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家父長制の長い人類史の現在、その日本という国の時代錯誤的な対応は、それほど男女平等の精神が弱いという事を示している。しかしフェミニスト代表の上野千鶴子でさえ、対談で女性医学生に奨学金を授与するのは、ちょっと無駄のような発言をしている。というのは医者同士の結婚の場合、女医が辞める率が高く、医師免許はリスク回避のものになり、女医が専門にするのは皮膚科、眼科、小児科など生命の危機にあまり携わらない分野だと指摘したりしている。結婚は利害(益)共同体だと言って憚らない上野氏は、女医は社会の上層部に位置するが、同じ医者の夫の妻であり母である役割が大きいと見ての発言でもあった。そこで問われているのは医学部の女子学生の職業へのコミットメントなのだろうか。
フェイスブックのCEOのマーク・ザッカーバーグの中国系アメリカ人の妻プリシラ・チャンは小児科の医者だ。職業への使命感と博愛主義を実践している。
女医の奮発が期待されている。医者を目指す女子学生は多くなっていると感じているが、大学側が作為的に点数を下げるとかの行為は多くの子女の教育や将来の夢をくじくね。
一方で那覇市の採用試験でもトップは女子でも採用は男子優先だと以前内部の方が話していた。どこでも優秀な女子をはじく日本や沖縄社会だろうか?
余談だが、芸能分野でもホモソーシャル社会が成り立つ特異な日本であり、沖縄だ。組踊研修生は男だけである。女は当初からはじかれている。ホモソーシャル社会からヘテロソーシャル社会へ?大胆に取り組む必要があろうか。
しかし戦前の男性ホモソーシャル芸能界(組踊や沖縄芝居)があった一方で、遊里で女性たちが組踊も冠船舞踊も習得して、歓待芸能として演じていたことが史料からうかがえる。女性だけの劇団「うない」を重視しなければならないね。組踊研修生が男だけのマッチョな芸(女形芸も含め)を追及するとき、その対極の女だけの芸が立ち上がってくるのは必然だ。戦後はヘテロで男女混成の沖縄芝居が誕生してきての現在である。
医学部でも女子大学の医学生たちのキャリア意識が高いのかもしれない。
https://www.med-pass.net/rank/danjohi/
ホモソーシャルhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%A2%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB
ホモソーシャルという言葉は、イヴ・セジウィックによる「男性のホモソーシャル(同性間の結びつき)への欲望」という議論によって普及した[1]。それよりも早い1976年に、ジーン・リップマン=ブルーメンが性的な意味ではなく、社会的な意味での、同性の仲間への選好をホモソーシャリティ(homosociality)と定義している[2]
男性間のホモソーシャルは体育会系などで顕著に見られる緊密な絆で、しばしばミソジニーあるいはホモフォビアが伴う。ホモソーシャルな関係によって、強制的に異性を愛すること、そして女性の家事労働に頼ることが前提として成り立っている家父長制が構成される。
ホモソーシャルの概念を提唱した、アメリカのジェンダー研究者のイヴ・セジウィックは、「二人の男が同じ一人の女を愛している時、いつもその二人の男は、自分たちの欲望の対象だと思っている当の女のことを気にかける以上に、はるかに互いが互いを気にかけている」ことを指摘した。
なお、研究者の中には、この概念を女性同士の関係にも適用し、「女性のホモソーシャル」を論じる者もいる。東園子は、やおい・ボーイズラブを好む女性オタク(いわゆる腐女子)や演者は女性だけで構成されている宝塚歌劇団のファンの女性の間でホモソーシャルな絆がみられると論じている[3][4]。
近年、ホモソーシャルは男性と男性の繋がりだと誤認されがちだが、女性と女性の繋がりもホモソーシャルとなる。さらに言えばホモという言葉も同性という意味である。
関連書籍
- イヴ・K・セジウィック 『男同士の絆―イギリス文学とホモソーシャルな欲望』
- ジョン・ワインガーズ 『女性はなぜ司祭になれないのか カトリック教会における女性の人権』
関連項目
脚注
- ^ J. Childers/G. Hentzi eds., The Columbia Dictionary of Modern Literary and Cultural Criticism (New York 1995) p. 138
- ^ Merl Storr, Latex and Lingerie (2003) pp. 39-40
- ^ 東園子「妄想の共同体――「やおい」コミュニティにおける恋愛コードの機能」『思想地図〈vol.5〉特集・社会の批評』 日本放送出版協会、2010年、264-270頁。ISBN 978-4140093481。
- ^ 東園子 「女同士が見せる夢――「ファン」は宝塚をどう見ているか」『それぞれのファン研究―I am a fan 』 風塵社、2007年、230-231頁。ISBN 978-4776300359。