誰にでもあることだ。
食べたことのない料理を初めて口にする。
その体験のいくつかが、鮮明に残っている。
その中から、「喰わず嫌い『初めて』編」として、2つ記す。
① 餃 子
餃子の美味しさは、
東京での暮らしが始まってから知った。
何と言っても、総武線亀戸駅近くの、
餃子専門店『亀戸餃子』が一番である。
文字通り、専門店だ。
細長いコの字型をしたカウンターに腰を下ろすと、
注文などしなくても、5コの餃子がのった小皿が、
すっと置かれる。
それを2こ、3こと口に運ぶと、
そのペースを見計らって、次の5コのり皿がくる。
それのくり返しが、「もういいです。」まで続く。
楽しくお喋りをしながら食べる人など、まずいない。
どの人も、店の餃子を醤油だれにつけ、
モクモクと食べる。
水、ビール、中国酒など、餃子の友はそれぞれだが、
待ち時間が10分、20分でも、
食べたくなる味である。
パリッと焼かれた皮もいいが、
私は野菜中心の餡に惹かれる。
今なら、何皿いけるのだろう。
きっと、最低5皿は大丈夫だと思う。
ちょっと想像しただけで、今すぐにでも食べたくなる。
さて、初めて餃子を食べた時のことである。
それは、『亀戸餃子』ではない。
東京の下町で教職の第一歩を踏み出して、
間もなくのことだ。
その年に、同じ学校で新任だった3人で、
夕食を共にすることにした。
暖簾をくぐったのは、初めて入った中華料理店だった。
カウンター越しの厨房には、
店主とそれによく似た顔の息子の2人がいた。
テーブル席に着いてすぐ、メニューを見た。
『炒飯』は何とか読めた。しかし、『餃子』が読めなかった。
それまで、私は餃子を知らなかった。
少しテレながら、同期の先生に読み方を訊いた。
私が、知らないメニューだと伝えると、
「美味しいから食べよう。」と勧めてくれた。
そして、3人とも、炒飯と餃子を注文した。
運ばれた餃子に、私は物珍しい表情になった。
ここは訊くしかないと、食べ方を尋ねた。
一緒に運ばれてきた小皿に、
少しのラー油と適量の酢、醤油を入れて、たれを作る。
餃子を箸でつまみ、そのたれに少量つけて食べる。
同期は、説明しながらたれをつくり、
餃子を1口食べてみせてくれた。
そして、「美味しいよ。やってみな。」
満足そうな顔をむけた。
初めて餃子のたれを作った。
今も、餃子のたれを作るとその時の光景が蘇る。
どんな味なのか、想像できなかった。
ワクワク感より、嫌いな味ならどうしようか、
そんな不安が先行した。
それまで味わったことのない食感だった。
でも、嫌いじゃなかった。
咀嚼しているうちに旨さが分かった。
「これはいい。いける。」
初めての美味しさだったが、嬉しくなった。
満腹で会計を済ませ、店を出ると私はすぐに言った。
「ねえ、来週もまた来ようよ。あの餃子、美味しいね。」
餃子が、好きになった。
それから、その店に限らず、たびたび餃子を注文した。
やがて行き着いたのが、あの『亀戸餃子』である。
② ホ ヤ
1月下旬、近隣の方々との新年会があった。
10人程の酒席だったが、
時間と共に次々と話に花が咲いた。
その終盤、「今まで食べた中で一番美味しかったのは何か」に、
話題が集中した。
「俺は、キンキの煮付けだ。」が、皮切りとなった。
その味や見栄え、食べた場所や値段まで、一人一人のその話は、
まさに『人に歴史あり』そのものだった。
「キンキもいいけど、ババガレイの煮付けかな。」
すると、
「こんな大きな毛ガニ、それが一番。だって、あれは美味しかったよ。・・」
と続き、次は
「○○で食べた生ガキだなあ、
大きいし、身がプリプリで・・、他のものとは違ったな。」
話はつきなかった。
あげた食べ物は、海産物ばかり。
矢っ張り北海道民なんだと思って相づちを打っていた。
その続きで、ある女性があげた食べ物に、ビックリした。
なんと『ホヤ!』。『ホヤ』である。
それが「一番美味しいかったよ。」と言うのだ。
「なんか生臭い気がしていたんだけれど、
きっとすごく生きがよかったんだと思うの。
食べてみたら、臭みなんかなくて、すごいの。
