(写真はドゥルガー寺院の前の子供連れの乞食である。
小銭を与えたが、まだ不満そうな顔を撮った。
彼女たちには、「お金をもらってやる」という気持ちがあって、与えても感謝などは全くしない。
要するに
「バクシーシ(喜捨)した者は徳を積むことができた」
、ということであり、ゲームでいうところの経験値がUPしたのだから、むしろ
逆に感謝しろ
、ということである。
カースト制度の影響もあって、乞食から抜け出すことは考えていない人たちである。
だから、当たり前の行為をしているだけであって、嬉しそうな顔で感謝することはなく、もっと寄こせと、追いかけまわすのである。
俺は喜捨することはけっして嫌ではないが、そういったことが当たり前の状況と考え、まったく働く気持ちがないということ自体が、徳の少ない凡人の俺にはかなり理解しがたいことだった。)
<完全に暴走族の箱乗り感覚なのだ>
ドゥルガー寺院は歩くと意外に遠かった。
イーバカフェの従業員のインド人は寺院まで歩いて5分だと言った?が実際は30分ぐらいかかった。
だから、道に迷ったと勘違いしていた。
(もしかしたら、道を尋ねた時にチップを渡し忘れたから、いい加減に言われたのだろうか?
日本人カフェなんでそうは思いたくないが・・・。)
だが、遠くても、ブラブラしながら歩くのは悪くない。
気が付かなかったバラナシの色々な顔が見ええてくるからだ。
手前の荒れ果てたビル(というか、建設途中で中断してしまった建物?)と、その向こうのデパートらしきビルは好対照である。
こういう風景は日本ではあまり見ない。
だが、荒れ果てた建物の隣で、着実に営業している店はバラナシでよくみかけた。
車は日本車の中古が圧倒的に多い。
イギリスの伝統を誇る自動車ブランド、ジャガーとランドローバーをフォードから買収した日の出の勢いのタタ自動車の車は、あまりみかけなかった。
バラナシという下町だったからもしれないが、日本車は中古でも故障が少ないと言っていた。
タタの28万円という安い車では、この荒れた道路じゃ、すぐ壊れてしまうように思えた。
とにかく、大きな道路を歩くと土埃と排気ガスがひどいので、俺は日本から持参したマスクをつけた。
(インドで私の肺の中には土と排ガスの微粒子がかなり入ってしまったようで、帰国して2週間ぐらいは咳が止まらなかったのでした。
だが、インド人の人たちでマスクなどしている人は皆無であり、咳などするひともいないのです。)
道がわからなくて、何人にも道を尋ねた。
カフェから歩いて5分のところで美しい若いインド女性に尋ねたら、まだ30分はかかるけど歩いて十分いけるとのことだった。
本当に丁寧に教えてくれる。
中年の男性も曲がり角まで行く方向が一緒だからと、途中まで同行してくれた。
学校へ行く途中だと思われる子供にも尋ねたが、ヒンズー語ではなく地図上の英語表記の地名が読めるのはビックリである。
日本では、小学生の子でそれが読めたり話したりできる子はなかなかいないだろう。
(もちろん、英語がしゃべれない貧しいインド人はたくさんいる。)
池に映えたドゥルガー寺院
バラナシには河だけでなく、池も結構多いところだ。
Google Mapをみると、あちこちに池が存在していることがわかる。
写真の池も人工的に作られたものだが、もともとは自然な池だったと思う。
インドの人の親切心に触れたせいもあるが、なかなか、いい景色だった。
ただし、写真から静かな景色を想像するだろうが、この辺は道路渋滞地域である。
クラクションや車の騒音、大きな人の声が激しい、メチャうるさい所である。
これはトゥルスィー・マーナス寺院である。
ここは、参拝客が大変多い。
「ラーマのお寺」として現地の人に人気がある。寺院内の2階の白い大理石の壁はラーマの物語(英雄ラーマが猿の勇士ハヌマンらと協力して魔王ラーバナと戦い、そして誘拐された妻シータを取り戻す物語)が一面に彫られ、ラーマの物語をジオラマで再現しているコーナー(有料だが安い。Rs3ぐらい。)もあるが、日本人の俺には多分面白くないと思われるので入らなかった。
