが、
正直死に到達するまでの
周りの苦労やらしんどさやらを考えたら、
やっぱり恨みつらみはどこかで出ますよね。
今自分の身の回りでも、
もうチョットなんとか手を貸せんのか?と思いながら、
自分についつい甘えを許している、
嫌な自らを再認識したりもしております。

そうは言いつつ。
「ありがとう、当時の葬儀屋さんm(__)m」
あなた方のおかげで、親子は違う世界で今はもめずにおります、、、

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哀しみのお葬式になぜか心温まる風景の記憶

2009年01月31日 00時36分00秒 | 『懐かしい風景』
職場のメンバーに近親者の不幸事がありましてね。
彼は先週数日忌引き休暇を取っておりました。
一連のいろんなことが一通り終わって出社してきたんですけど、
普段あまり遭遇しないまつりごと事なので、まぁ、
いろいろとおしゃべりしてくれまして。
で、
彼のところでは、親戚が遠方に住んでいるので、
滅多に来ないから、とかで、まつりごとのあと、自宅でも集まったのだとか。
多人数でしばらくの時間を過ごしたそうですが、
そんな話を聞いていると、
つい、じいちゃんの時の葬儀を思い出したりして、、、

あの、夏の暑い日、葬儀場から自宅に帰ってきて、
それがまた、アチコチの親戚さんがみんなでやってきてくれて。
片付けが必要な荷物もあったけど、山のような荷物をみんなで
手分けして持ってくれたり。
あぁ、ええなぁ~血縁族って。とその時の風景を思い出しては
温かい気持ちになれるよ。
一人っ子やった母なのに、こんなに大勢のなんらかの血のつながった
人々がいる。
多分にじいちゃんの“徳”が影響しているんやろうけど、
あの時の親戚族の賑わいは、ほんと、今もうれしい。
そして、その親戚族さんの中には、すでに鬼籍に入られた方も、、、

人間ってさ、ホント同じ時間は2度とないんですよね。
だから、どんな瞬間もいつもなんらかの意味を持っている。
そんな積み重ねの上に生きているわけやけど、
こういう温かい気持ちはどこかで記憶しておきたい。

何かのお返しは出来ないかもしれないけど、
どこかでこの温かさを伝えていければいいなぁ。
ありがとう、みなさん。
そして、これからもよろしく。
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