<達谷窟毘沙門堂>
1200年前、この地に悪路王、赤頭、高丸と称する賊徒(蝦夷)がいて窟(いわや)に要塞を構え、
周囲の良民を苦しめ悪事・乱暴を極め、国府(中央政府の奥羽政庁・出先機関)では
彼らを抑えることができなくなった。
そこで、桓武天皇(第50代天皇)は坂上田村麻呂に命じて、蝦夷征伐の勅(ちょく、天皇命令)を
下した。
この報に接し、悪路王たちは達谷窟から3000の兵士(賊徒)を率いて駿河国清美関
(するがのくに・きよみがせき、静岡県)に出張ったが、坂上田村麻呂が京を出発したと知ると、
恐れをなして窟に戻った。
延暦20年(801年)、坂上田村麻呂は、激戦の末に、窟に籠もって守りを固める蝦夷を打ち破り、
悪路王、赤頭、高丸の首を刎ね、蝦夷平定を果たした。
と、いうことなんでしょうけど、殺された人たちって・・・
巨大な顔が。
夕方のせいもあり、薄気味悪かったので、早々に帰りました。
可愛いお花が咲いていました。
達谷西光寺御供所(ごくしょ)
この近くにあった17世紀末の建築と言われる住宅を移築したそうです
この左手に第一の鳥居があり達谷窟毘沙門堂への参道です