▼ 春らしい陽差しに誘われ、
数日ぶりに、すっかり雪が消えた道を走った。
10キロを1時間少々かけて、自宅付近まで戻ってきた。
11時を回っていただろうか。
歩道の向こうから、ランドセルを背負い、
両手に手さげカバンを持った少年が歩いて来た。
3,4年生くらいに思えた。
近づいた頃合いをみて、声をかけた。
「学校へ、行ってきたの?」。
コロナで休校中だが、伊達では分散登校が始まっていた。
走ってきたランナーから突然声がかかり、
少年は驚いた表情をした。
もう一度、同じことを言った。
「学校へ、行ってきたの?」。
今度は、分かったようで、
「ウン」とうなずいてくれた。
すかさず私は続けた。
「よかったね!」。
それは、思わず出た言葉だったが、
その少年はすぐに反応した。
「ウ~ン!!」。
はずむような明るい声だった。
いつまでも心に響いた。
一瞬のすれ違い。
しかも、初めて言葉を交わした少年の、わずかな仕草だ。
それでも今の子どもの心情を感じ、胸が痛んだ。
▼ そんな折り、東京都墨田区教育委員会が出したメッセージを知った。
まずは転記する。
『 墨田区の子どもたちへ
学校がおやすみになり2週間が過ぎました。
今回のお休みは、皆さんの体を感染から守るだけでなく、皆さんを
通して、ほかの人へとウィルスが広がることも防ぐための重要な取り
組みです。
皆さんの我慢や頑張りが、皆さんにとって大切な人たちの命を守る
ことにつながるのです。
皆さんは、このお休みの意味をよく考え、感染予防のために、手洗
いやうがいをしっかりして、外にもあまり出ずに、規則正しい生活を
していることでしょう。
でも、毎日、テレビや新聞で報道されている、コロナウィルス感染
のニュースを見て、いつから学校で勉強ができるのか、不安に思って
いる人もいるでしょう。
毎日、顔を合わせていた友達や先生とも会えずに、寂しい思いもし
ているでしょう。特に、卒業を迎える小学校6年生、中学校3年生の
皆さんは、それぞれの学校生活の最後の思い出を作る機会がなくなっ
てしまい、本当に残念な思いをしているのだと思います。
お休みの間の長い時間の、いやな面、困った面を見るだけでなく、
今だからこそできることや、良い面にも目を向けてみましょう。
お休みの日々を大切に過ごして、皆さんが登校するときに、先生や
友達と元気に会えることを願っています。
令和2年3月 墨田区教育委員会 』
一読し、熱いものを感じた。
メッセージの全てが、今の子ども達の境遇に寄り添っていた。
学校へ行けない日々の寂しさ、コロナ感染への不安を察し、
その上で、自分自身と大切な人の命を守るための今だと、
優しく訴えかけていた。
本来、なんとしても守るべき子ども達へ、
大人として精一杯誠実に、
送り届けたメッセージだと思えた。
これを読んだ墨田区の多くの子は、
改めて資するものがあったに違いない。
そう信じることができた。
私も一緒に頑張ろうと思った。
▼ さて、話題を変える。
伊達では総合体育館の閉鎖が続いている。
冬季は、そこの2階ランニングコースをよく利用する。
このコースでは、私と家内のように冬季のみの利用ではなく、
年間を通して汗を流している市民も少なくない。
そんな方々の何人かとは、顔馴染みになり、
近況など言葉を交えることがしばしばあった。
そこで体を動かす機会を失った方々の、
今が気になっている。
▼その女性とは、それまで数回挨拶をした程度だった。
それは、突然の申し込みだった。
「いつも歩いているばかりなんですけど、
後ろからついて走ってみてもいいかしら。」
「どうぞ、どうぞ。」
私も家内も、伴走者の出現を喜んだ。
その後、走りながらのやりとりだったが、
長距離を走った経験がないこと、
いつも走っている私たちを見て、
走りたくなったこと、
機会をみて、声をかけようと決めていたことが分かった。
私たちより一回り以上若い彼女は、
後ろからすいすいと走り、
1周200メートルを10回まわり、
「2キロも走れた。嬉しい!」
と声にし、その後はウオーキングに切り替えた。
そして、出会う度に
「一人じゃ走れないので、付いていっていいですか。」
笑顔で同意を求めてきた。
楽しく一緒に走った。
10周が、やがて15周、20周へと伸びた。
そこで、コロナ騒動になってしまった。
▼ 私よりやや若い、その男性の姿をはじめて見たのは、
昨年の冬だった。
ランニングと言っても、私と家内よりも遅い。
体育館のコースで、私たちが追い抜ける貴重な方だった。
「後ろ、付いていってもいいかい。」
気さくに声をかけ、時折、私たちの後を追って走った。
それでも、2,3周もすると、
付いて来れなくなり、音を上げた。
ところが、今年の冬は違った。
走るフェームからスッとしていた。
速さも別人だった。
走りながら、言葉を交わした。
「いや、久しぶりですが、
