13 女性ならでは(?)
たまたま表記テーマで、伊達で出会った何人かの中高年女性を、
スケッチしようと思い立った。
そんな矢先、朝日新聞のコラム『折々のことば』<下記>に、
パッと明るい気持ちになった。
母ちゃんは、信じられないところから褒め言
葉を持ってくる。
山里亮太
学校で先生に叱られた時は「反省してる
感じ出すのうまいねぇ」と、この子はすぐ
嘘をつくと言われた時は「聞かれてすぐに
何か言えるって、しかも作って言えるって
すごいねぇ」と、お笑い芸人の母は言う。
そんな信頼の過剰に、息子はふつう、そこ
まで言ってくれなくても、と退いてしまう。
“親馬鹿”は子に、ときにクールな自己認
識をもたらす。『天才はあきらめた』から。
古い出来事だが、南海キャンディーズの山里亮太さんと、
息子の友だちが親しくしていると聞いた。
それだけだ。
だが、それ以来、テレビに彼が出ていると気になった。
あの悪びれない明るさの源泉は、お母さんにあった。
しかも、息子をして
『信じられないところから褒め言葉を持ってくる』
と言わせるお母さんなのだ。
私などには全く思いもつかない、
肯定感山盛りのお母さんの言葉。
さほどの深い意味はないが、
『女性ならでは』の凄さ、素晴らしさを感じた。
羨ましくもあり、頼もしくも思える。
さて、ここからは、伊達での日々から、
私が感じた「女性ならでは」のいくつかを記す。
①
移住して、数日後のことだ。
家内と一緒に、市内探索を兼ねて、朝の散歩をした。
初めて『だて歴史の杜公園』に着いた。
カルチャーセンター前の芝生の広場に、6月の朝日が降っていた。
それだけで、爽快感があふれた。心が弾んていた。
事前知識がないまま、開拓当時の迎賓館に足が向いた。
わずかだが、伊達の歴史を知った。
心穏やかな時間が流れた。
そして、吸い寄せられるように、
高い木々が乱立する『野草園』へ進んだ。
どんな花が咲いていたのが、思い出せない。
だが、その一帯は、様々な草花におおわれていた。
こんな素敵な朝に出会えたことが嬉しかった。
幾筋もの、木漏れ日が陽矢のようだった。
その野草の小道に、女性が1人いた。
朝の挨拶と一緒に、声をかけてみた。
「素敵な公園ですね。」
「そうかい?」
「はじめてですが、ここはいいですね。」
「野草園って言うんです。
私たちで、世話をしているの。」
そんな会話の続きで、
私は、数日前に移住してきたことを伝えた。
するとその女性が言い出したことが、
心に刻まれている。
「伊達に、知り合いはいるのかい。」
「いえ、1人もいません。」
「そりゃ、心細いね・・・。
あのね、長生大学って言って、年寄りが集まるところがあるよ。
そこに行けば、きっと沢山知り合いができるよ。」
「そうですか。それは・・」。
好意に、少し心が熱くなった。
なのに、次だ。
「行ってみるといいよ。私は、行かないけどね・・。」
「えっ、どうして?」
「今さら、勉強なんて、メンドクサイもん!」
その女性は、そう言い捨てると、
さっさと歩き出し、
最後に
「詳しいことは、市役所に訊くといいよ」。
私は、返す言葉がないまま、しばらくその後ろ姿を見送った。
②
3年前から、地域のパークゴルフの会に仲間入りしている。
4月から10月初旬まで、月2回、20数人のメンバーで、
ワイワイガヤガヤと、笑い満載のプレイを楽しんでいる。
その会も、今シーズンは後1回で終わりである。
例年通り、夏は急いで駆け抜けていった。
そして今、郊外の道端では、銀色のススキの穂が、
風に揺れている。
そろそろ製糖工場の煙突から白煙が上り、
国道は、ビート根を山積みしたダンプが、賑わうことだろう。
海に接している街だが、三方は山に囲まれている。
その山々も、そして街中の街路樹も、パークゴルフ場の樹木も
これから色を替える。