あの味、ずっと忘れられない。」
その話を聞きながら、
若い頃、初めてホヤを知った日を思い出した。
退勤時間が迫っていた頃、今夜の夕食が話題になった。
そこから、なぜホヤへと話が進んだのか、思い出せない。
一応、魚屋の息子なのに、
私はそれまでホヤなる海の幸を知らなかった。
東北地方の海から、よく水揚げされること、
『海のパイナップル』と言われていること、
そんな説明が、周りからあった。
その話の輪に、私と同様、ホヤを知らない同僚がいた。
話が、トントンと進み、ホヤを食べに行こうとなった。
数日後、4,5名で寿司屋へ行った。
寿司屋なら、ホヤがあるだろうと思ってのことだ。
注文すると、にぎり寿司の前に、
小さく切ったオレンジ色のホヤの刺身が、運ばれてきた。
一斉に、箸が伸びた。
初物に慎重な私は、みんなから間をおき、
箸を持たなかった。
私と同じく、ホヤを知らない同僚は、
何のためらいもなく、ホヤを口に運んだ。
さすが、日頃から好き嫌いはないと言うだけある。
私は感心した。
若干の時が・・。
次の瞬間だ。
彼は、急に片手で口を押さえ、立ち上がった。
そして、店のトイレへ走り出した。
しばらくして、若干青ざめた顔で席へ帰ってきた。
「いや、あれはダメだ。全部もどしたよ。」
私のチャレンジ精神は、すっかりと消えてしまった。
ホヤを口にすることに、怖じ気づいた。
「折角だから、少しでも食べてみたら。」
くり返し勧められても、首を横にふるだけ。
無言を通した。
あの日から今日までに、
様々な席でホヤ料理が並んだ。
時には、「こんな美味しいホヤは初めて!」
と、言いながら勧められたこともある。
それでも、ホヤに私の箸が向いたことは一度もない。
いつも、あの時の同僚の慌てぶりを思い出した。
まさに、喰わず嫌いのままである。
それでいいと思っている。
今後も、きっと変わることはない。
『だてカルチャーセンター』
2年前に陽水が公演 春にはアルフィーが来る
≪次回更新は3月2日予定≫
食べたことのない料理を初めて口にする。
その体験のいくつかが、鮮明に残っている。
その中から、「喰わず嫌い『初めて』編」として、2つ記す。
① 餃 子
餃子の美味しさは、
東京での暮らしが始まってから知った。
何と言っても、総武線亀戸駅近くの、
餃子専門店『亀戸餃子』が一番である。
文字通り、専門店だ。
細長いコの字型をしたカウンターに腰を下ろすと、
注文などしなくても、5コの餃子がのった小皿が、
すっと置かれる。
それを2こ、3こと口に運ぶと、
そのペースを見計らって、次の5コのり皿がくる。
それのくり返しが、「もういいです。」まで続く。
楽しくお喋りをしながら食べる人など、まずいない。
どの人も、店の餃子を醤油だれにつけ、
モクモクと食べる。
水、ビール、中国酒など、餃子の友はそれぞれだが、
待ち時間が10分、20分でも、
食べたくなる味である。
パリッと焼かれた皮もいいが、
私は野菜中心の餡に惹かれる。
今なら、何皿いけるのだろう。
きっと、最低5皿は大丈夫だと思う。
ちょっと想像しただけで、今すぐにでも食べたくなる。
さて、初めて餃子を食べた時のことである。
それは、『亀戸餃子』ではない。
東京の下町で教職の第一歩を踏み出して、
間もなくのことだ。
その年に、同じ学校で新任だった3人で、
夕食を共にすることにした。
暖簾をくぐったのは、初めて入った中華料理店だった。
カウンター越しの厨房には、
店主とそれによく似た顔の息子の2人がいた。
テーブル席に着いてすぐ、メニューを見た。
『炒飯』は何とか読めた。しかし、『餃子』が読めなかった。
それまで、私は餃子を知らなかった。
少しテレながら、同期の先生に読み方を訊いた。
私が、知らないメニューだと伝えると、
「美味しいから食べよう。」と勧めてくれた。
そして、3人とも、炒飯と餃子を注文した。
運ばれた餃子に、私は物珍しい表情になった。
ここは訊くしかないと、食べ方を尋ねた。
一緒に運ばれてきた小皿に、
少しのラー油と適量の酢、醤油を入れて、たれを作る。
餃子を箸でつまみ、そのたれに少量つけて食べる。
