5月の連休明けと同時に、私は手術台に載った。
全身麻酔による2時間の右肘切開による神経移行は、
その手術が順調なものだったのかどうかなど、
その間眠っていた私には知るよしもなかった。
円熟期を迎えていると思われる整形外科医は、
無事手術は終わったとだけ告げた。
「神経の手術だから」と、何人もの人が言ってくれたが、
術後は薬指と小指それに手のひら、手首の麻痺と痺れに加え、
それまでなかった痛みが加わり、
半年近くが経過した今も、痛み止めは欠かさず服用している。
さて、温泉の話である。
各地の温泉には、必ず適応症と言う効能書のようなものがある。
私の知る限り、どこでもそこに『神経痛』の文字がある。
本当に額面通りの効き目があるかどうかは、
人それぞれだと言うが、
来る日も来る日も右手の痛みとともに過ごす日々は、
その温泉の効能を、心から信じさせた。
まさに『わらをもつかむ』心境なのだ。
術後3週間、抜糸が済んでから、日帰り温泉に行き始めた。
幸い、伊達の周辺には車で小1時間圏内に
数多くの日帰り温泉がある。
ほとんどが地元の方の利用であるが、
中には大浴場に露天風呂、サウナまで備えたところ、
そして温泉通に好まれる『源泉掛け流し』のところもある。
6月のある日、朝のジョギングを終えてから、
家内に温泉行きを誘った。
毎日、「痛い、痛い。」と憂鬱な顔をし、
左手で右手を擦ってばかりいる私を見て、
少しぐらい痛みが和らぐならと、
「行ってもいいよ。」と、応じてくれた。
北海道の6月、
それは1年で一番綺麗な季節だと私は思っている。
山々は新鮮な緑色に包まれ、色とりどりの花が咲き乱れる。
中でも、アヤメの紫色が好きで、
その色合いとともにすっくとした立ち姿に、
つい見とれて、若かりし頃の初々しさが突然蘇ったりした。
しかし、今年の6月は、心が沈み、
その春景色の美しささえ受け入れられずにいた。
それでも、
「温泉の温もりの中に右腕を存分に満たせば、
痛みからの解放と一日でも早い完治が訪れる」
と、一途に信じ、ネガティブになりがちな自分と戦っていた。
その日は、近隣の町が開設した海辺の温泉に行った。
大きな浴場から、噴火湾が一望できた。
露天風呂からは、快晴の青空の下、
緑が折り重なる山もキラキラ輝く海原も見え、開放感がいっぱいだった。
それでも私は、そんな景観にさほど目もくれず、
右手をマッサージしながらぬるめの湯につかり、
ただただ痛みと向きあっていた。
4,50分も入浴していただろうか、
風呂上がりはいつも、畳敷きの休憩室に行った。
そこは、幾つものの長テーブルと座布団が用意してあり、
常連さんはその座布団を2,3枚並べ、そこで昼寝をした。
私は、明るい日射しのテーブルに席をとり、家内の湯上がりを待った。
その温泉では、昼食は同じ施設内にある食堂で
醤油ラーメンを食べることにしていた。
丁度そんな時間だった。
私のはす向かいのテーブルに、
湯上がりの初老の男性が座布団一枚をぶらさげ、席を取った。
彼は、持参したエコバックのような袋から
アルミホイルにくるんだ大きなおにぎりを1つ取り出した。
そして、近くの自販機に行き、
昔ながらのビンに入った牛乳を1本買い戻ってきた。
座布団に座った彼は正座だった。
テーブルにはアルミホイルのおにぎり一個と牛乳1本。
軽く頭を下げ、キャップをとった牛乳とアルミホイルからのぞいた真っ黒なのりのおにぎり。
彼はそれを両手に持ち、交互にゆっくりと口に運び、
時々小首を窓辺に向け、何もない砂浜と揺らめく波間に目をやった。
その表情は、温泉から上がってのおにぎりと牛乳、
こんな満足が、外にあるだろうかと、
誰かに問いかけているようで、
おにぎりを運ぶ口元には、微笑みがこぼれて見えた。
きっと毎日は、外での仕事なのだろうと思わせるような日焼けした頬だった。
私より年上と感じさせるが、がっちりとした骨格をしていた。
連れ合いも友人もいない一人きりの昼食だった。
きっと自分でむすんだおにぎりだろうと感じた。
私は、日帰り温泉の休憩室で出会った、
おにぎりと牛乳の昼食に、いつまでも釘付けとなっていた。
帰りの道々、痛む手でハンドルを握りながら、
何度も何度も、あの初老のまぶしい表情が脳裏に浮かんだ。
心の持ちようの大切さを、痛いほど教えられた。
私もあんなおにぎりが食べたいと思った。
幸せはすぐそこにもあるのに、
それを引き寄せようとしない自分を何度も何度も叱った。
右手の痛みと不自由、そんなのは、
それよりも、だよ。
『コルチカム』が咲き始めた
全身麻酔による2時間の右肘切開による神経移行は、