ハヌマン(孫悟空のモデルとも言われている)
ジオラマコーナーの出口から中が少し覗けるのだが、ディズニーランドのイッツァ・スモールワールドのように動く神様人形があった。
ここから、ガイドブックにはのっていないサンカト・モーチャン寺院にいってみた。
ホンダのヒーローというバイクがずらりと並んでいる門前
猿が沢山いて、通称モンキーテンプルというお寺らしく、先ほどの寺院同様にハヌマン神(猿神)を祭っている。
下の写真の長屋みたいなところに持ち物預けなければならないようだった。
どうも数年前にテロ爆破事件があったらしく、それ以来厳しいらしい。
なんだか、荷物を預けるのはちょっとヤバそうだったので、ここまできたが入らなかった。
ここでは毎年4月に寺の境内を利用してへのインド古典音楽の野外奉納演奏があるらしく、しかも大物演奏家がでるらしい。
戻りがけの、ここの参道で本当の乞食をみた。
土埃にまみれて、死んだようにピクリともせず寝ていた。
体はやせ細り、日本の乞食のように体中から異臭がしていた。
バラナシで初めて見た、本物の乞食である。
今まで見たバラナシの乞食は、物乞いをするほど体力があり、しかもさほど異臭などはしない。
ちゃんと、洗濯をし、体を洗い、それなりに食事もできると思われた。
日本の浮浪者よりも明るく暮らしているようだった。
(不具者の物乞いは悲惨で別である。ただ、偽物の不具者の物乞いもいた。
足が悪くて不自由なのに、朝、物乞いをする定位置に歩いていくのを見てしまった。
僕が少年だったころ、お寺の山門でよくみかけた偽物の傷痍軍人を思い出してしまった。)
バラナシの悲惨には見えない乞食たち
なんだかんだといっても、豊かな乞食にみえたのだが、今回は本物だった。
置かれた金属のさらに小銭をのせたが、あのままでは誰かが持ち去ってもわからないかもしれない。
写真をとろうと思ったが、痛々しくて撮れなかった。
インドより豊かなはずの日本では、こんな悲惨な感じの浮浪者がいたるところで見られるが、いったい日本はどうなってしまったのか?
俺には、日本にはカースト制度がなくても、インド以上に格差が激しくなりつつあるように思えるのだが、ますます酷くなるのだろうか?
もう、すでに、見えない
日本版ステルス型カースト制度ができつつある?、
ということなのだろうか。
ここから、バートラーマーター寺院まで行こうと思ったが、遠すぎるので今日はベニヤ公園までとすることに決めた。
ここから、公園まで約10kmほど歩こうと思ったのだが、歩いている途中でオートリキシャを捕まえているインド人をみた。
通りで手を上げて、リキシャの運転手と何か話している。
その人は「ゴドゥーリィヤ」と言い、簡単に乗っていった。
すでに何人も乗っている人がいるのだが、無理やり相乗りして乗っていくのである。
みたところ、すでに後ろ3人、前に運転手入れて3人のっているのだが、なんと運転手の席に客が座り、その客の上に運転手が座って運転していったのである。
(俺からみると5人ぐらいならばと思われるが、9人ぐらいはのるらしい。)
そこで、俺も真似をしてみることにした。
手を挙げて止めようと思ったのだが、リキシャは皆満員で止まってくれなかった。
もう少し先まであるくと交差点があるので、止めやすいかと思い、そこでやってみた。
そうしたら、それを見ていたインド人がいて、俺に近寄ってきた。
「どこまでいくのか?」
というので
「ゴドゥーリィヤ!」
と言ってみたのだった。
「こっちへこい。乗せてやる。」というので
「いくらなのか?」と聞くとRs10だという。
今までの経験からして、非常に安い金額だったのである。
どうやら、そのインド人はオートリキシャの手配師らしかった。
その手配師の周りには空のオートリキシャが集まってきて、同じ方向の客5人を集めて、リキシャの運転手からRs10をもらっているようだった。
