心理学者の多湖輝さんが書いた、
『100歳になっても脳を元気に動かす習慣術』にある言葉らしい。
多湖さんも、100歳に近い先輩から教えられたのだとか・・。
私は、定年退職後すぐ、同じ歳の友人から聞いた言葉だ。
「ツカちゃん、これからは『キョウイクとキョウヨウ』だよ。
それを大事にして、俺たちは暮らさなきゃ。」
『キョウイク』と『キョウヨウ』?。
何を意図した言葉なのか。
意味がつかめず、説明を求めた。
「教育」ではなかった。
「今日、行く」ところがあることだ。
「教養」ではなかった。
「今日、用事がある」ことだ。
退職後を健康的に生きるために意識したいことだと言う。
最近では、これに『チョキン』が加わるらしい。
「貯金」ではなく、「筋力を貯めること」だ。
「キョウイク」「キョウヨウ」「チョキン」を意識した暮らし方・・?
さて、私の日常はどうだろうか。
密かに、「B」「G」「M」と、私の日々を表している。
「B」は、ブログ=Blogのことで、
ほぼ毎週2日をこれに費やしている。
「G」は、ゴルフ=Golfのことで、
シーズン中は、毎週1ラウンドは回っている。
加えて、パークゴルフも毎週のように楽しんでいる。
「M」は、マラソン=Marathonのことで、
大会参加を目指して、朝ランに励んでいる。
「行くところがない」。
「何もすること(用)がない」。
「だから、家でジッとしている」。
幸い、そんな日々とは、縁遠い。
その上、時折、思いもしない依頼が舞い込んでくる。
できるだけ2つ返事で引き受けることにしている。
それは、もう7年も住んでいるとは言え、
ここでは「新参者」である。
その私への頼み事である。
きっと半信半疑。
それでも信じて、私を見込んでのこと。
勝手にそう理解している。
だから、期待に応えたいと、その都度心する。
これが『キョウイク』や『キョウヨウ』を豊かにしている。
素直に、いいことだと思う。
と同時に、実は、思ってもみなかった心温まることや、
貴重な出逢いに恵まれることがある。
そんな1つを記す。
今年度から、地域の自治会から2つの役目を頂戴した。
1つは、自主防災組織の『防災リーダー』の仕事で、
もう1つが、『福祉部長』の任だ。
その中から、福祉部の活動での一コマである。
福祉部では、メンバーが手分けして、
5月と9月の年2回、75才以上の会員宅を訪問する。
5月は、対象になる会員や担当者に変動もあるので、
年度初めの顔合わせを目的に、ご自宅を訪ねた。
私にとって初経験だったが、、
ティッシュペーパー5個セットを持って、訪ね歩いた。
今年75才を迎えた方は、決まって訪問に驚いていた。
「後期高齢者なんだね。年寄り扱いされてもしかたないのか。」
と、やや寂しげに笑顔を浮かべる方。
「自治会費を納めているだけで、何もしてません。
なのに、こんな物を頂いてもいいんですか。」
と、しきりに恐縮する方。
「75才以上って、私もそうなんですか。
そう言われれば、そうですね。まあ・・。」
と、自分の年齢を確かめる方。
様々な反応があり、その1つ1つが意外と楽しかった。
そして、こんなやり取りもあった。
すでに80才をゆうに越えている女性宅だった。
「どうですか。最近、お変わりありませんか。」
挨拶代わりにした私からの声かけだった。
「娘と2人で暮らしているんです。
でも、昼間は仕事に行くから、私1人なんですよ。」
彼女はそう切り出すと、昼間の寂しさを切々と語り出した。
親しくしていた友だちも、次々と逝ってしまった。
