毎朝、朝日新聞一面の
『天声人語』と『折々のことば』に目を通す。
そこから私の1日が始まると言ってもいい。
ちょっと気になった内容は、
切り取って、読み返したりもする。
時折、味わい深い一文に触れ、心が動く。
最初に、今年9月30日の『天声人語』を記す。
彼岸花の燃え立つ秋である。
作家新美南吉の故郷、愛知県半
田市では矢勝川の両岸を300
万本が紅に染め上げる。代表作
『ごんぎつね』で南吉が「赤い
布のよう」と書いた風景を再現
しようと住民らが植えてきた▼小学校の
教室で「ごん」を読んだ日の衝撃は忘れ
られない。火縄銃で撃った後に、ごんの
やさしさに気づく兵十。これほど切ない
物語を書いたのはどんな人物なのだろう
▼「文学に満々の自信を持ちながら、身
体が弱く生活力もないという劣等感にさ
いなまれました」と半田市にある新美南
吉記念館の遠山光嗣(45)学芸員。東京外
国語学校で軍事教練の単位を落として教
員免許を取り損ねる。出版社で働く夢も
かなわない。卒業の1936(昭和11)
年は深刻な不況だった。▼病んで故郷に帰
るが、断られ続けた末に入った飼料会社
で、不本意にもヒヨコの飼育を命じられ
る。「また今日も己を探す」「はみ出し
た人間である。自分は」と日記で嘆いた
▼恋も実らない。相思相愛の女性に縁談
が持ち込まれ、泣いて身を引いた。「ぼ
くはやぶれかぶれの無茶苦茶だ やぼっ
たくれの昨日と今日だ 雨だ雨だ」と親
友に手紙を送った▼『牛をつないだ椿の
木』『おじいさんのランプ』『花のき村
と盗人たち』。童話のいくつかを読み直
した。この世は苦難の連続だが、誠実に
正直に生きよう。報われなくても孤独に
屈してはいけない・・。そんな信念が
作品を貫く。苦難に満ちた29年間の生
涯を思い、彼岸花の咲く堤を歩いた。
私も、昨年3月、新美南吉の故郷・愛知県半田市を、
ようやく訪ねることができた。
その様子は、『南吉ワールドPART4~原風景を訪ねて』として、
このブログに書いた。
その時、次に機会があったら、
彼岸花300万本の「赤い布」を見たいと思った。
さて、『天声人語』の筆者は、
「この世は苦難の連続だが、誠実に正直に生きよう。
報われなくても孤独に屈してはいけない・・。
そんな信念が作品を貫く」
と、評した。
この作品観に私は、異論などない。
だからこそ、南吉の書いた物語が好きなのだと言いたい。
それにしても南吉の物語は、いつだって胸が詰まる。
わりにあわないと思いつつ、
それでも兵十への償いを続けるごん。
なのに、火縄銃で撃たれてしまう『ごんぎつね』。
まったく「誠実に正直に・・報われなくても・・」なのだ。
だから、「この物語は、こんな終わり方でいいのだろうか。」
「それしかなかったの?」「別の思いもあるのでは・・。」
南吉作品は、いつもそんな思いを、私の読後に残す。
晴れやかな気分になどなれない。
なのに、私の芯まで届く何かがある。
それは何か。
確かに、いつの時代も苦難の連続だろう。
その中で、みんな、言い尽くせないほどの、
やるせなさや理不尽さ、
時には至らなさと同居しながら生きている。
だがしかし、人は、そんな思いを抱えつつも、
自分と向き合い、期待に胸膨らませ、
しばしば失望しながらも、明日を生きるのである。
誰も、屈してなんかいない。
南吉が書き残した物語には、
そんな説得力があるように思えてならない。
辛く、切ない読後に、いつも胸詰まらせながらも、
次には、「頑張らなくては」と思う私がいる。
久しぶりに、『天声人語』が、
南吉を私のそばに呼び寄せてくれた。
続いて、鷲田清一氏の『折々のことば』である。
1つのことばを取り上げ、
彼なりの解説を記した小さなコラムである。
よく似ていると思った3つを記す。
①
人には、自分がだれかから見られているとい
うことを意識することによってはじめて、自
分の行動をなしうるというところがある。
浜田寿美男・山口俊郎
幼児は、親がいつも決まった場所から自
分のことを見ているのを確かめてようや
く、安心して遊びに没頭することができ
る。誰かが背後でじっと見ていてくれるか
ら、逆にひとり、目の前のことに全力で取
り組めるというのは、もちろん大人たちに
も等しく言えること。発達心理学者の共著
「子どもの生活世界のはじまり」から。
2016.5.9
②
