半年程前のことになる。
多忙な東京の友人が、札幌までの出張がてら、
貴重な時間をぬって、伊達まで足を伸ばしてくれた。
わずか4時間の滞在だったが、久しぶりに楽しい話の花が咲いた。
その中で、「定年退職まで残り3年。
その後、3年は職場に残ることができるが、どうしようかと、
正直なところ、迷っている。」
と真顔の彼から、そんな言葉が飛び出した。
その時、すかざず私は強い口調で、
「3年先ですか。それなら、今じゃなく、
その決断を迫られた時に、考えればいいことですよ。」
と、確信を持って応じた。
私は、平成21年3月に定年退職を迎えた。
38年間の教職生活であった。
しかし、その後2年間、再任用として私は現職を続けることができた。
教職に限らず、どんな仕事にも終わりはある。
特に、自営業以外の多くの職業には、定年退職というレールが敷かれている。
その年齢が近づいてくると、それまで意に介さなかった様々な想いが、
不思議と押し寄せてくるものである。
現職への執着心、退職後の暮らし方、
自分だけが知る偽りのない足跡への感謝と悔恨、
そして残されている仕事へのゴールインの仕方等々。
それは、今までに経験のない心のざわめきであり、
定年退職の数年前から、徐々に徐々に、
そして次第次第に鮮明なものになっていくのである。
そして、ついに退職が迫った時、
誰もが2つの心境のいずれかに近づくと言う。
その1つは、
『ここまで長いことよくも勤め上げたものだ。
ようやくこの日がやってきた。』という、完結型、
そしてもう1つが、
『まだまだこの仕事を続けたいのに、なのに辞めなければならない。
こんな日はまだ来て欲しくはなかった。』という、未練型である。
さて、私の場合であるが、
私は、どうも4、5年前から、
その日の訪れを心待ちにしていたように思う。
だから、時折、退職後の暮らしぶりを想像し、
様々なプランに想いを巡らせていた。
余談だが、そんな時に、全くの冗談として口をついたのが
『伊達への移住』であった。
しかし、あの頃は、ただ漠然と現職生活への
ピリオドの打ち方を妄想していただけだった。
定年退職の前年だったと思う。
私はそれまでになく仕事への充実感を覚えていた。
長い教職生活で培ってきた経験と知恵が、私自身のものとなり、
私は、様々な難しい局面にあっても、
その場その場に的確に応じ、突き進みことができた。
人は誰でも、自分が抱いた課題を達成できた時、
それまでにない意欲が、沸き上がってくるものである。
やる気があるから、できるようになるのではなく、
できるようになったから、やる気が生まれるのである。
あの頃の私は、まさにその通りであった。
だから、それまでになく仕事が楽しく、日々充実していた。
勢い余って友人たちに、「今が、人生の旬だ。」とまで言い切った。
ここまでお世話になった方々に感謝した。
そして、一日一日を教職の道で、精一杯応えようと努めた。
私は、定年退職のその日まで、
このままの勢いで歩み続けるものと信じていた。
ところがであった。
定年の年が訪れ、4月が過ぎ、5月になった。
私は、私自身の異変に気づいた。
後10ヶ月、こうして仕事を続けると
私の現職生活が終わると思えた時である。
つまり、終着駅がすぐそこに見えた時であった。
突然、空しいような、切ないような、やるせないような、
無力感とも言えるようなものが、私の全てを包み込んだのだ。
まだやり残したことが、きっと沢山あるはず。
やりたいのに、気づかないままやっていないことがあるのでは。
私にしかできないことが、まだまだあったのではないだろうか。
このまま終わったら、後悔の多い人生になるのではと、
数々の後ろ髪を引かれるような、曖昧とは言えるのだが、
それでも、感じたことのない、薄暗い湿った空気の洞窟に一人踏み込んだ、
そんな気持ちに、私は包まれた。
私は、一気にそれまでの元気を失ってしまった。
ピリオドまで余すところわずかなのに、私は迷路に入ってしまった。
しかし、数ヶ月後、その迷い道からの脱出は、意外なところにあった。
それは、退職の延長であった。
東京都は、私が退職を迎える前年度から、定年退職者の再任用制度を導入した。
私にも、「定年後も、もう1年そのまま仕事を続けては。」と声をかけて頂いた。
私は、その道が開かれた瞬間、
「後1年、やり残したこと、やりたいことができる。」
そして、「歩んできた教職生活を振り返る時間ができる。」
そう思えた時、私は急に元気を取り戻した。
再任用を1年、そしてもう1年と、2回続けた。
「どうでしょう、もう1年、続けては。」と誘ってくれる方もいたが、
私はもう満腹だった。
定年で退いた方より2年間も多く、私は仕事を追い求めさせてもらえた。
もう悔いなど微塵もなかった。
私をここまで育ててくれた人々と日々に、深々と一礼し、現職を去った。
そうです。引き際は、事前にプランニングするものではなく、
その時その場で、決断するものなんです。
庭のジューンベリーが満開 伊達は『春爛漫』
