ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

教室で 『語り聞かせ』(口演童話)を

2016-10-07 22:18:30 | 教育
 私の『教育エッセイ「優しくなければ」』から記す。


 『私は、大学を卒業するまで北海道で生まれ育ちました。
5人兄弟の末っ子で、一番歳の近い姉とでさえ6才も離れていました。
 ですから、貧しい家庭ではありましたが、
我がまま放題に毎日を過ごし、
両親も兄弟もそれを許してくれていました。

 いわゆる団塊の世代で、北海道とは言え、
『鉄の町・室蘭』と言われた工業地帯にあった私の小学校は、
全校児童が千人を超える大規模校でした。
 新築したばかりの真っ白な鉄筋3階建ての校舎は、
教室にペチカがあり、話題を呼んでいました。

 そこでの6年間について、私の記憶は極めて曖昧ですが、
ある1コマだけは鮮明に思い出すことができます。
 それは、その後の私を決定づける指針の
1つになった出来事でした。

 5年生の晩秋のある日、
高学年児童が体育館に集められました。
そこで東京から来たという偉い先生を紹介されました。

その先生は、『コーエンドーワ』をなさる有名な方だと、
校長先生が話してくれました。

 若干小太りの先生は、ゆっくりと舞台に上がり、
マイクの前で話し始めました。
 時に静まり、時に大笑いをしながら、
私たちはその先生の話に夢中になりました。

 私は、その話の中に出てきた一節を、
それから後、時々思い出し、今に至っています。

 「坊やは、いつもお母さんの読む絵本のお話を聞きながら、
眠りに着きました。
 でも、時々、お父さんが坊やを寝かせるのです。
お父さんは、絵本を読むことなどありません。
 坊やが、何かお話をしてとねだると、
消防士をしているお父さんは、いつも決まって、
“人間は世のため人のために働くこと、
それでお終い。寝なさい、寝なさい。”
と、言うのでした。」

 “人間は世のため人のために働くこと”。
この言葉は、少年だった私の心を強く捉えて放しませんでした。

 当時、小さな魚屋をしていた我が家でしたが、
毎日、朝早くから夕暮れまで忙しく働く両親を見て、
美味しい魚を売るのも、
きっと“世のため人のため”と納得しました。

 そして、大人になったら、
僕も“世のため人のために”働こうと
そっと誓ったのです。』


 あれは、11才の時400人で聞いた。
私は、その中の1人だっただけ。
 その先生が、私にだけ特別に話してくださったことではない。

 体育館に持ち込んだ教室の椅子に座り、
「東京から来た偉い先生」と聞いて、若干緊張し、
背筋をすっと伸ばし、少年の私は話を聞いた。
 そして、私の心は大きく動いたのだった。

 高校生になり、恩師から「先生にならないか。」
と、勧められた時、嬉しさと一緒に、
“人間は世のため人のために働くこと”の言葉が、
突然心に蘇った。
 私を教職の道に導く、強い力になった。

 そして、40年間、未来を背負う子ども達のためにと、
教職の道を歩んだ。
 その道を退いた今も、そのことへの悔いはない。

 改めて思う。
私の人生に、一筋の光りを指し示してくれたのは、
あの東京から来た偉い先生の、『口演童話』だった。
 『口演童話』の素晴らしさを、私は身をもって証明できる。

 まだまだ本が一般に普及していなかった昭和初期の頃まで、
童話は、大人から子ども達に口伝されていた。
 私の幼い頃も、まだそうだった気もする。
母や姉、保育所の先生から、話を聞き、
色々な童話を知ったように思う。
 これが、『口演童話』の原点なのではなかろうか。

 その『口演童話』で全国的に活躍し、高名なのが、
久留島武彦先生である。
 先生は、童謡『夕焼け小焼け』の作詞者であるが、
昭和35年、86才で亡くなられるまで、
子ども達へお話を語って歩くことに、多くの時間を費やされた。
 訪れた幼稚園・学校は、日本全国6000を越えたそうだ。

 今も、先生の『口演童話』は、
各地で継承されているようである。

 また、全国いたる所の学校で『口演童話』は実践され、
研究が続いている。

 私が顧問をしている東京都小学校児童文化研究会の童話部も、
『語り聞かせ』と称し、その努力を重ねている。
  
 童話部は、子供に向けてするお話の全ては『童話』だと言う。
つまり、童話の“童”は「わらべ」、子供をさす。
 その童に話すから、『童話』なのだと説く。

 童話集にある有名な話も、語り手の体験談も、
確かに童話に違いはない。
 それを、自分の言葉で子ども達に語ること。
それが語り聞かせ(口演童話)である。

 子ども達は、自分の身近で、
語り手自身の言葉と感性で、話してくれることに、
小学校5年生の私がそうだったように、
共感を覚えるのだ。

 全国の先生方には、是非、教室で授業で、
その1コマに、これを取り入れ、実践してもらいたいと願っている。

 昨年度、児童文化研究大会実技資料集の、
童話部が作成した『お話は心の栄養 いつでもどこでもお話を』から、
『語り聞かせ』Q&Aを抜粋する。
 実践への一助にしてもらえると、この上ない。


 Q1 「読み聞かせ」と「語り聞かせ」はどう違うのでしょう?

