天后宮の焼き物?彫刻?で飾られた屋根
(つづきの始まり)
それから天后宮へ行った。
天后聖母が祀られたベトナムでも最古の華人寺である。天后聖母=媽祖(まそ、マーズゥー)は、航海・漁業の守護神として、中国沿海部を中心に信仰を集める道教の女神である。
が、どうも実在の人物らしい。
以下、ウィキペディアより詳しい「チョロン周辺と天后宮を歩いてみよう!」より一部抜粋
------------------
媽祖の本名は林黙といい、記録によると生まれは北宋の太祖建隆元年(西暦960年)3月23日、亡くなったのは北宋の雍煕四年(西暦987年)9月9日。享年28歳。媽祖の父は林愿(リンユェン)、福建の都の巡査をし、母親の名前は王氏。媽祖が生まれる前、夫婦には既に一男五女、計六人の子供がいましたが、たった一人の男の子が病弱だったため、両親は跡取りとしてもう一人男の子をほしがり、女の子(媽祖)が誕生!最初は少し落胆したそうなんですが、1ヶ月になるまで泣くことが無く黙ったままだったり(そのため名前が「黙」になったそう)、幼い頃からとても賢く8歳になると文章は何でもスラスラと読み、他の人に意味を解くことを教えて諭し、9歳には金鋼経・可蘭経・唐玄奘・遺経典の全てを知り、10歳には仏に対する礼儀を暗唱することが出来ました。また暇があれば母の布織りを手伝うなど天性の親孝行娘だったそう。16歳でのぞいた井戸からお札を見つけてからいつでも神と通じ合うことが出来るようになり、28歳の9月9日(重陽の日)、峰の山頂まで登り、皆の道になるため明るい内に昇天した、といわれます。
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天后聖母であるが、何故か大中小の天后聖母が前後して三段重ねなのだ。
年代別の天后聖母の姿なんだろうか?
経歴からして幼い時から天才少女のようだから、その霊的に生きた時間の証としての具体的表現なんだろうか?
海洋の気象や海難事故を予知する能力があり、多くの人々を海難事故から救ったらしく、航海・漁業の守護神になったらしい。
(もしかすると予知的能力以上に古の人々の過去の経験に基づいた科学的知識を努力して学んでいたかもしれない。
まるで三国志の諸葛孔明がオカルト的に天候を変化させた時のように。)
天井には渦巻き型の線香がぶらさがっていて、名前を書いた赤い札をくっつけて、火をつけたのち、係の人がぶら下げてくれる。
筆の上手下手はわからないが、味がある字の書があった。
華商とは華僑のことである。
寺院の中には所々にテーブルとイスが置かれていて、この書の前もそうなのだが屋根のある空間がかなりあり、集会所的なものを感じた。
媽祖を守り神として危険な海を渡り、さらに異文化の中で生きなければならない華僑が、天后宮をわが故郷の精神的拠り所としていたこと、また商人としての相互扶助、共同利益増進のための集会所としていたことは、その場にいると容易に想像できることだった。
天后宮は華商之家なのだと俺は理解した。
さて、そこからサータイ市場へ向かった。
(消えた動画の代わりに他人のを借りました)
地元に密着した小さな市場で、かなり刺激的な恋愛映画「愛人 ラマン」のロケ現場でもあるらしい。
見たことはない映画だが、題名だけは知っている。
主人公が15歳の貧乏なフランス少女と裕福な家のベトナムの跡取り息子で衝撃的なロリータ映画だということも知っていた。
映画の中では、この通りに面した一室が逢引の場所だということなのだが、実際はあまりにも生活感がありすぎで、どうもそんな感じがしなかった。
そのうち、映画を見てみようと思うが、フランス語なのかな?
挿入歌がなかなかいい!