俺はある空のまだ誰も乗っていないオートリキシャに案内されたのだが、そのリキシャマンが俺にRs40だと言ったので、それは約束がちがうと降りようとしたら、「待て、待て、Rs10でOK」というのだった。
相乗り客だとは思いつつも、日本人なので、もし一人で乗るなら最低4人は乗せたいところだから、一応Rs40と言ってみたらしい。
そして、次々に相乗り客は来るのだが、不思議なことに「いくらでいくのか?」とは誰も聞かないのである。
どうも、相場が決まっていて、地元民なら誰でも知っているようだった。
かくして、俺は初めて相乗りオートリキシャに乗れたのだった。
そして「ゴドゥーリィヤ」とはゴドゥーリィヤ交差点のことを指しているらしく、俺にとってはちょうど良い降り場所である。
ケシャリ・レストランのそばであり、ホテルにも近い。
ベニヤ公園もそこそこ近いのだ。
この後の数日間、この便利で格安な味を覚えてしまった俺は度々オートリキシャ(現地人はトゥクトゥクという)を利用することになった。
このときは、後ろの安全席に座ったのだが、スリル満点席にも何度か座る経験ができたのだった。
その席は20センチ弱四方の小さな席で、両手でリキシャのどこかにしっかり掴らないと放り出される席である。
バスのつり革みたいなものが付いているトゥクトゥクもあったが、運転が超荒いので、俺がのっているとき、カーブでブチ切れてしまった。
特に、道が空いていて70kmぐらいのスピードで走っているときは恐怖なのだ。
この荒々しい運転に、けたたましくクラクションを始終鳴らしながら走っているので、もう、完全に暴走族の箱乗り感覚である。
円内の席がその席である。(写真は他人のを借りました。)
とにかく、オートリキシャを捕まえて、「ゴドゥーリィヤ」と言えば、方向が同じなら何処からでも乗せてくれるのだ。
交差点の角が結構捕まえやすいこともわかった。
多分、バラナシ市内からゴドゥーリィヤまでなら、Rs30~10ぐらいでおさまるんじゃないだろうか。
相場は全然判らないから、降りるとき、値段がわからなければ、とりあえずRs10しか出さなかった。
もし足りなければ、あといくら出せと運転手が言うし、相乗りインド人客がいるから、適当にふっかけるということはしないので安心である。
この相乗りオートリキシャの便利さを最初から知っていれば、どこへでも気楽に安い値段でいけたのだ。
しかも、色んなインド人との相乗りは楽しいのである。
サルナートへも、相当安い値段で行けたはずであった。
極端な乗り方(写真は他人のを借りました。)
(つづく)
当ブログは若者の自立を支援する団体、NPO法人ネイチャーズを応援しています。
NPO法人ネイチャーズは、走Run会名誉会長、ウィンドサーフィンの師匠の山下光哉さんが運営する若者のためのNPO。
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彼女たちには、「お金をもらってやる」という気持ちがあって、与えても感謝などは全くしない。
要するに
「バクシーシ(喜捨)した者は徳を積むことができた」
、ということであり、ゲームでいうところの経験値がUPしたのだから、むしろ
逆に感謝しろ
、ということである。
カースト制度の影響もあって、乞食から抜け出すことは考えていない人たちである。
だから、当たり前の行為をしているだけであって、嬉しそうな顔で感謝することはなく、もっと寄こせと、追いかけまわすのである。
俺は喜捨することはけっして嫌ではないが、そういったことが当たり前の状況と考え、まったく働く気持ちがないということ自体が、徳の少ない凡人の俺にはかなり理解しがたいことだった。)
<完全に暴走族の箱乗り感覚なのだ>
ドゥルガー寺院は歩くと意外に遠かった。
イーバカフェの従業員のインド人は寺院まで歩いて5分だと言った?が実際は30分ぐらいかかった。
だから、道に迷ったと勘違いしていた。
(もしかしたら、道を尋ねた時にチップを渡し忘れたから、いい加減に言われたのだろうか?
