水に降る雪

おもに宝塚、そして日々のこと

舞台「刀剣乱舞」シリーズ雑感

2020-08-17 | 演劇

かいちゃん(七海ひろき)が舞台「刀剣乱舞」に細川ガラシャ役で出演することが発表されたのは5月でした。

一時は落ち着いていた新型コロナウイルス患者数はその後急拡大。

新宿の劇場でクラスターが発生したりして開催が危ぶまれる中、本来の形では無く科白劇としてソーシャル・ディスタンスを保ち、

講談師さんが加わり、マウス・シールドを付けてという、とってもイレギュラーな形でしたが先日無事幕を閉じました。

楽までの全公演を開催出来たのはキャスト、スタッフ初め関係者の努力、客席の協力があったからですが、奇跡のように思えます。

 

そんな緊張感綱渡り感の中で、危険を冒してまでやる意味があるのか、という人もいるでしょうし、その通りではあります

でも、全国民が家の中に閉じこもったら一時的に感染が収まっても、動き出したらまた感染が拡がってしまいます。

ワクチンや薬が出来るまで仕事もせずに家に居られるかと言えば、そんな人はわずかでしょう。

その間、国が生活費を保証してくれるわけではありませんしね

 

エンタメ業界は不要不急かもしれませんが、その裾野は広くて表面上は見えていなくても、たくさんの人が働いています。

止めてしまうと失われる技術や才能もあります。それは結局私たちの社会にとって損失なのです。

何より必要最低限の衣食住と仕事だけの、何の楽しみもない生活なんて、生きている気がしない

そんなカスカスの砂漠のような毎日だと、確実に精神を病む人が増えそうです。

それは舞台に立つ人にとっても同じでしょうね。

エンタメや芸術は人が生きるために必要なのだと思います。

だからこそあのようなイレギュラーな形であっても、公演を開催することに拘ってくれたのだろうと思っています。

 

ここからネタバレ少しありますよ。

 

 

 

 

 

 

「科白劇舞台『刀剣乱舞/灯』綺伝いくさ世の徒花改変いくさ世の徒花の記憶」は(な、長いな

別の本丸の慶長熊本の特命調査の記録を読む、という形を取っていたので、本来の形での公演が出来るようになって開催されても

きっと似て非なるものになるんだろうなと思います。

 

初めに過去作品の配信を一通り見た時、面白い、カッコイイ、楽しいとお気楽に楽しんでいたのですが

5作目の悲伝で、あれ???となり、次の慈伝でエッとなりました

それでテレビで放送があった時に最初から見直してみると、出るわ出るわ伏線の山

何気なくスルーしていた言葉や仕草の端々に、意味があって気を抜けない作品なのだとわかりました

 

そもそもの最初の「虚伝」とその次の再演からして、ただの再演じゃなかった

宝塚でも度々再演される作品はありますし、演出家によっては出演者のカラーに合わせて変えてくることはあります。

その他セットやお衣装や、かみしもが変わったりとかね。でも基本的な内容は変わらないです。

 

ところが再演の蘭丸は信長から不動行光の短刀をもらっても「不吉なことが起きる気がする」と言ったり、

「今度こそ上様をお助けしなければ」とかいう台詞があったりするんですよね。

それって歴史が繰り返されていることに蘭丸は薄々気が付いているってことになります。

 

蘭丸だけでなく、他の作品では将軍義輝が「儂が死ぬのは何度目じゃ?」と言ったり

果ては黒田官兵衛みたいに、刀剣男士と時間遡行軍の存在と意味を類推して利用しようとするし

もっとヤバイのは今回の科白劇の官兵衛で、別の時間軸の官兵衛の記憶を有してしまっている

そしていろいろとこの世界の根幹に関わるようなワードを投げかけてくるのが、さすが官兵衛様というかヤバすぎました

この先もまたどこかの時間軸に現れそう

 

科白劇の世界は“放棄された世界”、っていう設定もスゴイけど

放棄された世界だからその先が無いのか、改変された世界だからループして、その先へ行くために藻掻いているのか。

刀ステの世界は“タイム・ループ”がテーマってことなのかな

それに三日月様も関わってるし。

舞台刀剣乱舞の世界の着地点が見えないわ

そもそも理解しきれるのかしらね

 

 

科白劇の、かいちゃんはいろんな表情を見せてくれて楽しかったです。

普通に美人で可愛い武家の奥方から、歴史的な事件に巻き込まれて苦悩する姿、

葛藤の末に人でないものに堕ちてしまう姿とか。

“ガラシャ様の女”になるとか、宝塚でオスカルでトート閣下だっった、と言われていた意味がよくわかりました

 

かいちゃん初めキャストの皆さん本当に素晴らしかった

ソーシャル・ディスタンスを取りながらの殺陣も映像や照明を上手く使ってて、凄いなぁと思いました。

意外にもそれまでの刀ステと、それほどの差異は感じられなかったです。

それでも地蔵行平に手を引かれて逃げるところはやっぱり、手を繋いで欲しかったなと思うので再演に期待したいです。

 

今回の公演で心に染みたのは、歌仙兼定役の和田さんのお芝居でした。

 

刀剣乱舞の世界の刀剣男士って、元の主の影響が大なり小なりあるものです。

そして関係性もそれぞれ違う。好き過ぎたり、尊敬してたり、助けられなかったことに責任を感じていたり、

行動を許せなかったり、複雑な感情を持ってたり。

中でも歌仙兼定は元の主の忠興の影響を受けているんだけど、その行動に不快感も持ってたりして単純に“好き”とも言えない。

 

でも過去の忠興夫妻を回想する場面とかの、優しくて切なそうな表情がたまりませんでした。

二人の幸せを願っていたのが痛いほどわかりました。

それだけに最後にガラシャと対決して斬らなければならなくなった時、いつも殺陣ですら雅な歌仙くんの殺陣が、

優雅さを捨てて、力任せで粗野ですらあったのは、そうでもしなければ斬ることが出来なかったんだろうなと思いました。

 

ガラシャ様の着物で血を拭った忠興を「雅じゃない」と非難していた歌仙くんが、

ガラシャ様を斬った血を、自分の袖で大事そうに拭うのが見ていて辛かったです。

何の因果で・・・とも思えますが、歌仙くんだからこそ、とも思えて。

 

本来の形で再演される時、また同じキャストで再演してほしいなと思います。

&関西でも公演出来るようになってほしいなと思います。切に


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