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旧中仙道ランニング「中仙道走膝痛シ」・・・桶川宿~熊谷宿(その3)

2016年10月04日 | 中山道走膝痛シ(旧中山道ランニング)
荒川の土手はスケールが大きくて、風が冷たかった。




愛馬への供養として祀られた馬頭観音が、元荒川と現在の荒川の土手の間にヒッソリとたっていた。


土手下の舗装路がほぼ旧中仙道である。


昭和22年のキャスリーン台風時の堤防決壊の跡碑
当時、私の母は埼玉県幸手に住んでいたが、華族全員、自宅家屋の屋根に逃れ、雨に打たれながら他の家が回転しながら流れていくのを見ていた、と語っていた。





久下(くげ)村の一里塚
本来は土手下が旧中仙道で、一里の跡が下に見える。
稲荷神社になっていた。
日本橋より15里目だ。
まだ、中仙道全行程の序の口である。

この辺りは家紋が「一番」という文字の久下氏ゆかりの地である。



久下氏(ウィキペディアより一部抜粋)
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久下氏(くげうじ)は、丹波国の国人領主。本姓は清和源氏。武蔵国大里郡久下郷(現在の埼玉県熊谷市久下周辺)を本貫地とする。源平の争乱で戦功をあげ、承久の乱の後に丹波国栗作郷(兵庫県丹波市山南町)へ移った。
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この辺りには、街道筋で商工業を営む者も多かったが、その中で武具の匠たちが住んでいて弓などの武具を製造してして、久下鍛冶の名で知られていた。
だが、その痕跡はない。
歴史を刻んだ石碑があるだけである。



土手には植物の白い綿毛がフワフワと飛んでいた。
走る自分の後ろから、そのフワフワが荒川のキリッと冷たい風に乗って追い越していく。

あのフワフワは何者か?
タンポポではない。
なんという植物か、わからない。

まあ、いいか。


久下堤碑
何の碑だか、よくわからなかった。




久下神社である。
鎌倉時代から久下村の鎮守様だ。

この辺りで悲しい事件が起きている。

関東大震災後、都内では「朝鮮人が暴動を起こしている」といった流言が広がったのは有名な話である。
その時、震災と迫害から逃れてきた朝鮮人を、県警察部は保護の名目でさらに県外へと移送を始めた。
この神社の辺りも通ったのだが、6~8人の朝鮮人が自警団と称する集団に殺されている。
熊谷市内ではもっとひどかったようだ。
参照:「負の歴史見つめ直して」 熊谷・朝鮮人虐殺の地を歩く

人間は興奮してパニックになると、とんでもない集団ヒステリー行動を起こす。
実に残念なことだ。
自分だけはそうならないと思っていても、様々な状況が合致すると誰もがそうなる危険性があるのだ。



久下権八地蔵(久下村の平井権八地蔵である。…歌舞伎では平井でなく白井)



地蔵になった権八は吉原の花魁小紫との恋愛話で、いつのまにか粋な話になっているが、実際は花魁遊びの金を手にいれる為、辻斬りをはたらき、なんと130名余!の殺害をし、最後は品川の鈴ヶ森で獄門にかかった大悪人なのだ。





歴史は作られるというが、歌舞伎、落語などで大衆に迎合する形に徐々に変化し、あたかも事実であるかのように作られていく。


画は 歌川 廣貞の白井権八(ギャラリー酔いどれよりお借りしました)

この画こそ、権八に近いであろう。



朝鮮人虐殺と平井権八で、「大衆」というものを考えさせられる熊谷宿である。



中山道碑


久下の渡し 冠水橋跡碑

昔は渡しがあったところである。
そして、昭和から平成15年まで、ここに四万十川の沈下橋のような日本最長のワイヤー欄干の冠水橋(沈下橋、潜水橋)があった。
しかし、近くに新久下橋が開通したため、撤去されてしまったのだ。

石碑の脇の写真をみて、撤去せずに形だけでも残してほしかったと思った。
何とも言えない風情があると思いませんか?









元荒川の流れは清冽である。
ここには国の特別天然記念物ムサシトミヨが生息しているとガイドブックには書かれていた。。


トミヨ(ウィキペディアより)
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トミヨ(富魚、止水魚)とはトゲウオ科トミヨ属に属する魚。また、トミヨ属に属する魚の総称でもある。

冷帯を中心に分布し、世界で10種程度が知られ、日本にも数種が分布している。一般には、海水、汽水、淡水に生息するが、きれいな冷水(15度前後)を好むため、日本では北海道など以外では、水温の低い湧水池やそれに程近い流域などの淡水環境に生息している。このため、水質の変化や渇水の影響を受けやすい。各地で絶滅の危機に瀕している場合があり、美しい自然のシンボルとして保護活動が行われている。

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特に、ムサシトミヨは熊谷市の元荒川にだけ生息している希少な淡水魚だということである。

当然だが、覗いたからといって簡単には見れなかった。


八丁の一里塚跡(日本橋より16里目)


熊谷駅そばの筑波交差点

今回はここで、終わりとした。
次回(熊谷宿~深谷宿~本庄宿~新町宿:約31km)は再び寒い時期に走ることになると思う。

この日は、たしか四谷で用事があったので、JRで四ツ谷駅に行き、塩湯に入ったのであった。

(おわり)



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