ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

夢・・・叶えたろか!

2020-03-07 18:09:32 | 思い
 お正月の特番のようだが、
聞くところによると、1995年1月が始まりらしい。
 今年で26回目になる長寿だ。

 確か1月13日の放映だった。
明石家さんまと中村珠緒が司会をする
『あんたの夢をかなえたろか』を観た。

 自分の夢がテレビ番組の力を借りて、
叶えられる。
 その喜びが、映像から伝わってくる。
毎回、ついつい笑顔になる番組だ。

 今年の圧巻は、50歳代の漁師が抱いた夢だった。
あのフジコ・ヘミングさんが奏でる『ラ、カンパネラ』を聴き、
弾いてみたいと思った。
 それから7年間、毎日8時間の猛練習を続けた。

 ゴツゴツとした指の漁師は言う。
「全てを犠牲にした。
それでも弾けるようになりたかった。」

 彼の夢は、
『自分の演奏するラ、カンパネラを、
フジコ・ヘミングさんに聴いてもらいたい』だった。

 フジコさんの前で、ラ、カンパネラを弾き終え、
賞賛を受ける満面の明るい表情が、まぶしかった。

 それまでクラシック曲とは縁遠い暮らし、楽譜も読めない。
そこからのスタートでも、
見事に、プロも敬遠する難曲を弾いた彼。
 そして、夢を叶えた。

 決して真似出来ない執念と情熱に、
私は、拍手をするしかなかった。
 凄い人がいる。
腰が砕けそうになった。

 そしてもう1つ、この番組で心に残ったシーンがあった。
それは、北海道苫小牧の街中で、
マイクを向けられた女性の夢だ。

 彼女は、まだ知る人が少なかったアイドルに、
ファンレターを出した。
 すると、返信の手紙が来た。
今もそれを大事にしている。

 「私にわざわざ返事を書いてくれた佐藤栞里さんに、
会いたい。そして、お礼が言いたい。」
 そんな夢だった。

 番組では、その彼女をスタジオに呼んで、
サプライズで佐藤栞里さんと対面させた。

 そんな企画は、過去にも人が違うだけでよく観た。
だが、今回は一味違った。

 会いたい人、お礼が言いたい人が登場して来る。
すると、それが夢だった当人が、涙する。
 それが定番シーンだ。

 ところが、テレビカメラの前に出てきた佐藤栞里さんは、
すでに涙涙だったのだ。

 佐藤栞里さんは、しきりと頭をさげ、
そして、涙ながらに言う。
 「私なんかが書いた手紙を、
こんなにも長い間、持っていて下さって・・。」

 アイドルとしての下積みが長かった。
つい3,4年前から、テレビに出られるようになった。
 だから、自分に会いたい人がいたことが、
佐藤栞里さんにとって、
描いたこともなかった夢だった。
 それが叶った一瞬だった。

 最近もろに弱ってきた涙腺が緩るんだ。
もらい泣きしてしまった。
 
 さて、フジコさんのラ、カンパネラを聴いた漁師さんは、
凄い努力の末に、自分の力でつかみ取ったような夢だった。

 一方、佐藤栞里さんは思ってもいなかったような夢に、
巡り巡って出会った。

 2つは、夢もその叶え方も大きく違う。
でも、それがテレビ画面の向こうであっても、
夢が叶うシーンは、ただただ心を打つ。
 憧れる。

 つい私も夢が見たくなった。
そして、その夢が叶ってほしいと思ったりもする。
 たわいない夢、呆れられる夢、そして諦めきれない夢、
そんな数々を思いつくまま、列記するか・・・。
 
 その前に、こんな心境を追記する。
コロナ騒動の最中だ。
 「高齢者は重症化しやすい。致死率も高い」と、
聞かされ、若干怖じ気づいている。

 長期休校中の子ども達のため、何か力になりたい。
そう思う一方で、高齢者だから迷惑をかけないよう、
散歩もジョギングも控えようと、ためらう。
 
 やや萎縮している自分に気づくと、
せめて、あんのんと夢でも見たくなって・・・。


 ▼1 呆れかえる夢から

 4月で72歳になる。
ここまで年齢を重ね、数々の貴重な場を歩んできた。
 好運にも恵まれた。
その1つ1つが私を育て、今がある。

 時には、いくつかのハードルも超えたから、
新しい気づきや喜びに出会えた。
 それが私の財産となり、蓄えられた。
だがら、今を満たしてくれている。

 このままがいい。
ずっとこのままがいい。
 もう年齢を重ねなくてもいい。
このまま、このまま・・・。

 そう、老け込みたくないの・・!


 ▼2 切なる夢から

 伊達に居を構えて、間もなく8年になる。
その間に、何人もの心の支えが逝ってしまった。

 つい1か月前も、A氏の悲報が届いた。
数日後、息子さんからの電話で、彼の最期の様子を知った。
 逝去を実感させられた。
悲しみは、今も癒えないままだ。

 もうこんな寂しさはいらない。
誰も亡くならないでほしい。
 会えなくても構わない。
でも、一人また一人と、逝ってしまうと、
この先を見ていた私までが、
消えていくようで、心細くなる。

 もう誰も逝かないでほしい・・!


 ▼3 引き寄せたい夢から

 4年も前になる。
5月の洞爺湖で、フルマラソンをゴールした。
 夢のまた夢でしかなかった。
 
 その夢が叶った。
なのに、ゴールの実感がなかった。
 喜びの感情をどこかに置き忘れたままゴールインした。

 だから、
「今度のゴールは喜びを爆発させる」。
 そう思って、練習を続け、準備をした。
しかし、ことごとく失敗。
 あれ以来、1度も完走していない。

 年々、高齢になる。
「1年でも早くゴールしないと・・」
気がせいている。

 今年こそと、強い心でいる。
健康にも気遣い、淡々と走り続けてもきた。
 もし、開催が中止になっても、
もう1年くらいなら、気持ちは切れない。
 そう、私を信じる。

 だって、なんとしても、喜びを爆発させたい・・!


   

  まもなく春 最後の雪景色かも   

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