同期は、説明しながらたれをつくり、
餃子を1口食べてみせてくれた。
そして、「美味しいよ。やってみな。」
満足そうな顔をむけた。
初めて餃子のたれを作った。
今も、餃子のたれを作るとその時の光景が蘇る。
どんな味なのか、想像できなかった。
ワクワク感より、嫌いな味ならどうしようか、
そんな不安が先行した。
それまで味わったことのない食感だった。
でも、嫌いじゃなかった。
咀嚼しているうちに旨さが分かった。
「これはいい。いける。」
初めての美味しさだったが、嬉しくなった。
満腹で会計を済ませ、店を出ると私はすぐに言った。
「ねえ、来週もまた来ようよ。あの餃子、美味しいね。」
餃子が、好きになった。
それから、その店に限らず、たびたび餃子を注文した。
やがて行き着いたのが、あの『亀戸餃子』である。
② ホ ヤ
1月下旬、近隣の方々との新年会があった。
10人程の酒席だったが、
時間と共に次々と話に花が咲いた。
その終盤、「今まで食べた中で一番美味しかったのは何か」に、
話題が集中した。
「俺は、キンキの煮付けだ。」が、皮切りとなった。
その味や見栄え、食べた場所や値段まで、一人一人のその話は、
まさに『人に歴史あり』そのものだった。
「キンキもいいけど、ババガレイの煮付けかな。」
すると、
「こんな大きな毛ガニ、それが一番。だって、あれは美味しかったよ。・・」
と続き、次は
「○○で食べた生ガキだなあ、
大きいし、身がプリプリで・・、他のものとは違ったな。」
話はつきなかった。
あげた食べ物は、海産物ばかり。
矢っ張り北海道民なんだと思って相づちを打っていた。
その続きで、ある女性があげた食べ物に、ビックリした。
なんと『ホヤ!』。『ホヤ』である。
それが「一番美味しいかったよ。」と言うのだ。
「なんか生臭い気がしていたんだけれど、
きっとすごく生きがよかったんだと思うの。
食べてみたら、臭みなんかなくて、すごいの。
あの味、ずっと忘れられない。」
その話を聞きながら、
若い頃、初めてホヤを知った日を思い出した。
退勤時間が迫っていた頃、今夜の夕食が話題になった。
そこから、なぜホヤへと話が進んだのか、思い出せない。
一応、魚屋の息子なのに、
私はそれまでホヤなる海の幸を知らなかった。
東北地方の海から、よく水揚げされること、
『海のパイナップル』と言われていること、
そんな説明が、周りからあった。
その話の輪に、私と同様、ホヤを知らない同僚がいた。
話が、トントンと進み、ホヤを食べに行こうとなった。
数日後、4,5名で寿司屋へ行った。
寿司屋なら、ホヤがあるだろうと思ってのことだ。
注文すると、にぎり寿司の前に、
小さく切ったオレンジ色のホヤの刺身が、運ばれてきた。
一斉に、箸が伸びた。
初物に慎重な私は、みんなから間をおき、
箸を持たなかった。
私と同じく、ホヤを知らない同僚は、
何のためらいもなく、ホヤを口に運んだ。
さすが、日頃から好き嫌いはないと言うだけある。
私は感心した。
若干の時が・・。
次の瞬間だ。
彼は、急に片手で口を押さえ、立ち上がった。
そして、店のトイレへ走り出した。
しばらくして、若干青ざめた顔で席へ帰ってきた。
「いや、あれはダメだ。全部もどしたよ。」
私のチャレンジ精神は、すっかりと消えてしまった。
ホヤを口にすることに、怖じ気づいた。
「折角だから、少しでも食べてみたら。」
くり返し勧められても、首を横にふるだけ。
無言を通した。
あの日から今日までに、
様々な席でホヤ料理が並んだ。
時には、「こんな美味しいホヤは初めて!」
と、言いながら勧められたこともある。
それでも、ホヤに私の箸が向いたことは一度もない。
いつも、あの時の同僚の慌てぶりを思い出した。
まさに、喰わず嫌いのままである。
それでいいと思っている。
今後も、きっと変わることはない。
『だてカルチャーセンター』
2年前に陽水が公演 春にはアルフィーが来る
≪次回更新は3月2日予定≫
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