≪白い幹が目に付く秋たけなわ≫
英語のスピーチで毎回このテーマで3分ほどのスピーチを学生にさせているが、学期ごとに学生たちのその三つのアイテムの違いに驚いている。
friends, family, moneyが圧倒的に多いが、今回は冒頭から、その中にbeing positive, gratitude, a small kindness, games, comics, PC
などが登場している。一人の学生はゲームは頭脳によい、アイデンティティーとアイディアはゲームから得ているとのスピーチであり、興味深いと思った。
女子学生の一人は「ちいさな親切」でことばの問題に触れた。優しく静かに語り掛けることの大事さである。声が人をまた呪縛するゆえに、怒り声ではなく優しい声で語り掛けることの大切さがにじんでいた。それが彼女の体験した過剰さによるダメージの反転するところにあったのである。過剰さゆえに健康をそこねたというその過剰さは、thinking too much だった。鬱になるほどの思考でもある。
先日ある書を紐解いていたいた時、古来の貴族階層の短歌のやりとりが面白いと思った。手練手管で才覚で女性の心を得るために苦心する貴族は、ひたすら柔らかいことばの力に頼ったのである。つまり暴力的なものから最も離れた地平でのことばのやりとりに歌があった。愛の甘美もそこにあった。もっとも暴力と対極にあった雅なるものの在り処をまねしたのが初期の遊里だったという事実にも驚くが、荒ぶるものを懐柔する力がことばであり悦楽でもあったという歴史の事例である。
ことばの重さ軽さはまた時勢を写すのかもしれない。
being happy with any tiny thingsもあった。それが感謝のgratitudeに並ぶ。存在そのものを見据えている学生たちの姿が現れている。三つの大事なものはデータ化し分析したいと思いつつ取り組めていない。3年間で150人ほどの学生の記録が残っている。そこから見える時勢の推移があるね。