散歩に出ても、人と会うことがない。
週1回のデーサービスだけが楽しみ。
解決策を持たない私は、ただただ聞き役でいるしかなかった。
「また9月に伺います。それまでお元気で。」
そう言って、別れるまで小1時間を要した。
高齢者の孤独感に、息が詰まりそうになった。
長生きも、闘いなんだと実感しながら、
さほど遠くではない我が身を、現実に置き換え、
うつむいてしまった。
そして、訪問の2回目、9月になった。
『敬老の日』に合わせて、ご長寿のお祝いに伺うのだ。
ここで、貴重な出逢いがあった。
そのご夫妻は、5月にうかがった折りには、
担当が私に変わり、
「お世話になります。」
と、互いに挨拶を交わしただけだった。
もう80才になろうかというお二人だ。
自治会からのお祝い品として、日本茶セットを2つ持参した。
インターホンを押すと、
少し時間をおいで、玄関ドアが開いた。
ご主人が迎えてくれた。
「自治会の福祉部です。
敬老の日が近づきましたので、
ご長寿のお祝いをお持ちしました。」
私からのそんな挨拶に応じたご主人。
そこから先、1つ1つの彼の振る舞いが、心に響いた。
「そうですか。それはそれは、ちょっとお待ち下さい。」
ご主人は、足早に奥へ消えた。
そして、玄関先で待つ私に、その声だけが聞こえた。
「お母さん、ほら今年も長寿のお祝いだって、
嬉しいね。玄関でお待ちですよ。」
少しの時間が流れた。
ご主人の肩を借りながら、奥さんがゆっくりと現れた。
私に顔を向け、弱々しく頭を下げ、唇が動いた。
どんな病気なのか、声になっていなかった。
ご主人の「長寿のお祝いだって、嬉しいね」の声が、
くり返し、心にこだましていた。
私は、手にしていた2つのお茶セットを、
さっと、ご主人に差し出した。
すると、ご主人は、穏やかな笑みを浮かべ、奥さんを見た。
「お祝いですからね。貴方の分は貴方が頂くといい。」
奥さんは、大きくうなずき、少しだけ表情を明るくし、
玄関先に進み出た。
しきりに言葉を探した。
しかし、そんな時の私はダメだ。
「自治会からのお祝いです。どうぞお受け取り下さい。」
それしか言えないまま、
お茶セットの1つを奥さんへ渡した。
奥さんに代わって、ご主人が
「ありがとうございます」と頭を下げた。
何の気配りもなく、
2つまとめて差し出した愚かさが恥ずかしかった。
でも、それには触れず、もう1つをご主人に渡し、
玄関ドアを閉めた。
「幾つになっても、どんな暮らしであっても、
あんな清々しい振る舞いができる人間でいたいなぁ。
俺は、まだまだ、全然だ。」
帰宅してすぐ、家内にそうつぶやきながら、
小さな出逢いでみつけた大切な体験に、感謝した。
公園の松も 冬支度
『100歳になっても脳を元気に動かす習慣術』にある言葉らしい。
多湖さんも、100歳に近い先輩から教えられたのだとか・・。
私は、定年退職後すぐ、同じ歳の友人から聞いた言葉だ。
「ツカちゃん、これからは『キョウイクとキョウヨウ』だよ。
それを大事にして、俺たちは暮らさなきゃ。」
『キョウイク』と『キョウヨウ』?。
何を意図した言葉なのか。
意味がつかめず、説明を求めた。
「教育」ではなかった。
「今日、行く」ところがあることだ。
「教養」ではなかった。
「今日、用事がある」ことだ。
退職後を健康的に生きるために意識したいことだと言う。
最近では、これに『チョキン』が加わるらしい。
「貯金」ではなく、「筋力を貯めること」だ。
「キョウイク」「キョウヨウ」「チョキン」を意識した暮らし方・・?
