ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

新聞コラムに 共鳴して

2017-11-10 22:25:38 | 思い
 毎朝、朝日新聞一面の
『天声人語』と『折々のことば』に目を通す。
 そこから私の1日が始まると言ってもいい。

 ちょっと気になった内容は、
切り取って、読み返したりもする。
 時折、味わい深い一文に触れ、心が動く。

 最初に、今年9月30日の『天声人語』を記す。

   彼岸花の燃え立つ秋である。
  作家新美南吉の故郷、愛知県半
  田市では矢勝川の両岸を300
  万本が紅に染め上げる。代表作
  『ごんぎつね』で南吉が「赤い
  布のよう」と書いた風景を再現
  しようと住民らが植えてきた▼小学校の
  教室で「ごん」を読んだ日の衝撃は忘れ
  られない。火縄銃で撃った後に、ごんの
  やさしさに気づく兵十。これほど切ない
  物語を書いたのはどんな人物なのだろう
  ▼「文学に満々の自信を持ちながら、身
  体が弱く生活力もないという劣等感にさ
  いなまれました」と半田市にある新美南
  吉記念館の遠山光嗣(45)学芸員。東京外
  国語学校で軍事教練の単位を落として教
  員免許を取り損ねる。出版社で働く夢も
  かなわない。卒業の1936(昭和11)
  年は深刻な不況だった。▼病んで故郷に帰
  るが、断られ続けた末に入った飼料会社
  で、不本意にもヒヨコの飼育を命じられ
  る。「また今日も己を探す」「はみ出し
  た人間である。自分は」と日記で嘆いた
  ▼恋も実らない。相思相愛の女性に縁談
  が持ち込まれ、泣いて身を引いた。「ぼ
  くはやぶれかぶれの無茶苦茶だ やぼっ
  たくれの昨日と今日だ 雨だ雨だ」と親
  友に手紙を送った▼『牛をつないだ椿の
  木』『おじいさんのランプ』『花のき村
  と盗人たち』。童話のいくつかを読み直
  した。この世は苦難の連続だが、誠実に
  正直に生きよう。報われなくても孤独に
  屈してはいけない・・。そんな信念が
  作品を貫く。苦難に満ちた29年間の生
  涯を思い、彼岸花の咲く堤を歩いた。

 私も、昨年3月、新美南吉の故郷・愛知県半田市を、
ようやく訪ねることができた。

 その様子は、『南吉ワールドPART4~原風景を訪ねて』として、
このブログに書いた。
 その時、次に機会があったら、
彼岸花300万本の「赤い布」を見たいと思った。

 さて、『天声人語』の筆者は、
「この世は苦難の連続だが、誠実に正直に生きよう。
報われなくても孤独に屈してはいけない・・。
そんな信念が作品を貫く」
と、評した。

 この作品観に私は、異論などない。
だからこそ、南吉の書いた物語が好きなのだと言いたい。
 それにしても南吉の物語は、いつだって胸が詰まる。

 わりにあわないと思いつつ、
それでも兵十への償いを続けるごん。
 なのに、火縄銃で撃たれてしまう『ごんぎつね』。
まったく「誠実に正直に・・報われなくても・・」なのだ。

 だから、「この物語は、こんな終わり方でいいのだろうか。」
「それしかなかったの?」「別の思いもあるのでは・・。」
 南吉作品は、いつもそんな思いを、私の読後に残す。

 晴れやかな気分になどなれない。
なのに、私の芯まで届く何かがある。
 それは何か。

 確かに、いつの時代も苦難の連続だろう。
その中で、みんな、言い尽くせないほどの、
やるせなさや理不尽さ、
時には至らなさと同居しながら生きている。

 だがしかし、人は、そんな思いを抱えつつも、
自分と向き合い、期待に胸膨らませ、
しばしば失望しながらも、明日を生きるのである。
 誰も、屈してなんかいない。

 南吉が書き残した物語には、
そんな説得力があるように思えてならない。
 辛く、切ない読後に、いつも胸詰まらせながらも、
次には、「頑張らなくては」と思う私がいる。

 久しぶりに、『天声人語』が、
南吉を私のそばに呼び寄せてくれた。
 

 続いて、鷲田清一氏の『折々のことば』である。
1つのことばを取り上げ、
彼なりの解説を記した小さなコラムである。
 よく似ていると思った3つを記す。

 ①
  人には、自分がだれかから見られているとい
  うことを意識することによってはじめて、自
  分の行動をなしうるというところがある。
            浜田寿美男・山口俊郎

   幼児は、親がいつも決まった場所から自
  分のことを見ているのを確かめてようや
  く、安心して遊びに没頭することができ
  る。誰かが背後でじっと見ていてくれるか
  ら、逆にひとり、目の前のことに全力で取
  り組めるというのは、もちろん大人たちに
  も等しく言えること。発達心理学者の共著
  「子どもの生活世界のはじまり」から。
        2016.5.9

 ②
  がんばる人にご褒美
         「とと姉ちゃん」の給仕さん
   
   男性上司からは蔑ろにされ、先輩の女子
  社員からは邪魔者扱いされ、心が挫けそう
  になっているNHK連続テレビ小説の主人
  公。大量の書類整理や清書を命じられて残
  業していると、老年の給仕さんにキャラメ
  ルを1個、そっと手渡される。一人でもい
  い、ちゃんと見ている人がいることが人を
  支える。見習ってポケットにいつも飴を忍
  ばせておこう。5月30日放送分から。
               2016.6.14

 ③
  美味しいもの、美しいもの、面白いものに出会
  った時、これを知ったら絶対に喜ぶなという人
  が近くにいることを、ボクは幸せと呼びたい
                    燃え殻

   食事は独りでとるより誰かとお喋りしな
  がらするほうが旨い。幸せは、自分が満ち
  足りるというより、誰かと悦びを共有する
  ところにある。そんな誰かが自分には居な
  いと感じる時、寂しさが内にしんしん沁み
  わたる。隣の人が歓ばない独り占めの幸福
  なんてある? 会社員作家の小説『ボクた
  ちはみんな大人になれなかった』から。
               2017.9.21


、哲学者・鷲田先生の『折々のことば』が、
誰かの存在の偉大さを再認識させてくれた。

 ①『誰かが背後でじっと見ていてくれるから、
逆にひとり、目の前のことに全力で取り組める』。

 ②『一人でもいい、
ちゃんと見ている人がいることが人を支える』。

 ③『幸せは、自分が満ち足りるというより、
誰かと悦びを共有するところにある』。

 『誰かという人』が、
持っている力の大きさ、素晴らしさ。
 私だけでなく、人はみんな、
それを素直に受け入れることができるだろう。

 『これを知ったら絶対に喜ぶという人が近くにいること』。
確かに、それが幸せの形だと思う。

 『そんな誰かが自分には居ないと感じる時、
寂しさだけが内にしんしん沁みわたる』。
 想像しただけで、心が冷たくなっていく。
寒さを覚える。

 幸い、今日まで『誰かという人』に恵まれてきた。
私を見ていてくれる人、ちゃんと見ている人、
悦びを共有する人がいた。

 そんな人たちが、私をここまで導いてくれたと思う。
改めて感謝を伝えたい。





  とうとう唐松林も 橙色に  

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