走り方がいいですね。スピードもあってすごい。」
衰える私の走りと比較し、心中は穏やかでなかったが、
素直に気持ちを伝えた。
「そうかい。そう言ってもらって嬉しいわ。」
彼は、そう言いながら私の後を軽々と走った。
「俺、脳梗塞で倒れてさ。
ようやく命があったんだ。
助けてくれた先生が、運動するといい、
走るのもいいっていうから、やってるんだ。」
そんな大病の後とは、想像もしなかった。
思わず訊いた。
「後遺症は、なかったんですか。」
「少し言葉がだめなんだ。」
「気になりませんが・・・。」
「いや、こうしてしべっているとすごく疲れるんだ。」
それから、何周かを一緒に走り、
「お先に」と、彼はコースから外れた。
そして、別れ際に言い残した。
「また明日も頑張るさ。
2,3日、間を開けると辛くなるからさ」。
その直後の、閉館になった。
走らない日が、きっと続いているに違いない。
▼ 私より2歳年上のその男性は、
午前中なら必ず総合体育館にいた。
ランニングコースでなければ、
1階フロアーで,何人もの仲間とソフトテニスをしていた。
挨拶や言葉を交わすようになって、
もう4年にもなるだろうか。
気さくな人柄が、好きだった。
この冬は、昨年よりランニングする姿をよく見かけた。
それも、軽快な走り方に目を見張った。
年齢を感じさせないスタミナにも驚いていた。
洞爺湖マラソンのエントリー受付が始まった。
彼も、毎年、フルマラソンにチャレンジしていた。
「もうエントリーしましたか。」
走りながら、声をかけてみた。
すると、
「郵便局の振り込みで申し込もうと思ったら、
今年からその方法がなくなったんだって、
だからもう参加しないことにした。」
彼は、あっけらかんとそう言った。
ビックリして、私は応じた。
「私は、ネットで申し込みました。
追加できますよ。
手間はかかりませんから、申し込みましょうか。」
「いや、いい。洞爺はもう止めた。」
そう言いながら、彼の走りは私よりもスムーズだった。
「私よりもずっとずっといい走りなのに、
走らないんですか。
勿体ないですよ。」
本当の気持ちだった。
しかし、すかさず彼は切り換えした。
「嬉しいこと言うね。
冗談でも、その気になっちゃうよ・・・。
その分、伊達ハーフで頑張るさ。」
それから数日後、
伊達ハーフマラソンの中止も発表になった。
山深い牧場の 早春
数日ぶりに、すっかり雪が消えた道を走った。
10キロを1時間少々かけて、自宅付近まで戻ってきた。
11時を回っていただろうか。
歩道の向こうから、ランドセルを背負い、
両手に手さげカバンを持った少年が歩いて来た。
3,4年生くらいに思えた。
近づいた頃合いをみて、声をかけた。
「学校へ、行ってきたの?」。
コロナで休校中だが、伊達では分散登校が始まっていた。
走ってきたランナーから突然声がかかり、
少年は驚いた表情をした。
もう一度、同じことを言った。
「学校へ、行ってきたの?」。
今度は、分かったようで、
「ウン」とうなずいてくれた。
すかさず私は続けた。
「よかったね!」。
それは、思わず出た言葉だったが、
その少年はすぐに反応した。
「ウ~ン!!」。
はずむような明るい声だった。
いつまでも心に響いた。
一瞬のすれ違い。
しかも、初めて言葉を交わした少年の、わずかな仕草だ。
それでも今の子どもの心情を感じ、胸が痛んだ。
▼ そんな折り、東京都墨田区教育委員会が出したメッセージを知った。
まずは転記する。
『 墨田区の子どもたちへ
学校がおやすみになり2週間が過ぎました。
今回のお休みは、皆さんの体を感染から守るだけでなく、皆さんを
通して、ほかの人へとウィルスが広がることも防ぐための重要な取り
組みです。
皆さんの我慢や頑張りが、皆さんにとって大切な人たちの命を守る
ことにつながるのです。
皆さんは、このお休みの意味をよく考え、感染予防のために、手洗
いやうがいをしっかりして、外にもあまり出ずに、規則正しい生活を
していることでしょう。
でも、毎日、テレビや新聞で報道されている、コロナウィルス感染
のニュースを見て、いつから学校で勉強ができるのか、不安に思って
いる人もいるでしょう。
毎日、顔を合わせていた友達や先生とも会えずに、寂しい思いもし
ているでしょう。特に、卒業を迎える小学校6年生、中学校3年生の
皆さんは、それぞれの学校生活の最後の思い出を作る機会がなくなっ
てしまい、本当に残念な思いをしているのだと思います。
お休みの間の長い時間の、いやな面、困った面を見るだけでなく、
今だからこそできることや、良い面にも目を向けてみましょう。
お休みの日々を大切に過ごして、皆さんが登校するときに、先生や
友達と元気に会えることを願っています。
令和2年3月 墨田区教育委員会 』
一読し、熱いものを感じた。
メッセージの全てが、今の子ども達の境遇に寄り添っていた。
