ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

ランニングコースのあの人は

2020-03-21 15:23:04 | 出会い
 ▼ 春らしい陽差しに誘われ、
数日ぶりに、すっかり雪が消えた道を走った。
 10キロを1時間少々かけて、自宅付近まで戻ってきた。
11時を回っていただろうか。
 歩道の向こうから、ランドセルを背負い、
両手に手さげカバンを持った少年が歩いて来た。

 3,4年生くらいに思えた。
近づいた頃合いをみて、声をかけた。
 「学校へ、行ってきたの?」。
コロナで休校中だが、伊達では分散登校が始まっていた。

 走ってきたランナーから突然声がかかり、
少年は驚いた表情をした。
 もう一度、同じことを言った。
「学校へ、行ってきたの?」。
 今度は、分かったようで、
「ウン」とうなずいてくれた。

 すかさず私は続けた。
「よかったね!」。
 それは、思わず出た言葉だったが、
その少年はすぐに反応した。

 「ウ~ン!!」。
はずむような明るい声だった。
 いつまでも心に響いた。
 
 一瞬のすれ違い。
しかも、初めて言葉を交わした少年の、わずかな仕草だ。
 それでも今の子どもの心情を感じ、胸が痛んだ。 

 ▼ そんな折り、東京都墨田区教育委員会が出したメッセージを知った。
まずは転記する。
 
 『      墨田区の子どもたちへ
   学校がおやすみになり2週間が過ぎました。
   今回のお休みは、皆さんの体を感染から守るだけでなく、皆さんを
  通して、ほかの人へとウィルスが広がることも防ぐための重要な取り
  組みです。
   皆さんの我慢や頑張りが、皆さんにとって大切な人たちの命を守る
  ことにつながるのです。
   皆さんは、このお休みの意味をよく考え、感染予防のために、手洗
  いやうがいをしっかりして、外にもあまり出ずに、規則正しい生活を
  していることでしょう。
   でも、毎日、テレビや新聞で報道されている、コロナウィルス感染
  のニュースを見て、いつから学校で勉強ができるのか、不安に思って
  いる人もいるでしょう。
   毎日、顔を合わせていた友達や先生とも会えずに、寂しい思いもし
  ているでしょう。特に、卒業を迎える小学校6年生、中学校3年生の
  皆さんは、それぞれの学校生活の最後の思い出を作る機会がなくなっ
  てしまい、本当に残念な思いをしているのだと思います。
   お休みの間の長い時間の、いやな面、困った面を見るだけでなく、
  今だからこそできることや、良い面にも目を向けてみましょう。
   お休みの日々を大切に過ごして、皆さんが登校するときに、先生や
  友達と元気に会えることを願っています。
               令和2年3月 墨田区教育委員会   』

 一読し、熱いものを感じた。
メッセージの全てが、今の子ども達の境遇に寄り添っていた。
 学校へ行けない日々の寂しさ、コロナ感染への不安を察し、
その上で、自分自身と大切な人の命を守るための今だと、
優しく訴えかけていた。

 本来、なんとしても守るべき子ども達へ、
大人として精一杯誠実に、
送り届けたメッセージだと思えた。

 これを読んだ墨田区の多くの子は、
改めて資するものがあったに違いない。
 そう信じることができた。
私も一緒に頑張ろうと思った。
 
 ▼ さて、話題を変える。
伊達では総合体育館の閉鎖が続いている。
 冬季は、そこの2階ランニングコースをよく利用する。

 このコースでは、私と家内のように冬季のみの利用ではなく、
年間を通して汗を流している市民も少なくない。

 そんな方々の何人かとは、顔馴染みになり、
近況など言葉を交えることがしばしばあった。

 そこで体を動かす機会を失った方々の、
今が気になっている。

 ▼その女性とは、それまで数回挨拶をした程度だった。
それは、突然の申し込みだった。
 「いつも歩いているばかりなんですけど、
後ろからついて走ってみてもいいかしら。」
  