日本人カフェなんでそうは思いたくないが・・・。)
だが、遠くても、ブラブラしながら歩くのは悪くない。
気が付かなかったバラナシの色々な顔が見ええてくるからだ。
手前の荒れ果てたビル(というか、建設途中で中断してしまった建物?)と、その向こうのデパートらしきビルは好対照である。
こういう風景は日本ではあまり見ない。
だが、荒れ果てた建物の隣で、着実に営業している店はバラナシでよくみかけた。
車は日本車の中古が圧倒的に多い。
イギリスの伝統を誇る自動車ブランド、ジャガーとランドローバーをフォードから買収した日の出の勢いのタタ自動車の車は、あまりみかけなかった。
バラナシという下町だったからもしれないが、日本車は中古でも故障が少ないと言っていた。
タタの28万円という安い車では、この荒れた道路じゃ、すぐ壊れてしまうように思えた。
とにかく、大きな道路を歩くと土埃と排気ガスがひどいので、俺は日本から持参したマスクをつけた。
(インドで私の肺の中には土と排ガスの微粒子がかなり入ってしまったようで、帰国して2週間ぐらいは咳が止まらなかったのでした。
だが、インド人の人たちでマスクなどしている人は皆無であり、咳などするひともいないのです。)
道がわからなくて、何人にも道を尋ねた。
カフェから歩いて5分のところで美しい若いインド女性に尋ねたら、まだ30分はかかるけど歩いて十分いけるとのことだった。
本当に丁寧に教えてくれる。
中年の男性も曲がり角まで行く方向が一緒だからと、途中まで同行してくれた。
学校へ行く途中だと思われる子供にも尋ねたが、ヒンズー語ではなく地図上の英語表記の地名が読めるのはビックリである。
日本では、小学生の子でそれが読めたり話したりできる子はなかなかいないだろう。
(もちろん、英語がしゃべれない貧しいインド人はたくさんいる。)
池に映えたドゥルガー寺院
バラナシには河だけでなく、池も結構多いところだ。
Google Mapをみると、あちこちに池が存在していることがわかる。
写真の池も人工的に作られたものだが、もともとは自然な池だったと思う。
インドの人の親切心に触れたせいもあるが、なかなか、いい景色だった。
ただし、写真から静かな景色を想像するだろうが、この辺は道路渋滞地域である。
クラクションや車の騒音、大きな人の声が激しい、メチャうるさい所である。
これはトゥルスィー・マーナス寺院である。
ここは、参拝客が大変多い。
「ラーマのお寺」として現地の人に人気がある。寺院内の2階の白い大理石の壁はラーマの物語(英雄ラーマが猿の勇士ハヌマンらと協力して魔王ラーバナと戦い、そして誘拐された妻シータを取り戻す物語)が一面に彫られ、ラーマの物語をジオラマで再現しているコーナー(有料だが安い。Rs3ぐらい。)もあるが、日本人の俺には多分面白くないと思われるので入らなかった。
ハヌマン(孫悟空のモデルとも言われている)
ジオラマコーナーの出口から中が少し覗けるのだが、ディズニーランドのイッツァ・スモールワールドのように動く神様人形があった。
ここから、ガイドブックにはのっていないサンカト・モーチャン寺院にいってみた。
ホンダのヒーローというバイクがずらりと並んでいる門前
猿が沢山いて、通称モンキーテンプルというお寺らしく、先ほどの寺院同様にハヌマン神(猿神)を祭っている。
下の写真の長屋みたいなところに持ち物預けなければならないようだった。
どうも数年前にテロ爆破事件があったらしく、それ以来厳しいらしい。
なんだか、荷物を預けるのはちょっとヤバそうだったので、ここまできたが入らなかった。
ここでは毎年4月に寺の境内を利用してへのインド古典音楽の野外奉納演奏があるらしく、しかも大物演奏家がでるらしい。
戻りがけの、ここの参道で本当の乞食をみた。
土埃にまみれて、死んだようにピクリともせず寝ていた。
体はやせ細り、日本の乞食のように体中から異臭がしていた。
バラナシで初めて見た、本物の乞食である。
今まで見たバラナシの乞食は、物乞いをするほど体力があり、しかもさほど異臭などはしない。
ちゃんと、洗濯をし、体を洗い、それなりに食事もできると思われた。
日本の浮浪者よりも明るく暮らしているようだった。
(不具者の物乞いは悲惨で別である。ただ、偽物の不具者の物乞いもいた。
足が悪くて不自由なのに、朝、物乞いをする定位置に歩いていくのを見てしまった。
僕が少年だったころ、お寺の山門でよくみかけた偽物の傷痍軍人を思い出してしまった。)
バラナシの悲惨には見えない乞食たち
なんだかんだといっても、豊かな乞食にみえたのだが、今回は本物だった。
置かれた金属のさらに小銭をのせたが、あのままでは誰かが持ち去ってもわからないかもしれない。
写真をとろうと思ったが、痛々しくて撮れなかった。
インドより豊かなはずの日本では、こんな悲惨な感じの浮浪者がいたるところで見られるが、いったい日本はどうなってしまったのか?
俺には、日本にはカースト制度がなくても、インド以上に格差が激しくなりつつあるように思えるのだが、ますます酷くなるのだろうか?