その手術が順調なものだったのかどうかなど、
その間眠っていた私には知るよしもなかった。
円熟期を迎えていると思われる整形外科医は、
無事手術は終わったとだけ告げた。
「神経の手術だから」と、何人もの人が言ってくれたが、
術後は薬指と小指それに手のひら、手首の麻痺と痺れに加え、
それまでなかった痛みが加わり、
半年近くが経過した今も、痛み止めは欠かさず服用している。
さて、温泉の話である。
各地の温泉には、必ず適応症と言う効能書のようなものがある。
私の知る限り、どこでもそこに『神経痛』の文字がある。
本当に額面通りの効き目があるかどうかは、
人それぞれだと言うが、
来る日も来る日も右手の痛みとともに過ごす日々は、
その温泉の効能を、心から信じさせた。
まさに『わらをもつかむ』心境なのだ。
術後3週間、抜糸が済んでから、日帰り温泉に行き始めた。
幸い、伊達の周辺には車で小1時間圏内に
数多くの日帰り温泉がある。
ほとんどが地元の方の利用であるが、
中には大浴場に露天風呂、サウナまで備えたところ、
そして温泉通に好まれる『源泉掛け流し』のところもある。
6月のある日、朝のジョギングを終えてから、
家内に温泉行きを誘った。
毎日、「痛い、痛い。」と憂鬱な顔をし、
左手で右手を擦ってばかりいる私を見て、
少しぐらい痛みが和らぐならと、
「行ってもいいよ。」と、応じてくれた。
北海道の6月、
それは1年で一番綺麗な季節だと私は思っている。
山々は新鮮な緑色に包まれ、色とりどりの花が咲き乱れる。
中でも、アヤメの紫色が好きで、
その色合いとともにすっくとした立ち姿に、
つい見とれて、若かりし頃の初々しさが突然蘇ったりした。
しかし、今年の6月は、心が沈み、
その春景色の美しささえ受け入れられずにいた。
それでも、
「温泉の温もりの中に右腕を存分に満たせば、
痛みからの解放と一日でも早い完治が訪れる」
と、一途に信じ、ネガティブになりがちな自分と戦っていた。
その日は、近隣の町が開設した海辺の温泉に行った。
大きな浴場から、噴火湾が一望できた。
露天風呂からは、快晴の青空の下、
緑が折り重なる山もキラキラ輝く海原も見え、開放感がいっぱいだった。
それでも私は、そんな景観にさほど目もくれず、
右手をマッサージしながらぬるめの湯につかり、
ただただ痛みと向きあっていた。
4,50分も入浴していただろうか、
風呂上がりはいつも、畳敷きの休憩室に行った。
そこは、幾つものの長テーブルと座布団が用意してあり、
常連さんはその座布団を2,3枚並べ、そこで昼寝をした。
私は、明るい日射しのテーブルに席をとり、家内の湯上がりを待った。
その温泉では、昼食は同じ施設内にある食堂で
醤油ラーメンを食べることにしていた。
丁度そんな時間だった。
私のはす向かいのテーブルに、
湯上がりの初老の男性が座布団一枚をぶらさげ、席を取った。
彼は、持参したエコバックのような袋から
アルミホイルにくるんだ大きなおにぎりを1つ取り出した。
そして、近くの自販機に行き、
昔ながらのビンに入った牛乳を1本買い戻ってきた。
座布団に座った彼は正座だった。
テーブルにはアルミホイルのおにぎり一個と牛乳1本。
軽く頭を下げ、キャップをとった牛乳とアルミホイルからのぞいた真っ黒なのりのおにぎり。
彼はそれを両手に持ち、交互にゆっくりと口に運び、
時々小首を窓辺に向け、何もない砂浜と揺らめく波間に目をやった。
その表情は、温泉から上がってのおにぎりと牛乳、
こんな満足が、外にあるだろうかと、
誰かに問いかけているようで、
おにぎりを運ぶ口元には、微笑みがこぼれて見えた。
きっと毎日は、外での仕事なのだろうと思わせるような日焼けした頬だった。
私より年上と感じさせるが、がっちりとした骨格をしていた。
連れ合いも友人もいない一人きりの昼食だった。
きっと自分でむすんだおにぎりだろうと感じた。
私は、日帰り温泉の休憩室で出会った、
おにぎりと牛乳の昼食に、いつまでも釘付けとなっていた。
帰りの道々、痛む手でハンドルを握りながら、
何度も何度も、あの初老のまぶしい表情が脳裏に浮かんだ。
心の持ちようの大切さを、痛いほど教えられた。
私もあんなおにぎりが食べたいと思った。
幸せはすぐそこにもあるのに、
それを引き寄せようとしない自分を何度も何度も叱った。
右手の痛みと不自由、そんなのは、
それよりも、だよ。
『コルチカム』が咲き始めた
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