さて、私の日常はどうだろうか。
密かに、「B」「G」「M」と、私の日々を表している。
「B」は、ブログ=Blogのことで、
ほぼ毎週2日をこれに費やしている。
「G」は、ゴルフ=Golfのことで、
シーズン中は、毎週1ラウンドは回っている。
加えて、パークゴルフも毎週のように楽しんでいる。
「M」は、マラソン=Marathonのことで、
大会参加を目指して、朝ランに励んでいる。
「行くところがない」。
「何もすること(用)がない」。
「だから、家でジッとしている」。
幸い、そんな日々とは、縁遠い。
その上、時折、思いもしない依頼が舞い込んでくる。
できるだけ2つ返事で引き受けることにしている。
それは、もう7年も住んでいるとは言え、
ここでは「新参者」である。
その私への頼み事である。
きっと半信半疑。
それでも信じて、私を見込んでのこと。
勝手にそう理解している。
だから、期待に応えたいと、その都度心する。
これが『キョウイク』や『キョウヨウ』を豊かにしている。
素直に、いいことだと思う。
と同時に、実は、思ってもみなかった心温まることや、
貴重な出逢いに恵まれることがある。
そんな1つを記す。
今年度から、地域の自治会から2つの役目を頂戴した。
1つは、自主防災組織の『防災リーダー』の仕事で、
もう1つが、『福祉部長』の任だ。
その中から、福祉部の活動での一コマである。
福祉部では、メンバーが手分けして、
5月と9月の年2回、75才以上の会員宅を訪問する。
5月は、対象になる会員や担当者に変動もあるので、
年度初めの顔合わせを目的に、ご自宅を訪ねた。
私にとって初経験だったが、、
ティッシュペーパー5個セットを持って、訪ね歩いた。
今年75才を迎えた方は、決まって訪問に驚いていた。
「後期高齢者なんだね。年寄り扱いされてもしかたないのか。」
と、やや寂しげに笑顔を浮かべる方。
「自治会費を納めているだけで、何もしてません。
なのに、こんな物を頂いてもいいんですか。」
と、しきりに恐縮する方。
「75才以上って、私もそうなんですか。
そう言われれば、そうですね。まあ・・。」
と、自分の年齢を確かめる方。
様々な反応があり、その1つ1つが意外と楽しかった。
そして、こんなやり取りもあった。
すでに80才をゆうに越えている女性宅だった。
「どうですか。最近、お変わりありませんか。」
挨拶代わりにした私からの声かけだった。
「娘と2人で暮らしているんです。
でも、昼間は仕事に行くから、私1人なんですよ。」
彼女はそう切り出すと、昼間の寂しさを切々と語り出した。
親しくしていた友だちも、次々と逝ってしまった。
散歩に出ても、人と会うことがない。
週1回のデーサービスだけが楽しみ。
解決策を持たない私は、ただただ聞き役でいるしかなかった。
「また9月に伺います。それまでお元気で。」
そう言って、別れるまで小1時間を要した。
高齢者の孤独感に、息が詰まりそうになった。
長生きも、闘いなんだと実感しながら、
さほど遠くではない我が身を、現実に置き換え、
うつむいてしまった。
そして、訪問の2回目、9月になった。
『敬老の日』に合わせて、ご長寿のお祝いに伺うのだ。
ここで、貴重な出逢いがあった。
そのご夫妻は、5月にうかがった折りには、
担当が私に変わり、
「お世話になります。」
と、互いに挨拶を交わしただけだった。
もう80才になろうかというお二人だ。
自治会からのお祝い品として、日本茶セットを2つ持参した。
インターホンを押すと、
少し時間をおいで、玄関ドアが開いた。
ご主人が迎えてくれた。
「自治会の福祉部です。
敬老の日が近づきましたので、
ご長寿のお祝いをお持ちしました。」
私からのそんな挨拶に応じたご主人。
そこから先、1つ1つの彼の振る舞いが、心に響いた。
「そうですか。それはそれは、ちょっとお待ち下さい。」
ご主人は、足早に奥へ消えた。
そして、玄関先で待つ私に、その声だけが聞こえた。
「お母さん、ほら今年も長寿のお祝いだって、
嬉しいね。玄関でお待ちですよ。」
少しの時間が流れた。
ご主人の肩を借りながら、奥さんがゆっくりと現れた。
私に顔を向け、弱々しく頭を下げ、唇が動いた。
どんな病気なのか、声になっていなかった。
ご主人の「長寿のお祝いだって、嬉しいね」の声が、
くり返し、心にこだましていた。
私は、手にしていた2つのお茶セットを、
さっと、ご主人に差し出した。
すると、ご主人は、穏やかな笑みを浮かべ、奥さんを見た。
「お祝いですからね。貴方の分は貴方が頂くといい。」
奥さんは、大きくうなずき、少しだけ表情を明るくし、
玄関先に進み出た。
しきりに言葉を探した。
しかし、そんな時の私はダメだ。
「自治会からのお祝いです。どうぞお受け取り下さい。」
それしか言えないまま、
お茶セットの1つを奥さんへ渡した。
奥さんに代わって、ご主人が
「ありがとうございます」と頭を下げた。
何の気配りもなく、
2つまとめて差し出した愚かさが恥ずかしかった。
でも、それには触れず、もう1つをご主人に渡し、
玄関ドアを閉めた。
「幾つになっても、どんな暮らしであっても、
あんな清々しい振る舞いができる人間でいたいなぁ。
俺は、まだまだ、全然だ。」
帰宅してすぐ、家内にそうつぶやきながら、
小さな出逢いでみつけた大切な体験に、感謝した。
公園の松も 冬支度
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