がんばる人にご褒美
「とと姉ちゃん」の給仕さん
男性上司からは蔑ろにされ、先輩の女子
社員からは邪魔者扱いされ、心が挫けそう
になっているNHK連続テレビ小説の主人
公。大量の書類整理や清書を命じられて残
業していると、老年の給仕さんにキャラメ
ルを1個、そっと手渡される。一人でもい
い、ちゃんと見ている人がいることが人を
支える。見習ってポケットにいつも飴を忍
ばせておこう。5月30日放送分から。
2016.6.14
③
美味しいもの、美しいもの、面白いものに出会
った時、これを知ったら絶対に喜ぶなという人
が近くにいることを、ボクは幸せと呼びたい
燃え殻
食事は独りでとるより誰かとお喋りしな
がらするほうが旨い。幸せは、自分が満ち
足りるというより、誰かと悦びを共有する
ところにある。そんな誰かが自分には居な
いと感じる時、寂しさが内にしんしん沁み
わたる。隣の人が歓ばない独り占めの幸福
なんてある? 会社員作家の小説『ボクた
ちはみんな大人になれなかった』から。
2017.9.21
、哲学者・鷲田先生の『折々のことば』が、
誰かの存在の偉大さを再認識させてくれた。
①『誰かが背後でじっと見ていてくれるから、
逆にひとり、目の前のことに全力で取り組める』。
②『一人でもいい、
ちゃんと見ている人がいることが人を支える』。
③『幸せは、自分が満ち足りるというより、
誰かと悦びを共有するところにある』。
『誰かという人』が、
持っている力の大きさ、素晴らしさ。
私だけでなく、人はみんな、
それを素直に受け入れることができるだろう。
『これを知ったら絶対に喜ぶという人が近くにいること』。
確かに、それが幸せの形だと思う。
『そんな誰かが自分には居ないと感じる時、
寂しさだけが内にしんしん沁みわたる』。
想像しただけで、心が冷たくなっていく。
寒さを覚える。
幸い、今日まで『誰かという人』に恵まれてきた。
私を見ていてくれる人、ちゃんと見ている人、
悦びを共有する人がいた。
そんな人たちが、私をここまで導いてくれたと思う。
改めて感謝を伝えたい。
とうとう唐松林も 橙色に
『天声人語』と『折々のことば』に目を通す。
そこから私の1日が始まると言ってもいい。
ちょっと気になった内容は、
切り取って、読み返したりもする。
時折、味わい深い一文に触れ、心が動く。
最初に、今年9月30日の『天声人語』を記す。
彼岸花の燃え立つ秋である。
作家新美南吉の故郷、愛知県半
田市では矢勝川の両岸を300
万本が紅に染め上げる。代表作
『ごんぎつね』で南吉が「赤い
布のよう」と書いた風景を再現
しようと住民らが植えてきた▼小学校の
教室で「ごん」を読んだ日の衝撃は忘れ
られない。火縄銃で撃った後に、ごんの
やさしさに気づく兵十。これほど切ない
物語を書いたのはどんな人物なのだろう
▼「文学に満々の自信を持ちながら、身
体が弱く生活力もないという劣等感にさ
いなまれました」と半田市にある新美南
吉記念館の遠山光嗣(45)学芸員。東京外
国語学校で軍事教練の単位を落として教
員免許を取り損ねる。出版社で働く夢も
かなわない。卒業の1936(昭和11)
年は深刻な不況だった。▼病んで故郷に帰
るが、断られ続けた末に入った飼料会社
で、不本意にもヒヨコの飼育を命じられ
る。「また今日も己を探す」「はみ出し
た人間である。自分は」と日記で嘆いた
▼恋も実らない。相思相愛の女性に縁談
が持ち込まれ、泣いて身を引いた。「ぼ
くはやぶれかぶれの無茶苦茶だ やぼっ
たくれの昨日と今日だ 雨だ雨だ」と親
友に手紙を送った▼『牛をつないだ椿の
木』『おじいさんのランプ』『花のき村
と盗人たち』。童話のいくつかを読み直
した。この世は苦難の連続だが、誠実に
正直に生きよう。報われなくても孤独に
屈してはいけない・・。そんな信念が
作品を貫く。苦難に満ちた29年間の生
涯を思い、彼岸花の咲く堤を歩いた。
私も、昨年3月、新美南吉の故郷・愛知県半田市を、
ようやく訪ねることができた。
その様子は、『南吉ワールドPART4~原風景を訪ねて』として、
このブログに書いた。
その時、次に機会があったら、
彼岸花300万本の「赤い布」を見たいと思った。
さて、『天声人語』の筆者は、
「この世は苦難の連続だが、誠実に正直に生きよう。
報われなくても孤独に屈してはいけない・・。