さて、丁度2年前の今頃だ。
見事な紅色が、伊達の秋をおおった日、
パークゴルフの最終回だった。
私は、いつにも増して浮かれていた。
山々が、赤色に輝いていた。
パークゴルフ場の芝生は、緑色がまだつややかだった。
そんな綺麗なシチュエーションが、私を上気させていた。
プレイの最中、何度も立ち止まり、遠くの山々を見た。
時には、近くの木を見た。
赤いグラデーション、黄色を帯びた葉、
そして全てを赤くした背景。
パークゴルフもゴルフと同じで、4人が1組でプレイする。
私は、そのメンバーに何度も言った。
「山も、この周りの木も、紅葉してますね。
綺麗ですね。」
「そうね。」
メンバーはみな、ひと言だけ私に応じ、
すぐにプレイに集中した。
それでも、私はたびたび紅葉の美しさを語りかけた。
「紅葉って、綺麗ですね。」
「あっちの山も真っ赤だ。すごい。」
「この木も、色づいている。」
こりずに、言い続けた。
すると、ラウンドの途中で、メンバーの女性が突然言った。
「綺麗だけど・・。秋だから、当たり前でしょ。」
一瞬、打ちのめされそうになった。
それでも、その後も、綺麗な山々と木立に目を止め、
プレイした。
私の幸せ感は、続いたままだったが・・・。
少し心が傷んだ
③
私の地域は、綺麗な花壇のお宅が多い。
それと同じように、家庭菜園に力を入れている方も少なくない。
我が家も時々、そんな家庭菜園の恩恵を受ける。
つい先日も、
「採れ過ぎたので、食べて・・」。
そう言って、袋いっぱいのミニトマトを頂いた。
今の時期、朝食に並ぶトマトやピーマンを見て
「今日のは、誰からもらったの?」
「昨日はAさんで、今日のはBさん」。
こんな会話が日常なのだ。
さて、先日、家内が入っている女性コーラスサークルが
近隣の町の『音楽祭』に参加した。
年に何回かの発表の機会だ。
そんな時は、できるだけ聴きに行くようにしている。
いくつものコーラスグループが舞台に上がった。
ここでも、高齢化が進んでいると、いつも思う。
でも、トビッキリのコーラス衣装に着替え、
若干の緊張感と一緒に歌う姿は、無条件に私の心を熱くする。
さて、家内の女性コーラスだが、
私の耳には、その日聴いたコーラスで一番いいできばえだった。
素敵な歌声が、メンバー全員を輝かせていた。
つやのあるパール色のロングドレスを着た一人一人が、
ひときわ、美しく見えた。
それから数日が過ぎた。
徒歩で15分ほどだが、郵便局まででかけた。
その帰り道、何を思ったか、
いつもと違う道を通ることにした。
そこには、家内のコーラス仲間のご自宅が、
向かい合わせに2軒あった。
ブラブラとその1軒のお宅の前を通った。
家庭菜園があった。
そこで、女性が1人、しゃがみ込んで雑草取りをしていた。
その姿が、まさに農家のおばさんそのまま。
かすりの野良着に、日焼け防止のためか、つば付き帽子で顔まで隠していた。
それでも、コーラスのメンバーだと、私には分かった。
挨拶をためらい、素通りした。
コーラス衣装に身を包み、
あの素敵な歌声のドレス姿とのギャップに、戸惑った。
そして、2軒先のはす向かい。
ここにも、家内のコーラスのお仲間がいた。
「エッ、ここも家庭菜園。」
生け垣の向こうに、野菜畑があった。
そして、女性が作業をしていた。
同じような格好で、前かがみになりながら、
何かを拾い集めていた。
同じ光景を、2度も見た。
インパクトが大きかった。
我が家までの道々、
ステージで歌う素敵な姿の映像が蘇った。
そして、顔をおおった野良着姿が脳裏でくり返した。
「その両者があって当然なのだ。」
そう思うことに、私はエネルギーを使っていた。
秋が深まる 稲刈りが終わった
※次回のブロク更新は、10月13日(土)の予定です。
たまたま表記テーマで、伊達で出会った何人かの中高年女性を、
