ゴーヤー棚に立つて、すっかり枯れてきたゴーヤーたちがいじらしく感じる。ありがとう!7月から実をもたらしてくれた。今、まだ何個か実はぶら下がっている。
これが最後かと見守っている。11月末だ。ベランダのゴーヤーも枯れかかっている。
無為の時間をゴーヤーが満たしてくれた。お腹を満たしてくれたと言った方がいいかなー?
この間ゴーヤーの種などは綺麗に取り除いていたが、今年からそのまま料理する事にしたら、色鮮やかになった。新しい一歩だ。
変化は、中学や高校、大学時代の同窓会の案内である。20歳前の自らに出会う機会だが、逃してしまった。しかし、3年5組、一クラスの集いの案内があった。皆んなどんな年月を過ごして来たのだろうか。
当時はディキヤーで卒業式の送辞や答辞の挨拶などをしていた〜。
校長先生が高校時代の3か年は人生の3分の2に匹敵する、と話されていた事が思い出される。
さて、どうだったのだろうか。
振り返る時を迎えている。
ゴーヤーが自然に成長して、花が咲き実を付け枯れていく様子を見ると感慨深い。彼らが花を付けなくなるまで見守りたい。
スーパーでゴーヤーを買わなくなって久しい。ゴーヤーチャンプルー、玄米や味噌汁、庭の薬草などによって維持されているこの命の営みなのかもしれない。そう言えばウコンを収穫しなければ〜。お茶に〜。
ITやサプリに詳しい若者にも助けられている。謝!
無為の時間のようでも、全て無為ではない。猫家族もいる。ボランティア活動も無為ではない。
書く事、責務がそこに〜!
まだ実をつけている!
1週間前!
1週間前!