そんな信念が作品を貫く」
と、評した。
この作品観に私は、異論などない。
だからこそ、南吉の書いた物語が好きなのだと言いたい。
それにしても南吉の物語は、いつだって胸が詰まる。
わりにあわないと思いつつ、
それでも兵十への償いを続けるごん。
なのに、火縄銃で撃たれてしまう『ごんぎつね』。
まったく「誠実に正直に・・報われなくても・・」なのだ。
だから、「この物語は、こんな終わり方でいいのだろうか。」
「それしかなかったの?」「別の思いもあるのでは・・。」
南吉作品は、いつもそんな思いを、私の読後に残す。
晴れやかな気分になどなれない。
なのに、私の芯まで届く何かがある。
それは何か。
確かに、いつの時代も苦難の連続だろう。
その中で、みんな、言い尽くせないほどの、
やるせなさや理不尽さ、
時には至らなさと同居しながら生きている。
だがしかし、人は、そんな思いを抱えつつも、
自分と向き合い、期待に胸膨らませ、
しばしば失望しながらも、明日を生きるのである。
誰も、屈してなんかいない。
南吉が書き残した物語には、
そんな説得力があるように思えてならない。
辛く、切ない読後に、いつも胸詰まらせながらも、
次には、「頑張らなくては」と思う私がいる。
久しぶりに、『天声人語』が、
南吉を私のそばに呼び寄せてくれた。
続いて、鷲田清一氏の『折々のことば』である。
1つのことばを取り上げ、
彼なりの解説を記した小さなコラムである。
よく似ていると思った3つを記す。
①
人には、自分がだれかから見られているとい
うことを意識することによってはじめて、自
分の行動をなしうるというところがある。
浜田寿美男・山口俊郎
幼児は、親がいつも決まった場所から自
分のことを見ているのを確かめてようや
く、安心して遊びに没頭することができ
る。誰かが背後でじっと見ていてくれるか
ら、逆にひとり、目の前のことに全力で取
り組めるというのは、もちろん大人たちに
も等しく言えること。発達心理学者の共著
「子どもの生活世界のはじまり」から。
2016.5.9
②
がんばる人にご褒美
「とと姉ちゃん」の給仕さん
男性上司からは蔑ろにされ、先輩の女子
社員からは邪魔者扱いされ、心が挫けそう
になっているNHK連続テレビ小説の主人
公。大量の書類整理や清書を命じられて残
業していると、老年の給仕さんにキャラメ
ルを1個、そっと手渡される。一人でもい
い、ちゃんと見ている人がいることが人を
支える。見習ってポケットにいつも飴を忍
ばせておこう。5月30日放送分から。
2016.6.14
③
美味しいもの、美しいもの、面白いものに出会
った時、これを知ったら絶対に喜ぶなという人
が近くにいることを、ボクは幸せと呼びたい
燃え殻
食事は独りでとるより誰かとお喋りしな
がらするほうが旨い。幸せは、自分が満ち
足りるというより、誰かと悦びを共有する
ところにある。そんな誰かが自分には居な
いと感じる時、寂しさが内にしんしん沁み
わたる。隣の人が歓ばない独り占めの幸福
なんてある? 会社員作家の小説『ボクた
ちはみんな大人になれなかった』から。
2017.9.21
、哲学者・鷲田先生の『折々のことば』が、
誰かの存在の偉大さを再認識させてくれた。
①『誰かが背後でじっと見ていてくれるから、
逆にひとり、目の前のことに全力で取り組める』。
②『一人でもいい、
ちゃんと見ている人がいることが人を支える』。
③『幸せは、自分が満ち足りるというより、
誰かと悦びを共有するところにある』。
『誰かという人』が、
持っている力の大きさ、素晴らしさ。
私だけでなく、人はみんな、
それを素直に受け入れることができるだろう。
『これを知ったら絶対に喜ぶという人が近くにいること』。
確かに、それが幸せの形だと思う。
『そんな誰かが自分には居ないと感じる時、
寂しさだけが内にしんしん沁みわたる』。
想像しただけで、心が冷たくなっていく。
寒さを覚える。
幸い、今日まで『誰かという人』に恵まれてきた。
私を見ていてくれる人、ちゃんと見ている人、
悦びを共有する人がいた。
そんな人たちが、私をここまで導いてくれたと思う。
改めて感謝を伝えたい。
とうとう唐松林も 橙色に
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