学校へ行けない日々の寂しさ、コロナ感染への不安を察し、
その上で、自分自身と大切な人の命を守るための今だと、
優しく訴えかけていた。
本来、なんとしても守るべき子ども達へ、
大人として精一杯誠実に、
送り届けたメッセージだと思えた。
これを読んだ墨田区の多くの子は、
改めて資するものがあったに違いない。
そう信じることができた。
私も一緒に頑張ろうと思った。
▼ さて、話題を変える。
伊達では総合体育館の閉鎖が続いている。
冬季は、そこの2階ランニングコースをよく利用する。
このコースでは、私と家内のように冬季のみの利用ではなく、
年間を通して汗を流している市民も少なくない。
そんな方々の何人かとは、顔馴染みになり、
近況など言葉を交えることがしばしばあった。
そこで体を動かす機会を失った方々の、
今が気になっている。
▼その女性とは、それまで数回挨拶をした程度だった。
それは、突然の申し込みだった。
「いつも歩いているばかりなんですけど、
後ろからついて走ってみてもいいかしら。」
「どうぞ、どうぞ。」
私も家内も、伴走者の出現を喜んだ。
その後、走りながらのやりとりだったが、
長距離を走った経験がないこと、
いつも走っている私たちを見て、
走りたくなったこと、
機会をみて、声をかけようと決めていたことが分かった。
私たちより一回り以上若い彼女は、
後ろからすいすいと走り、
1周200メートルを10回まわり、
「2キロも走れた。嬉しい!」
と声にし、その後はウオーキングに切り替えた。
そして、出会う度に
「一人じゃ走れないので、付いていっていいですか。」
笑顔で同意を求めてきた。
楽しく一緒に走った。
10周が、やがて15周、20周へと伸びた。
そこで、コロナ騒動になってしまった。
▼ 私よりやや若い、その男性の姿をはじめて見たのは、
昨年の冬だった。
ランニングと言っても、私と家内よりも遅い。
体育館のコースで、私たちが追い抜ける貴重な方だった。
「後ろ、付いていってもいいかい。」
気さくに声をかけ、時折、私たちの後を追って走った。
それでも、2,3周もすると、
付いて来れなくなり、音を上げた。
ところが、今年の冬は違った。
走るフェームからスッとしていた。
速さも別人だった。
走りながら、言葉を交わした。
「いや、久しぶりですが、
走り方がいいですね。スピードもあってすごい。」
衰える私の走りと比較し、心中は穏やかでなかったが、
素直に気持ちを伝えた。
「そうかい。そう言ってもらって嬉しいわ。」
彼は、そう言いながら私の後を軽々と走った。
「俺、脳梗塞で倒れてさ。
ようやく命があったんだ。
助けてくれた先生が、運動するといい、
走るのもいいっていうから、やってるんだ。」
そんな大病の後とは、想像もしなかった。
思わず訊いた。
「後遺症は、なかったんですか。」
「少し言葉がだめなんだ。」
「気になりませんが・・・。」
「いや、こうしてしべっているとすごく疲れるんだ。」
それから、何周かを一緒に走り、
「お先に」と、彼はコースから外れた。
そして、別れ際に言い残した。
「また明日も頑張るさ。
2,3日、間を開けると辛くなるからさ」。
その直後の、閉館になった。
走らない日が、きっと続いているに違いない。
▼ 私より2歳年上のその男性は、
午前中なら必ず総合体育館にいた。
ランニングコースでなければ、
1階フロアーで,何人もの仲間とソフトテニスをしていた。
挨拶や言葉を交わすようになって、
もう4年にもなるだろうか。
気さくな人柄が、好きだった。
この冬は、昨年よりランニングする姿をよく見かけた。
それも、軽快な走り方に目を見張った。
年齢を感じさせないスタミナにも驚いていた。
洞爺湖マラソンのエントリー受付が始まった。
彼も、毎年、フルマラソンにチャレンジしていた。
「もうエントリーしましたか。」
走りながら、声をかけてみた。
すると、
「郵便局の振り込みで申し込もうと思ったら、
今年からその方法がなくなったんだって、
だからもう参加しないことにした。」
彼は、あっけらかんとそう言った。
ビックリして、私は応じた。
「私は、ネットで申し込みました。
追加できますよ。
手間はかかりませんから、申し込みましょうか。」
「いや、いい。洞爺はもう止めた。」
そう言いながら、彼の走りは私よりもスムーズだった。
「私よりもずっとずっといい走りなのに、
走らないんですか。
勿体ないですよ。」
本当の気持ちだった。
しかし、すかさず彼は切り換えした。
「嬉しいこと言うね。
冗談でも、その気になっちゃうよ・・・。
その分、伊達ハーフで頑張るさ。」
それから数日後、
伊達ハーフマラソンの中止も発表になった。
山深い牧場の 早春
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