スケッチしようと思い立った。
そんな矢先、朝日新聞のコラム『折々のことば』<下記>に、
パッと明るい気持ちになった。
母ちゃんは、信じられないところから褒め言
葉を持ってくる。
山里亮太
学校で先生に叱られた時は「反省してる
感じ出すのうまいねぇ」と、この子はすぐ
嘘をつくと言われた時は「聞かれてすぐに
何か言えるって、しかも作って言えるって
すごいねぇ」と、お笑い芸人の母は言う。
そんな信頼の過剰に、息子はふつう、そこ
まで言ってくれなくても、と退いてしまう。
“親馬鹿”は子に、ときにクールな自己認
識をもたらす。『天才はあきらめた』から。
古い出来事だが、南海キャンディーズの山里亮太さんと、
息子の友だちが親しくしていると聞いた。
それだけだ。
だが、それ以来、テレビに彼が出ていると気になった。
あの悪びれない明るさの源泉は、お母さんにあった。
しかも、息子をして
『信じられないところから褒め言葉を持ってくる』
と言わせるお母さんなのだ。
私などには全く思いもつかない、
肯定感山盛りのお母さんの言葉。
さほどの深い意味はないが、
『女性ならでは』の凄さ、素晴らしさを感じた。
羨ましくもあり、頼もしくも思える。
さて、ここからは、伊達での日々から、
私が感じた「女性ならでは」のいくつかを記す。
①
移住して、数日後のことだ。
家内と一緒に、市内探索を兼ねて、朝の散歩をした。
初めて『だて歴史の杜公園』に着いた。
カルチャーセンター前の芝生の広場に、6月の朝日が降っていた。
それだけで、爽快感があふれた。心が弾んていた。
事前知識がないまま、開拓当時の迎賓館に足が向いた。
わずかだが、伊達の歴史を知った。
心穏やかな時間が流れた。
そして、吸い寄せられるように、
高い木々が乱立する『野草園』へ進んだ。
どんな花が咲いていたのが、思い出せない。
だが、その一帯は、様々な草花におおわれていた。
こんな素敵な朝に出会えたことが嬉しかった。
幾筋もの、木漏れ日が陽矢のようだった。
その野草の小道に、女性が1人いた。
朝の挨拶と一緒に、声をかけてみた。
「素敵な公園ですね。」
「そうかい?」
「はじめてですが、ここはいいですね。」
「野草園って言うんです。
私たちで、世話をしているの。」
そんな会話の続きで、
私は、数日前に移住してきたことを伝えた。
するとその女性が言い出したことが、
心に刻まれている。
「伊達に、知り合いはいるのかい。」
「いえ、1人もいません。」
「そりゃ、心細いね・・・。
あのね、長生大学って言って、年寄りが集まるところがあるよ。
そこに行けば、きっと沢山知り合いができるよ。」
「そうですか。それは・・」。
好意に、少し心が熱くなった。
なのに、次だ。
「行ってみるといいよ。私は、行かないけどね・・。」
「えっ、どうして?」
「今さら、勉強なんて、メンドクサイもん!」
その女性は、そう言い捨てると、
さっさと歩き出し、
最後に
「詳しいことは、市役所に訊くといいよ」。
私は、返す言葉がないまま、しばらくその後ろ姿を見送った。
②
3年前から、地域のパークゴルフの会に仲間入りしている。
4月から10月初旬まで、月2回、20数人のメンバーで、
ワイワイガヤガヤと、笑い満載のプレイを楽しんでいる。
その会も、今シーズンは後1回で終わりである。
例年通り、夏は急いで駆け抜けていった。
そして今、郊外の道端では、銀色のススキの穂が、
風に揺れている。
そろそろ製糖工場の煙突から白煙が上り、
国道は、ビート根を山積みしたダンプが、賑わうことだろう。
海に接している街だが、三方は山に囲まれている。
その山々も、そして街中の街路樹も、パークゴルフ場の樹木も
これから色を替える。
さて、丁度2年前の今頃だ。
見事な紅色が、伊達の秋をおおった日、