時間も遅くなり、明日早朝はベトナム中部のホイアンへ行く日なので、暗くならないうちにホテルに戻ることにした。
ここからはバス停さえ見つかればベンタイン市場行きに乗ればいいのだ。
道端の若い大学生らしき英語のしゃべれそうな女の子に聞き、バス停を教えてもらった。
バス停は小さかったが、すでに2人ほどバスを待っていたのですぐわかった。
バスはワンマンバスだった。
その時の動画は無事残っていた。
このバスはベトナム語の車内アナウンスがあり、降車ブザーもあった。
日本とちょっと違うのは、お金を払って切符をもらうということだけである。
ここサイゴン(ホーチミン)では、後で知った市内のバス路線図と市内地図さえあれば、タクシーを利用しなくても好きなところへ安全に且つ格安にいけるのである。
たぶん、ベトナムで一番お金を使うのは贅沢品を買ったり、高級料理を食べるのは別にするとタクシーなのではないかと思う。
だから、俺の財布の中のお札はほとんど減らなかったのだ。
いくらビールを飲んでも減らず、逆に小額紙幣でより嵩張るようになり、財布はいつもパンパンで持ちにくく、結局、札を輪ゴムで止めるのが最も手軽なお金の持ち方だと気付き、これ以降はそうすることにした。
現地の人も結構、財布を使わず札のままポケットにいれるか、マネークリップを利用していた。
ただし、取り出しやすいように手前から金額の低い順にならべていた。
そうしないと、支払うときに一桁間違えて多めに支払ってしまうからである。
実際、そういうこともあったが、私の出会ったベトナム人は皆、正直者で、違うといって戻してくれた。
(インドでは、まず100%ありえないだろう。)
なお、使用するお金のほとんどが紙幣で、硬貨を使うことがまずないから、小銭入れは不要である。
ベトナムにも硬貨はあるらしいのだが、俺は手に入れることができなかった。
また、1000ドン未満の紙幣もみたことがない。
(100ドン紙幣からあるらしいく、最高は50万ドン紙幣≒2700円である。)
ベンタイン市場に無事つき、早めの夕食をとることにした。
ベトナムでも有名なフォーのチェーン店Pho24である。
清潔なだけあって、割高である。
だが、味は今一だった。
やはり、サラリーマン店員では、味にかける情熱のようなものが伝わらないように思う。
屋台や一般の店にすれば良かった。
明日は暗い早朝に出発して飛行場に行かなければならない。
この時ばかりは路線バスもなく、タクシーを利用しなければいけないのである。
だから、ホテルのフロントにタクシーの予約をして、シャワーも浴びずに早々に寝たのだ。
(ただ、前回のインドでは早朝にはフロントに誰もいなくて、ホテルのカギも閉まっていたから、心配なので、一応大丈夫かと英語で念をおしている。)
今日一日、徒歩と路線バスでかなり疲れていたかもしれない。
もちろん、ビール(DaiveietとZorok)を2缶飲んでからである。
(ベトナム中部、ホイアン編ヘつづく)
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それから天后宮へ行った。
天后聖母が祀られたベトナムでも最古の華人寺である。天后聖母=媽祖(まそ、マーズゥー)は、航海・漁業の守護神として、中国沿海部を中心に信仰を集める道教の女神である。
が、どうも実在の人物らしい。
以下、ウィキペディアより詳しい「チョロン周辺と天后宮を歩いてみよう!」より一部抜粋
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媽祖の本名は林黙といい、記録によると生まれは北宋の太祖建隆元年(西暦960年)3月23日、亡くなったのは北宋の雍煕四年(西暦987年)9月9日。享年28歳。媽祖の父は林愿(リンユェン)、福建の都の巡査をし、母親の名前は王氏。媽祖が生まれる前、夫婦には既に一男五女、計六人の子供がいましたが、たった一人の男の子が病弱だったため、両親は跡取りとしてもう一人男の子をほしがり、女の子(媽祖)が誕生!最初は少し落胆したそうなんですが、1ヶ月になるまで泣くことが無く黙ったままだったり(そのため名前が「黙」になったそう)、幼い頃からとても賢く8歳になると文章は何でもスラスラと読み、他の人に意味を解くことを教えて諭し、9歳には金鋼経・可蘭経・唐玄奘・遺経典の全てを知り、10歳には仏に対する礼儀を暗唱することが出来ました。また暇があれば母の布織りを手伝うなど天性の親孝行娘だったそう。16歳でのぞいた井戸からお札を見つけてからいつでも神と通じ合うことが出来るようになり、28歳の9月9日(重陽の日)、峰の山頂まで登り、皆の道になるため明るい内に昇天した、といわれます。
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天后聖母であるが、何故か大中小の天后聖母が前後して三段重ねなのだ。
年代別の天后聖母の姿なんだろうか?
経歴からして幼い時から天才少女のようだから、その霊的に生きた時間の証としての具体的表現なんだろうか?
海洋の気象や海難事故を予知する能力があり、多くの人々を海難事故から救ったらしく、航海・漁業の守護神になったらしい。
(もしかすると予知的能力以上に古の人々の過去の経験に基づいた科学的知識を努力して学んでいたかもしれない。
まるで三国志の諸葛孔明がオカルト的に天候を変化させた時のように。)
天井には渦巻き型の線香がぶらさがっていて、名前を書いた赤い札をくっつけて、火をつけたのち、係の人がぶら下げてくれる。
筆の上手下手はわからないが、味がある字の書があった。
華商とは華僑のことである。
寺院の中には所々にテーブルとイスが置かれていて、この書の前もそうなのだが屋根のある空間がかなりあり、集会所的なものを感じた。
媽祖を守り神として危険な海を渡り、さらに異文化の中で生きなければならない華僑が、天后宮をわが故郷の精神的拠り所としていたこと、また商人としての相互扶助、共同利益増進のための集会所としていたことは、その場にいると容易に想像できることだった。
天后宮は華商之家なのだと俺は理解した。
さて、そこからサータイ市場へ向かった。
(消えた動画の代わりに他人のを借りました)
地元に密着した小さな市場で、かなり刺激的な恋愛映画「愛人 ラマン」のロケ現場でもあるらしい。
見たことはない映画だが、題名だけは知っている。
主人公が15歳の貧乏なフランス少女と裕福な家のベトナムの跡取り息子で衝撃的なロリータ映画だということも知っていた。
映画の中では、この通りに面した一室が逢引の場所だということなのだが、実際はあまりにも生活感がありすぎで、どうもそんな感じがしなかった。
そのうち、映画を見てみようと思うが、フランス語なのかな?
挿入歌がなかなかいい!
時間も遅くなり、明日早朝はベトナム中部のホイアンへ行く日なので、暗くならないうちにホテルに戻ることにした。
ここからはバス停さえ見つかればベンタイン市場行きに乗ればいいのだ。
道端の若い大学生らしき英語のしゃべれそうな女の子に聞き、バス停を教えてもらった。
バス停は小さかったが、すでに2人ほどバスを待っていたのですぐわかった。
バスはワンマンバスだった。
その時の動画は無事残っていた。
このバスはベトナム語の車内アナウンスがあり、降車ブザーもあった。
日本とちょっと違うのは、お金を払って切符をもらうということだけである。
ここサイゴン(ホーチミン)では、後で知った市内のバス路線図と市内地図さえあれば、タクシーを利用しなくても好きなところへ安全に且つ格安にいけるのである。
たぶん、ベトナムで一番お金を使うのは贅沢品を買ったり、高級料理を食べるのは別にするとタクシーなのではないかと思う。
だから、俺の財布の中のお札はほとんど減らなかったのだ。
いくらビールを飲んでも減らず、逆に小額紙幣でより嵩張るようになり、財布はいつもパンパンで持ちにくく、結局、札を輪ゴムで止めるのが最も手軽なお金の持ち方だと気付き、これ以降はそうすることにした。
現地の人も結構、財布を使わず札のままポケットにいれるか、マネークリップを利用していた。
ただし、取り出しやすいように手前から金額の低い順にならべていた。
そうしないと、支払うときに一桁間違えて多めに支払ってしまうからである。
実際、そういうこともあったが、私の出会ったベトナム人は皆、正直者で、違うといって戻してくれた。
(インドでは、まず100%ありえないだろう。)
なお、使用するお金のほとんどが紙幣で、硬貨を使うことがまずないから、小銭入れは不要である。
ベトナムにも硬貨はあるらしいのだが、俺は手に入れることができなかった。
また、1000ドン未満の紙幣もみたことがない。
(100ドン紙幣からあるらしいく、最高は50万ドン紙幣≒2700円である。)
ベンタイン市場に無事つき、早めの夕食をとることにした。
ベトナムでも有名なフォーのチェーン店Pho24である。
清潔なだけあって、割高である。
だが、味は今一だった。
やはり、サラリーマン店員では、味にかける情熱のようなものが伝わらないように思う。
屋台や一般の店にすれば良かった。
明日は暗い早朝に出発して飛行場に行かなければならない。
この時ばかりは路線バスもなく、タクシーを利用しなければいけないのである。
だから、ホテルのフロントにタクシーの予約をして、シャワーも浴びずに早々に寝たのだ。
(ただ、前回のインドでは早朝にはフロントに誰もいなくて、ホテルのカギも閉まっていたから、心配なので、一応大丈夫かと英語で念をおしている。)
今日一日、徒歩と路線バスでかなり疲れていたかもしれない。
もちろん、ビール(DaiveietとZorok)を2缶飲んでからである。
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