ヨット乗りの友人が早く帰ってしまったので一人MM21。昔から人生のターニングポイントには必ずやってくる場所でもありそれと同時になんとも思い出深い所です。幼い頃実家に遊びに来て下さった星野哲朗先生との出会い。初めて感じた物静かで包み込むような壮大なオーラに微笑み。今になり少しだけそのオーラの訳がわかるような気がします。
もうすぐ命日ですね。
興味深い記事を見つけました。
http://www.city.yokohama.lg.jp/somu/org/gyosei/sisi/pdf/no17-momose.pdf
星野哲朗先生といえば船乗りだった事は有名ですが、詳細はHPより抜粋。
※※※※※※
星野哲郎 作詞家
山口県周防大島に生まれる。
瀬戸内の沖合を行きかう船に思いをはせ、幼少時より船乗りとして海に暮らすことを夢に描いた。
長じて高等商船学校を卒業し、日魯漁業に就職。憧れのマドロス人生であったが、わずか2年の後、病気のために下船を余儀なくされる。
「故郷のせんべい布団の上で、空しく青春を費やした」と当時を回顧する。
ひたすら昏い闘病生活であったが、温かな周囲の愛情を手がかりに、星野は詩作という小さな『ともしび』を見出した。
病床から雑誌に投稿する作品は、やがて歌謡詞というジャンルに絞られ、ついには職業作詞家という航路を照らすに至った。
以後、半世紀余を流行歌の作詞家として生きる。
自らの作品を「紙の舟」になぞらえ、やむことのない夢を乗せて日々に浮かべた。
それは遠い海への慕情でもあった。
浮かべた舟のいくつかは、友愛の風に恵まれ、人々の胸に思いがけぬ港を見つけることもあった。
※※※※※
港町ならではの趣と文化の共存。
みなとみらいの力強く誇り高い風が、空気が、いつも私に勇気とロマンをくれます。
遠くに浮かぶ船を見るだけで、
幸せな気分になるのは何故でしょうね。
ずっと眺めていたい。
そして船を操縦出来るようになった今
とても幸せに思います。
来月はすっかりはまってしまった
台湾高雄の港町へ。
追記
人生の貴重な出会いの場を作って下さったO氏に改めて感謝申し上げます。
それからそれからブロッコリーたくさん頂きました😊🍀ご馳走様です!
もうすぐ命日ですね。
興味深い記事を見つけました。
http://www.city.yokohama.lg.jp/somu/org/gyosei/sisi/pdf/no17-momose.pdf
星野哲朗先生といえば船乗りだった事は有名ですが、詳細はHPより抜粋。
※※※※※※
星野哲郎 作詞家
山口県周防大島に生まれる。
瀬戸内の沖合を行きかう船に思いをはせ、幼少時より船乗りとして海に暮らすことを夢に描いた。
長じて高等商船学校を卒業し、日魯漁業に就職。憧れのマドロス人生であったが、わずか2年の後、病気のために下船を余儀なくされる。
「故郷のせんべい布団の上で、空しく青春を費やした」と当時を回顧する。
ひたすら昏い闘病生活であったが、温かな周囲の愛情を手がかりに、星野は詩作という小さな『ともしび』を見出した。
病床から雑誌に投稿する作品は、やがて歌謡詞というジャンルに絞られ、ついには職業作詞家という航路を照らすに至った。
以後、半世紀余を流行歌の作詞家として生きる。
自らの作品を「紙の舟」になぞらえ、やむことのない夢を乗せて日々に浮かべた。
それは遠い海への慕情でもあった。
浮かべた舟のいくつかは、友愛の風に恵まれ、人々の胸に思いがけぬ港を見つけることもあった。
※※※※※
港町ならではの趣と文化の共存。
みなとみらいの力強く誇り高い風が、空気が、いつも私に勇気とロマンをくれます。
遠くに浮かぶ船を見るだけで、
幸せな気分になるのは何故でしょうね。
ずっと眺めていたい。
そして船を操縦出来るようになった今
とても幸せに思います。
来月はすっかりはまってしまった
台湾高雄の港町へ。
追記
人生の貴重な出会いの場を作って下さったO氏に改めて感謝申し上げます。
それからそれからブロッコリーたくさん頂きました😊🍀ご馳走様です!
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