 A1  伝える側(教師)が絵本や物語本を手にしているか、
    していないかという表面的な違いがあります。
    更に、「読み聞かせ」のなかの教師は、
    著者や原作者のテーマやメッセージを伝える媒介者の役割が主です。
    これに対して「語り聞かせ」は、
    語り手が原作を語り手自身の言葉やイメージとして
    創造しながら語っていくものです。
    語り聞かせの中のお話は、語り手の作品であるといえます。

 Q2 「読み聞かせ」のほうがやりやすいように思うのですが?

 A2  最近では、テープやCDに録音されたお話も市販されています。
    でも、子ども達にとっては、感動の深まりはあまりないように思います。
    それよりは、読み聞かせのほうが訴える力は強いでしょう。
    本を手にしながらということで、
    読み聞かせは教師にとってやりやすい面もあります。
     しかし、語り聞かせは、
    語り手が聞き手である子ども達の目や表情を
    見つめながら進めていきます。
    そこから生まれる心のふれあいを大切にしながら、
    感動を共有し合うものです。
    「読み聞かせ」にもすばらしい効果はありますが、
    更に一歩、子ども達の心に近づいてみましょう。

 Q3 どう話したらいいのでしょう?話術にも自信がないのですが。

 A3  毎日、学校で子ども達と話しているのに、
    あらためて「お話」というと、身構えてしまいがちです。
    「語り聞かせ」に特別な話術は必要ありません。
    普段の話し方でいいのです。
    大切なのは、話の内容(話材)です。
    自分の話し方(語り口)を大事にしながら、とにかく語ってみることです。
    テープに録音されたお話よりずっと味がありますし、
    子ども達にとっても親しみがわいてきます。

 Q4 身ぶりや手ぶりや声色、また小道具も必要ないのでしょうか?

 A4  語り聞かせは基本的には、絵や人形などの補助的なものは使いません。
    語り手の音声のみです。
    こうした点で「素話(すばなし)」ということもあります。
     身ぶりや手ぶりなどのジェスチャーや特別な声色や擬音効果も
    必要最小限にとどめておいていいでしょう。
    語り手のちょっとした目や首の動きだけでも、
    登場人物の違いを装うことができます。

 Q5 話材はどこから見つけるのでしょう?

 A5  語り手自身が見聞きした体験や感動は、最もすてきな話材となるでしょう。
    また、毎日接している子ども達の学校生活の中での1コマを、
    少し脚色して話材にすることもできます。
    それは子ども達の行動や心の動きを、敏感に感じ取ることのできる
    教師としての力量を高めることにもつながっていきます。

 Q6 「語り聞かせ」のための台本もつくらなければならないのですか?

 A6  最初から難しく考える必要はありませんが、
    おおまかなプロットやメモを作っておくことで、
    思いつくままに語るときに比べ、語りにも余裕ができます。
    また、名作童話などを語り聞かせする場合にも、
    文章を丸暗記するのではなく、
    語り言葉に置き換える必要があります。
    「読むための童話」と「話す童話」には大きな違いがあります。
    例えば、
     『貝ってなんだ。こんぶって何だ。魚ってくえるんか?』たろがきいた。
     『くえるとも、くえるとも。うまいぞう』とうさんがいった。
    「ふしぎなたけのこ」の一部ですが、これを語り聞かせでは
    『たろがきいた』『とうさんがいった』という言葉がなくなっても、
    語り手の首の動きだけで表せます。
     「語り聞かせ」の台本化というやや面倒な気もしますが、
    お話のイメージが明確になっていき、新しい発見もあります。 

    語り聞かせのための例話集や台本集もありますので、
    ぜひ参考にしてから取り組んでみたいものです。
 Q7 いつ、どんな時に「語り聞かせ」たらいいのでしょう?

 A7  「いつでも どこでも だれにでも」やれることが、
    お話童話の持ち味です。
    朝や帰りの学級指導、あるいは国語や道徳の時間、
    学級活動の中で、実践して下さい。
    最近、学校生活にゆとりがなくなってきたという声が聞かれます。
    子ども達も 忙しいスケジュールに追われ、
    言動や表情にも潤いが失われているように見えます。
    教師の語るお話に安らぎを感じ、
    子ども達は自分自身をふり返る契機にもなります。
    『手を洗って、うがいを忘れずに』という形式的な指導より
    「かぜのウイルス(バイキング君)」を主人公にしたお話の方が、
    子ども達に効果的な場合が多いです。
     お話は語り手と聞き手のコミュニケーションを
    大切にした、最も身近な文化活動です。
    教室が豊かなお話の森になることを願います。





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