パークゴルフの最終回だった。
私は、いつにも増して浮かれていた。
山々が、赤色に輝いていた。
パークゴルフ場の芝生は、緑色がまだつややかだった。
そんな綺麗なシチュエーションが、私を上気させていた。
プレイの最中、何度も立ち止まり、遠くの山々を見た。
時には、近くの木を見た。
赤いグラデーション、黄色を帯びた葉、
そして全てを赤くした背景。
パークゴルフもゴルフと同じで、4人が1組でプレイする。
私は、そのメンバーに何度も言った。
「山も、この周りの木も、紅葉してますね。
綺麗ですね。」
「そうね。」
メンバーはみな、ひと言だけ私に応じ、
すぐにプレイに集中した。
それでも、私はたびたび紅葉の美しさを語りかけた。
「紅葉って、綺麗ですね。」
「あっちの山も真っ赤だ。すごい。」
「この木も、色づいている。」
こりずに、言い続けた。
すると、ラウンドの途中で、メンバーの女性が突然言った。
「綺麗だけど・・。秋だから、当たり前でしょ。」
一瞬、打ちのめされそうになった。
それでも、その後も、綺麗な山々と木立に目を止め、
プレイした。
私の幸せ感は、続いたままだったが・・・。
少し心が傷んだ
③
私の地域は、綺麗な花壇のお宅が多い。
それと同じように、家庭菜園に力を入れている方も少なくない。
我が家も時々、そんな家庭菜園の恩恵を受ける。
つい先日も、
「採れ過ぎたので、食べて・・」。
そう言って、袋いっぱいのミニトマトを頂いた。
今の時期、朝食に並ぶトマトやピーマンを見て
「今日のは、誰からもらったの?」
「昨日はAさんで、今日のはBさん」。
こんな会話が日常なのだ。
さて、先日、家内が入っている女性コーラスサークルが
近隣の町の『音楽祭』に参加した。
年に何回かの発表の機会だ。
そんな時は、できるだけ聴きに行くようにしている。
いくつものコーラスグループが舞台に上がった。
ここでも、高齢化が進んでいると、いつも思う。
でも、トビッキリのコーラス衣装に着替え、
若干の緊張感と一緒に歌う姿は、無条件に私の心を熱くする。
さて、家内の女性コーラスだが、
私の耳には、その日聴いたコーラスで一番いいできばえだった。
素敵な歌声が、メンバー全員を輝かせていた。
つやのあるパール色のロングドレスを着た一人一人が、
ひときわ、美しく見えた。
それから数日が過ぎた。
徒歩で15分ほどだが、郵便局まででかけた。
その帰り道、何を思ったか、
いつもと違う道を通ることにした。
そこには、家内のコーラス仲間のご自宅が、
向かい合わせに2軒あった。
ブラブラとその1軒のお宅の前を通った。
家庭菜園があった。
そこで、女性が1人、しゃがみ込んで雑草取りをしていた。
その姿が、まさに農家のおばさんそのまま。
かすりの野良着に、日焼け防止のためか、つば付き帽子で顔まで隠していた。
それでも、コーラスのメンバーだと、私には分かった。
挨拶をためらい、素通りした。
コーラス衣装に身を包み、
あの素敵な歌声のドレス姿とのギャップに、戸惑った。
そして、2軒先のはす向かい。
ここにも、家内のコーラスのお仲間がいた。
「エッ、ここも家庭菜園。」
生け垣の向こうに、野菜畑があった。
そして、女性が作業をしていた。
同じような格好で、前かがみになりながら、
何かを拾い集めていた。
同じ光景を、2度も見た。
インパクトが大きかった。
我が家までの道々、
ステージで歌う素敵な姿の映像が蘇った。
そして、顔をおおった野良着姿が脳裏でくり返した。
「その両者があって当然なのだ。」
そう思うことに、私はエネルギーを使っていた。
秋が深まる 稲刈りが終わった
※次回のブロク更新は、10月13日(土)の予定です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます