志情(しなさき)の海へ

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聖なる御嶽の入り口で、女郎蜘蛛がアカアシホソバッタとショウリョウバッタを餌にする!

2016-10-03 19:38:32 | 動植物

 (女郎蜘蛛の黒と黄色、そして赤銅色、その彩にハットしてしばらく見据えていたのだった!)

喰う喰われる命の連鎖を生きているわたしたち、なぜか悲哀も喜びも共にそこに、そして内にあり続ける。

末吉宮の手前左側には古来からの祈りの場(大きな岩の壁)があった。そこに入る手前に大きなアカギだろうか?その横に主人公の女郎蜘蛛は大きな蜘蛛の糸をはっていた。よく見ると、アカアシホソバッタとショウリョウバッタ(精霊蝗虫)と名前のついたバッタがぶら下がっている。大きなアカアシホソバッタは頭の方から齧られているのか、頭がよく見えなかった。その近くに生きたようにショウリョウバッタがぶら下がっている。

よく見るとバッタは粘膜のようなもので絡め取られている。女郎蜘蛛は両方を見据えていて時折ショウリョウバッタに向かったかと思うとまたアカアシホソバッタの方に引き返したりした。蝶が飛んできて蜘蛛のネットの前で引き返した。賢い蝶なのだ。バッタは跳躍があるので勢いよく高くとんだ弾みに罠に絡めたられたのだろうか?大きなバッタでものがれられない蜘蛛の糸の力に驚くばかりだ。

バッタの名前が分らず調べてみると「クビキリギリス」かと思ったのが精霊蝗虫(ショウリョウバッタ)とある。精霊の名前がついていることがなぜか痛々しく思えた。聖なる御嶽である。そこで精霊の名前のつくバッタが女郎蜘蛛の餌になるということが、感傷をもたらすのは、単に意識の連想によるものなのだろうか?喰う喰われる生き物の食の連鎖がある。その連鎖の中に生きているわたしたち。

バッタが世界の食料になっている事実もある。昨今の沖縄の人々がバッタを食料にすることはないが、世界では意外と食料として有用だと、農学部の学生が授業で発表したことがある。長野から来た学生はイナゴを長野では食べるよ、とソフトクリームの上にのったバッタの写真をパワーポイントで見せていた。

またTEDで蛋白源としてのバッタを食べようと推奨しているスピーチを紹介する学生もいた。長野からきたその学生のグループだったのかもしれない。

女郎蜘蛛の怪しい雰囲気に呑み込まれるままにしばらく見とれた蜘蛛の狩り(食)の現場、思いがけない出会いは写真の中で甦る。


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