もう、すでに、見えない
日本版ステルス型カースト制度ができつつある?、
ということなのだろうか。
ここから、バートラーマーター寺院まで行こうと思ったが、遠すぎるので今日はベニヤ公園までとすることに決めた。
ここから、公園まで約10kmほど歩こうと思ったのだが、歩いている途中でオートリキシャを捕まえているインド人をみた。
通りで手を上げて、リキシャの運転手と何か話している。
その人は「ゴドゥーリィヤ」と言い、簡単に乗っていった。
すでに何人も乗っている人がいるのだが、無理やり相乗りして乗っていくのである。
みたところ、すでに後ろ3人、前に運転手入れて3人のっているのだが、なんと運転手の席に客が座り、その客の上に運転手が座って運転していったのである。
(俺からみると5人ぐらいならばと思われるが、9人ぐらいはのるらしい。)
そこで、俺も真似をしてみることにした。
手を挙げて止めようと思ったのだが、リキシャは皆満員で止まってくれなかった。
もう少し先まであるくと交差点があるので、止めやすいかと思い、そこでやってみた。
そうしたら、それを見ていたインド人がいて、俺に近寄ってきた。
「どこまでいくのか?」
というので
「ゴドゥーリィヤ!」
と言ってみたのだった。
「こっちへこい。乗せてやる。」というので
「いくらなのか?」と聞くとRs10だという。
今までの経験からして、非常に安い金額だったのである。
どうやら、そのインド人はオートリキシャの手配師らしかった。
その手配師の周りには空のオートリキシャが集まってきて、同じ方向の客5人を集めて、リキシャの運転手からRs10をもらっているようだった。
俺はある空のまだ誰も乗っていないオートリキシャに案内されたのだが、そのリキシャマンが俺にRs40だと言ったので、それは約束がちがうと降りようとしたら、「待て、待て、Rs10でOK」というのだった。
相乗り客だとは思いつつも、日本人なので、もし一人で乗るなら最低4人は乗せたいところだから、一応Rs40と言ってみたらしい。
そして、次々に相乗り客は来るのだが、不思議なことに「いくらでいくのか?」とは誰も聞かないのである。
どうも、相場が決まっていて、地元民なら誰でも知っているようだった。
かくして、俺は初めて相乗りオートリキシャに乗れたのだった。
そして「ゴドゥーリィヤ」とはゴドゥーリィヤ交差点のことを指しているらしく、俺にとってはちょうど良い降り場所である。
ケシャリ・レストランのそばであり、ホテルにも近い。
ベニヤ公園もそこそこ近いのだ。
この後の数日間、この便利で格安な味を覚えてしまった俺は度々オートリキシャ(現地人はトゥクトゥクという)を利用することになった。
このときは、後ろの安全席に座ったのだが、スリル満点席にも何度か座る経験ができたのだった。
その席は20センチ弱四方の小さな席で、両手でリキシャのどこかにしっかり掴らないと放り出される席である。
バスのつり革みたいなものが付いているトゥクトゥクもあったが、運転が超荒いので、俺がのっているとき、カーブでブチ切れてしまった。
特に、道が空いていて70kmぐらいのスピードで走っているときは恐怖なのだ。
この荒々しい運転に、けたたましくクラクションを始終鳴らしながら走っているので、もう、完全に暴走族の箱乗り感覚である。
円内の席がその席である。(写真は他人のを借りました。)
とにかく、オートリキシャを捕まえて、「ゴドゥーリィヤ」と言えば、方向が同じなら何処からでも乗せてくれるのだ。
交差点の角が結構捕まえやすいこともわかった。
多分、バラナシ市内からゴドゥーリィヤまでなら、Rs30~10ぐらいでおさまるんじゃないだろうか。
相場は全然判らないから、降りるとき、値段がわからなければ、とりあえずRs10しか出さなかった。
もし足りなければ、あといくら出せと運転手が言うし、相乗りインド人客がいるから、適当にふっかけるということはしないので安心である。
この相乗りオートリキシャの便利さを最初から知っていれば、どこへでも気楽に安い値段でいけたのだ。
しかも、色んなインド人との相乗りは楽しいのである。
サルナートへも、相当安い値段で行けたはずであった。
極端な乗り方(写真は他人のを借りました。)
(つづく)
当ブログは若者の自立を支援する団体、NPO法人ネイチャーズを応援しています。
NPO法人ネイチャーズは、走Run会名誉会長、ウィンドサーフィンの師匠の山下光哉さんが運営する若者のためのNPO。
悩める若者や親御さん、是非お御問合せください。丁寧に対応してくれると思いますよ。
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