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わずか4時間の滞在だったが、久しぶりに楽しい話の花が咲いた。
その中で、「定年退職まで残り3年。
その後、3年は職場に残ることができるが、どうしようかと、
正直なところ、迷っている。」
と真顔の彼から、そんな言葉が飛び出した。
その時、すかざず私は強い口調で、
「3年先ですか。それなら、今じゃなく、
その決断を迫られた時に、考えればいいことですよ。」
と、確信を持って応じた。
私は、平成21年3月に定年退職を迎えた。
38年間の教職生活であった。
しかし、その後2年間、再任用として私は現職を続けることができた。
教職に限らず、どんな仕事にも終わりはある。
特に、自営業以外の多くの職業には、定年退職というレールが敷かれている。
その年齢が近づいてくると、それまで意に介さなかった様々な想いが、
不思議と押し寄せてくるものである。
現職への執着心、退職後の暮らし方、
自分だけが知る偽りのない足跡への感謝と悔恨、
そして残されている仕事へのゴールインの仕方等々。
それは、今までに経験のない心のざわめきであり、
定年退職の数年前から、徐々に徐々に、
そして次第次第に鮮明なものになっていくのである。
そして、ついに退職が迫った時、
誰もが2つの心境のいずれかに近づくと言う。
その1つは、
『ここまで長いことよくも勤め上げたものだ。
ようやくこの日がやってきた。』という、完結型、
そしてもう1つが、
『まだまだこの仕事を続けたいのに、なのに辞めなければならない。
こんな日はまだ来て欲しくはなかった。』という、未練型である。
さて、私の場合であるが、
私は、どうも4、5年前から、
その日の訪れを心待ちにしていたように思う。
だから、時折、退職後の暮らしぶりを想像し、
様々なプランに想いを巡らせていた。
余談だが、そんな時に、全くの冗談として口をついたのが
『伊達への移住』であった。
しかし、あの頃は、ただ漠然と現職生活への
ピリオドの打ち方を妄想していただけだった。
定年退職の前年だったと思う。
私はそれまでになく仕事への充実感を覚えていた。
長い教職生活で培ってきた経験と知恵が、私自身のものとなり、
私は、様々な難しい局面にあっても、
その場その場に的確に応じ、突き進みことができた。
人は誰でも、自分が抱いた課題を達成できた時、
それまでにない意欲が、沸き上がってくるものである。
やる気があるから、できるようになるのではなく、
できるようになったから、やる気が生まれるのである。
あの頃の私は、まさにその通りであった。
だから、それまでになく仕事が楽しく、日々充実していた。
勢い余って友人たちに、「今が、人生の旬だ。」とまで言い切った。
ここまでお世話になった方々に感謝した。
そして、一日一日を教職の道で、精一杯応えようと努めた。
私は、定年退職のその日まで、
このままの勢いで歩み続けるものと信じていた。
ところがであった。
定年の年が訪れ、4月が過ぎ、5月になった。
私は、私自身の異変に気づいた。
後10ヶ月、こうして仕事を続けると
私の現職生活が終わると思えた時である。
つまり、終着駅がすぐそこに見えた時であった。
突然、空しいような、切ないような、やるせないような、
無力感とも言えるようなものが、私の全てを包み込んだのだ。
まだやり残したことが、きっと沢山あるはず。
やりたいのに、気づかないままやっていないことがあるのでは。
私にしかできないことが、まだまだあったのではないだろうか。
このまま終わったら、後悔の多い人生になるのではと、
数々の後ろ髪を引かれるような、曖昧とは言えるのだが、
それでも、感じたことのない、薄暗い湿った空気の洞窟に一人踏み込んだ、
そんな気持ちに、私は包まれた。
私は、一気にそれまでの元気を失ってしまった。
ピリオドまで余すところわずかなのに、私は迷路に入ってしまった。
しかし、数ヶ月後、その迷い道からの脱出は、意外なところにあった。
それは、退職の延長であった。
東京都は、私が退職を迎える前年度から、定年退職者の再任用制度を導入した。
私にも、「定年後も、もう1年そのまま仕事を続けては。」と声をかけて頂いた。
私は、その道が開かれた瞬間、
「後1年、やり残したこと、やりたいことができる。」
そして、「歩んできた教職生活を振り返る時間ができる。」
そう思えた時、私は急に元気を取り戻した。
再任用を1年、そしてもう1年と、2回続けた。
「どうでしょう、もう1年、続けては。」と誘ってくれる方もいたが、
私はもう満腹だった。
定年で退いた方より2年間も多く、私は仕事を追い求めさせてもらえた。
もう悔いなど微塵もなかった。
私をここまで育ててくれた人々と日々に、深々と一礼し、現職を去った。
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その時その場で、決断するものなんです。
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