ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

心 動かされて・ ・ ・

2018-06-21 20:23:44 | 思い
 1、朝日新聞「折々のことば」鷲田清一 から

  ①
 『電車が人身事故で止まった時、車内で誰かが
  舌打ちしたりする光景が、すごく怖いです。
                  稲葉俊郎
    テレビでは、心を揺さぶるドラマもニュ
   ースやCMで不意に中断される。感情が細
   切れにされ、しかも人はそれに慣れる。他
   人の死ですらただの「情報」になって、人
   を悼む気持ちがすっと立ち上がらなくなる
   と大学病院医師は憂う。心に病をもつ人も
   実はそういう事実に深いダメージを受けて
   いるのではないかと。音楽家・大友良英と 
   の対話「見えないものに、耳をすます」から』
                 2018.4.25

 一読して、背筋が冷えた。
現職の頃、出勤時に、何度か同様の電車事故情報に遭遇した。
 「舌打ち」までは行かないが、被害に遭われた方を思うよりも、
まず先に、遅刻が気になった。
 通勤経路の変更に思考がいっていた。

 まさに、『人を悼む気持ちがすっと立ち上がらなくな』っていたのだ。
反省しきりである。

 「戦場では、戦友の屍を置き去りにした。
そうしなければ生き延びることができなかった。」
 そんな戦争体験談が脳裏をよぎった。

 そこまで冷淡で殺伐とした感情ではないけれども、
あの頃、分刻みの忙しさに追われていた。
 最優先されたのが、その日常だ。
それは、戦場体験はあまりにも大げさだが、
同じ行動パターンではなかろうか。
 自問してしまった。

 確かに、『感情が細切れにされ、…人はそれに慣れ』ているのだ。
それだけじゃない。
 『他人の死ですらただの「情報」にな』り、
歪んだそんな『情報』が、身の回りにあふれているのだ。

 どんどん感情が鈍化されている。
いや、鈍化していく条件が十分にある。

 つい先日、走行中の新幹線で、
乗客3人が刃物で殺傷される事件があった。
 犯人は、「誰でもよかった」と動機を言っているらしい。
10年前の秋葉原事件も同様だ。
 鈍化した感情の極みだ。
あまりにも現実感のない、非道な犯行に憤慨する。

 それにしても、類似した無頓着さ、厚かましさ、
感情を逆なでする言動が、身の回りにありはしないだろうか。
 強く自戒する。  

  ②
 『この人でなければ絶対ダメだと思える人の下
  で働かなければモチベーションを保ち続けら
  れない。
                  岸田周三
    「自分が心からおいしいと思う店」で修
   業せよと、フレンチのシェフは言う。人を
   駆るのは、あんなふうになりたいという憧
   れ。心を激しく揺さぶられたからこそ憧れ
   るのだが、あんなふうにということ以外は
   実は知らない。だから、技術以上にその人
   の表情や身のこなしを1つ1つ食い入るよ
   うに見る。「月刊専門料理」昨年4月号から。
                2018.6.19

 久しぶりに『憧れ』の言葉に触れた。
『あんなふうになりたい…以外は・・知らない。
だから、…その人の表情や身のこなしを
1つ1つ食い入るように見る』。

 私にも身に覚えがある。
中学校と大学の恩師、そして最初に赴任した学校のA先生、
その三氏に、私は鷲田さんが語るような憧れを抱いた。

 3人は、それぞれ大きく違う個性を持っていた。 
当然、憧れを持った頃の私の年令も違う。
 しかし「あんなふうに」と言う気持ちは、
教師としての私のモチベーションになった。

 ずっと、心にあった。
ずっと「なりたい人」、「近づきたい人」だった。
 確かに、それが私を育ててくれた。
出逢いに、今も感謝している。

 さて、現職を離れてからはと言えば、
この言葉さえ遠くなりつつあった。
 しかし、新しい憧れの出現を、密かに期待している向きもある。

 伊達に来て、様々な出会いがあった。
親しくお付き合いをさせていただいている方もいる。
 しかしなのだ。

 例えばだ。
4月、『伊達ハーフマラソン』の選手宣誓は、
大会参加者の最高齢92歳の男性だった。
 宣誓原稿を用意し、力強く声を張り上げた。
その後、5キロを完走し、ゴールした。
 わざわざ旭川から、参加したらしい。

 「すごい」と思いながら、その後ろ姿を追った。
日頃の練習、健康管理、走ろうとする意欲を想像し、
頭が下がった。
 しかし、それだけだ。
これからの私の『憧れ』には、遠いのだ。

 もう『憧れ』などとは、無縁な年令と言えそうだ。
そう思いつつも、いや・・。
 いくつになっても、
『その人の……1つ1つを食い入るように見る』。
 そんな私でありたいと思ってしまう。
いつまでも『憧れ』の人の背中に、熱い視線を送り続ける私でいたい。
  

 2 映画『万引き家族』 から

 カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞し、
話題をよんでいる。

 その映画のあらすじを、ネットから引用する。   

 『 高層マンションの谷間にポツンと取り残された
今にも壊れそうな平屋に、
治と信代の夫婦、息子の祥太、信代の妹の亜紀の4人が
転がり込んで暮らしている。

 彼らの目当ては、この家の持ち主である初枝の年金だ。
足りない生活費は、万引きで稼いでいた。

 社会という海の底を這うような家族だが、
なぜかいつも笑いが絶えず、
互いに口は悪いが仲よく暮らしていた。

冬のある日、近隣の団地の廊下で震えていた幼い女の子を、
見かねた治が家に連れ帰る。
体中傷だらけの彼女の境遇を思いやり、
信代は娘として育てることにする。

 だが、ある事件をきっかけに家族はバラバラに引き裂かれ、
それぞれが抱える秘密と切なる願いが
次々と明らかになっていく──。 』

 話題性とあらすじに惹かれ、久しぶりに映画館に座った。

 「日本に、こんな貧困があるのか」。
カンヌ映画祭に参加した方が、そう評したらしい。
 その驚きを否定できないまま、
スクリーンに映し出される1コマ1コマに釘づけになった。

 6人の「万引き家族」のその暮らしぶりが、
貧困なだけではない。
 ワンカットワンカットに描かれる小さなドラマも、
見る者の胸を締め付けた。切ない思いにさせた。

 現在の家庭生活のメンツを守るため、
初枝にわずかなお金を握らせる亜紀の親。

 幼い女の子の両親が、虐待の事実を隠し、
『お涙頂戴』のインタビューに応じる。
 それを真に受け、報道するマスコミ。

 取り調べのためならと、
子どもが心に傷をおうことをも頓着しない警察官の尋問。

 それらの数々は、経済的な貧困とは無縁だが、
心の貧しさを色濃く描き出していた。

 確かに映画はフィクションである。
しかし、日本の現実をしっかりと切り取っていた。

 徐々に徐々に社会の貧困化が進んでいること、
その危機感への、映画人の強いメッセージを感じた。

 受け止め方は様々だろう。
切なさと無力感の中、終盤の2つのカットに、私は救われた。

 施設に戻る翔太を見送る治の穏やかなまなざし。
そして、
 「どうしてそんなことを?」の警察官の問いに、
静かに涙し続ける信代のいくつもの表情。

 2人の真心が、スクリーンから届けられた。
私に小さな勇気が湧いた。 



  

一部復旧した『水車アヤメ川自然公園』にて

           ≪次回更新は 7月7日(土)の予定≫ 

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