 「どうぞ、どうぞ。」
私も家内も、伴走者の出現を喜んだ。

 その後、走りながらのやりとりだったが、
長距離を走った経験がないこと、
いつも走っている私たちを見て、
走りたくなったこと、
機会をみて、声をかけようと決めていたことが分かった。

 私たちより一回り以上若い彼女は、
後ろからすいすいと走り、
1周200メートルを10回まわり、
「2キロも走れた。嬉しい!」
と声にし、その後はウオーキングに切り替えた。

 そして、出会う度に
「一人じゃ走れないので、付いていっていいですか。」
笑顔で同意を求めてきた。

 楽しく一緒に走った。
10周が、やがて15周、20周へと伸びた。
 そこで、コロナ騒動になってしまった。

 ▼ 私よりやや若い、その男性の姿をはじめて見たのは、
昨年の冬だった。

 ランニングと言っても、私と家内よりも遅い。
体育館のコースで、私たちが追い抜ける貴重な方だった。

 「後ろ、付いていってもいいかい。」
気さくに声をかけ、時折、私たちの後を追って走った。
 それでも、2,3周もすると、
付いて来れなくなり、音を上げた。

 ところが、今年の冬は違った。
走るフェームからスッとしていた。
 速さも別人だった。

 走りながら、言葉を交わした。
「いや、久しぶりですが、
走り方がいいですね。スピードもあってすごい。」
 衰える私の走りと比較し、心中は穏やかでなかったが、
素直に気持ちを伝えた。

 「そうかい。そう言ってもらって嬉しいわ。」
彼は、そう言いながら私の後を軽々と走った。

 「俺、脳梗塞で倒れてさ。
ようやく命があったんだ。
 助けてくれた先生が、運動するといい、
走るのもいいっていうから、やってるんだ。」
 そんな大病の後とは、想像もしなかった。

 思わず訊いた。
 「後遺症は、なかったんですか。」
「少し言葉がだめなんだ。」
 「気になりませんが・・・。」
「いや、こうしてしべっているとすごく疲れるんだ。」

 それから、何周かを一緒に走り、
「お先に」と、彼はコースから外れた。
  
 そして、別れ際に言い残した。
「また明日も頑張るさ。
2,3日、間を開けると辛くなるからさ」。
 その直後の、閉館になった。
走らない日が、きっと続いているに違いない。

 ▼ 私より2歳年上のその男性は、
午前中なら必ず総合体育館にいた。
 ランニングコースでなければ、
1階フロアーで,何人もの仲間とソフトテニスをしていた。

 挨拶や言葉を交わすようになって、
もう4年にもなるだろうか。
 気さくな人柄が、好きだった。

 この冬は、昨年よりランニングする姿をよく見かけた。
それも、軽快な走り方に目を見張った。
 年齢を感じさせないスタミナにも驚いていた。

 洞爺湖マラソンのエントリー受付が始まった。
彼も、毎年、フルマラソンにチャレンジしていた。
 「もうエントリーしましたか。」
走りながら、声をかけてみた。

 すると、
「郵便局の振り込みで申し込もうと思ったら、
今年からその方法がなくなったんだって、
だからもう参加しないことにした。」
 彼は、あっけらかんとそう言った。

 ビックリして、私は応じた。
「私は、ネットで申し込みました。
追加できますよ。
 手間はかかりませんから、申し込みましょうか。」
「いや、いい。洞爺はもう止めた。」

 そう言いながら、彼の走りは私よりもスムーズだった。
「私よりもずっとずっといい走りなのに、
走らないんですか。
勿体ないですよ。」
 本当の気持ちだった。
しかし、すかさず彼は切り換えした。
 「嬉しいこと言うね。
冗談でも、その気になっちゃうよ・・・。
 その分、伊達ハーフで頑張るさ。」

 それから数日後、
伊達ハーフマラソンの中止も発表になった。
  
 

    山深い牧場の 早春 

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