当方見聞記

旅と舞台・ライブ話を気ままに書いてます

妙心寺 海福院

2011年02月10日 | 日記
冬の特別公開が行われている妙心寺海福院へ

海福院は賤ヶ岳七本槍の福島正則の菩提寺です。



庫裡の入口。
通路が狭かったので無駄にアップ
屋根にはちゃんと福島の家紋が入っています

室内は撮影禁止だったので、説明だけ

ここには今では珍しい、押入仕込茶堂がありました。
蘆雁の間と呼ばれる、入って一番手前の部屋にあるのですが、名前の通り、押入れの中に隠された茶道具になります。
押入れの中の床に炉を仕込んであったりと、秘密感たっぷり。確実にいけないことしてたのがわかります(笑)
妙心寺では、禅の修行に茶の湯は邪魔と言う発想があったため(当時のお茶は娯楽要素もあったからだとは思いますが…)、表だってお茶を楽しむことができなかったからこのようなものがあるとか…。
押入れの中にあれば、日頃は隠して生活できますからね。
襖を閉めてからこっそりと茶の湯を楽しむ。お坊さんだって息抜きしたかったってことですね(笑)

他にも、正則が陣中で使っていたと言われる大きな貝で出来た陣中杯の展示もあります。
よ~く見ると血痕が残る杯…
正則が、この杯に戦死者の血を入れて飲んだと言われています。

賤ヶ岳で使ったと言われる巨大な槍も展示されています。
大きすぎて、ガラスケースとかに入っているわけではなく、普通に襖の上にかけられています。
部屋いっぱいの長さなので、梁と間違えて見落としそうになりました

部屋の襖には狩野探幽の落書きと言われる『猿回し図』があります。
妙心寺の龍の天井絵の製作の為に海福院に泊まり込み生活をしていた探幽は、住職の留守中に、酔っぱらって?か、新調されたばかりの住職自慢の襖に、勢いでいいっきに猿の絵を描きあげたんで。
帰ってきた住職はこれを見てもちろん激怒。叱責されたと言われています。
ま、後にこの絵は、猿の絵の最高傑作言われたんですけどね。
しかし、まぁ何せ元は落書きですからね…手入れが十分されていたわけではないので、今ではすっかり消えかかり…襖に本来ほどこされていた模様に負けてしまって、かなり見ずらくなっています

庭は撮影が可でした。
 
庭には円山応挙作と言われる半月の手水鉢があります。


その後は、墓地の方へ。
ここには福島正則と息子のお墓があります。

正則が亡くなった後、幕府使者の到着を待たずに家臣がすぐに遺体を火葬しています。
一説では切腹したとも言われていますが、死亡原因の真相は不明です。(自害が発覚するのを恐れてすぐに火葬されたと言われています)

正則のお墓と言うと、長野の小布施の岩松院にある霊廟にも行ったことがあるんですが…なんとなくあちらのが悲壮感を感じた気がします。
本堂の裏手にあるから人気がないんですよね、あそこ
本堂にある北斎の鳳凰の天井絵が有名なお寺です。福島好きな方は、機会があればそちらもぜひ御参りしてみてくださいませ